|
最新の記事
最新のコメント
お気に入りブログ
最新のトラックバック
カテゴリ
以前の記事
検索
ネームカード
ブログパーツ
ファン
|
ヒロインの父親がまだ生きていた頃、岸和田の町には[蛸酒造]という造り酒屋があり、小林薫さんが扮した彼は、この酒造のラベルが貼られた一升瓶の酒をよく飲んでいたものだ。朝のTVドラマ『カーネーション』での話である。麻生祐未さん演じる夫人は品がいいから、一升瓶からちゃんと徳利に酌んで燗をつけて出す。この酒器がまた趣味がよくて、このドラマを視ていると、こちらも朝から飲みたくなってしまう。 そのころ街角にも[蛸酒造]のポスターが貼られていた。タコが鉢巻して酒くらっているような図柄ではないですよ。日本髪を結ったきれいな女性が酒を勧める、そういうポスターであった。 父が亡くなり、ドラマの時代が戦後に移ってから、あのポスターを見かけなくなった。蔵元は過酷な戦時を生き抜くことができなかったのであろうか。軍需関係を除けばほとんどの業界にとってそうであったように、酒造業にも戦争は打撃であった。なにしろ肝心の米が無い。蔵人も兵隊にとられたろう。 でも父親がやっていた呉服店をヒロインが継いだオハラ洋装店の茶の間では、戦後10年がたっても、あの徳利はまだ健在。昨日の放送では、今度はヒロイン小原糸子が徳利の酒を酌む。尾野真千子さん、飲みっぷりもじつにいい。子ども達がまだ幼いときに夫が戦死し、父親の役も果たしながら三人の娘を育ててきたヒロインは亡父にだんだん似てきたようでもある。 今朝(1月31日)の放送ではドラマの進行は昭和29年12月まで来た。おや、酔流亭が東京で生まれるのは、その翌月ですよ。 余談ながら『伝送便』誌2月号に『カーネーション』のことを書いた。この雑誌が送られてきたら、その文章をここにもUPしますね。 ※関連する過去ログとして ☆『岸和田の[蛸酒造]』(11年11月14日)
氷見~高岡~富山と電車を乗り継ぎ、富山からは高山本線で飛騨古川へ向かう。高山本線のすごいところは、日本列島のほぼ真ん中を線路一本で横断してしまうことである。山国・飛騨はその途中に位置する。 越中八尾を過ぎたあたりから、雪がいよいよ深くなる。高山本線は川に沿って走る区間が長いが、その川面に薄い氷が張っている。水溜りに薄氷が張るのは子どものころ冬の朝よく見たものだが、流れる水に氷が張るのを見るのは初めて。 越中八尾といえば、去年三月、ここの駅でかぐら川さんと待ち合わせて、八尾の町や神通川流域、さらには富山駅近くの安田善次郎記念公園を案内していただいたものだ。横浜事件や大逆事件の話題を通じてネットで知り合ったかぐら川さんとはそのときが初対面だった。富山駅でお別れしてから酔流亭は越後湯沢に行き温泉宿に一泊した。翌朝は雪が降りしきっていた。今回の旅に出る2~3日前、関東平野にも雪が降ったが雪国のそれとは同日に論じられない。雪らしい雪をみるのは、あの去年三月以来だと思い、それが震災のわずか数日前のことだったのに思いあたった。あれからの十か月は長かったような短いような。我がつれあいなどは、あのときから時間が止まっているような気がすると言う。 富山と岐阜の県境を越えると雪はじきに止み、古川駅に降りると青空が広がっている。もっとも雪国って、太陽が出ていても雪も降ってくることがあるんですね。お天気雨ならぬお天気雪だ。そういうことがあることも今回の旅で初めて知った。まったく、一番寒い季節にわれながらよく雪国に旅に出たよ。 夜、女将さんに酌をしてもらいながら語り合っていると、ときどきドサッという大きな音がする。屋根に積もった雪が軒から落ちるのだ。前夜の氷見では雷が落ちる(ぶり起こし)のを聴き、この夜は雪のカタマリが落ちる音を聴く。 [蕪水亭]でも下手な歌を作った。こんなふうに夜に朝に昼に飲み続けていたのです。 ゆるゆると酒を飲みませ燗酒を蕪水の宿に雪降るからに ![]() 蓬莱と白真弓とう酒蔵が軒向き合わせて味きそいあう
ようやくの正月休みがとれて、飛騨に雪見酒をやりに行った。日本海まわりで向かったから、途中、富山県の氷見に一泊する。一月の氷見といえば寒ブリである。 宿は[魚恵](「ぎょけい」と読みます)。港のすぐ近くに、割烹民宿の暖簾を出している。ブログ仲間の夢八さんが推奨する宿だと、夢八ブログで知った。この人が推すならば料理に間違いはない、そう予想した上を行く味である。酒は[立山]。 立山は熱燗がよしそのこころ冷やではスイスイ飲み過ぎてまう 職場の同僚三人での旅。刺身は九谷の長方形の皿に一緒盛りで。 鰤ヒラメ烏賊メジマグロ甘海老が所狭しと皿埋め尽くす 鰤はもちろん塩焼きでも出た。 牡蠣はゼリー鰤は塩焼き北陸の板前宿屋に味冴え渡る 今回の旅、写真はないので、その代わりと言ってはナンですが下手な歌を書きつけておきます。なお[魚恵]の料理の写真はリンクした夢八さんのブログにたっぷりと。 駄歌四つ雪の宿屋に置き忘れ酔流亭はけふも旅ゆく 窓外は雪が深々と降っている。と、夜なのにしかし白い世界にピカリと稲光がして大きな雷の音。これが世に聞く鰤起こし。翌朝立ち寄った喫茶店の女主人が言うには、雪の夜だっていつも鰤起こしが鳴るわけではない、いいときに来たとのことだ。
いつもホームページ『酒と蕎麦の日々』からこのブログを訪ねてきてくださる方ならお気づきだと思いますが、ホームページの表紙を今月はまだ更新していません。2003年7月に開設して以来、月替わりで表紙の写真を換えてきたのに。 理由は単純。月々の更新がちょっと面倒になってきたのです。HPを始めた8年半前は、酒飲み日記のつもりだったのだけれど、そして酒は今も毎日欠かさず飲んでいますけれども、それを日記の主要なテーマにするのにもちょっと飽きてきました。 むしろ今は、職場の友人たちと『VOICE UP!』というブログ(職場で発行しているビラのブログ版です)も始めているから、『酔流亭日乗』と併せて、このふたつのブログに力を注ぎたい。 幸いなことに、現在の表紙写真、つまり去年12月に更新したものは、奥多摩の小沢酒造の庭に建つ北原白秋の歌碑を写したもの。 西多摩の山の酒屋の鉾杉は二もと三もと青き鉾杉 と歌われていて、酒飲みHPの顔としてふさわしい。月ごとの更新はやめて、当分この表紙で行こうと思います。 当ブログは、これからも是非ご贔屓に。それから『VOICE UP!』ブログもよろしく。
『VOICE UP!』のブログ版が新しい記事をUPしている。前回記事に続いて、非正規雇用で働く友人が書いた。 『非正規日常~「単純作業」を労働することは単純ではない』 「労働者が文章を書くこと、文学が労働者の手のなかにあることのおそろしさを、支配者たちにつきつけるための砦」。 上の語は、一昨年亡くなった批評家の武井昭夫さんが1960年代に、北海道の炭鉱労働者が作る或る文芸サークル誌に対して、かくなってほしいという期待を込めて述べた言葉(『ズリ山の火を消すな』)。 今回の『VOICE UP!』記事を読んで酔流亭の頭にまず浮かんだのがこの言葉だ。このブログには酔流亭も係わっているのだから、身内ぼめは慎まなくてはならないけれど、この記事はそう胸を張っていいだけの力がある。 ともあれ、覗いてみてください。 ※関連する過去ログとして ☆『吉田秀和さんの文章』(11年5月3日)
かなり強く降っていた雨に雪が混じるようになったのは日暮れてから。 昨日(23日)、酔流亭の勤務は夜9時半まで。職場を出る頃には霙(みぞれ)はれっきとした雪に替わっていた。夕方の雨脚が強かったように、夜ふけてからの雪の降り方もハンパじゃない。 乗り換えで東京駅の構内を歩いていたとき女子高生(中学生かな?)の二人連れが小走りに追い抜いていった。彼女たち、くるぶしの上くらいまでは紺のソックスを履いていたけれど、あとは素足。スカートの丈も短い。よく寒くないなあ。 今朝7時台のTVニュースによれば、昨夜からの都心の積雪4センチというのは6年ぶりの「大雪」だそうだ。もっとも雪国の人には笑われそうだが。 午前8時の『カーネーション』が始まる前の時点で首都圏でのスリップ事故は775件を記録したそうである。具体的な数字だが、どう集計したのかしら。 これから家の前を少し雪掻きして、普段より一本早い電車で出勤しよう。
風邪を引いたことを11日の日記に書いた。発熱したのは9日で、38℃を超す状態が二日つづいたが、幸い三日目には熱が下がり、勤務にも戻れた。 熱が出た9日、寝床に入ったのは午後7時である。ぼうっとした頭で、しかし夜中にはきっと目が覚めるだろうと、そのときは思った。なにしろこの日は朝、泊まり勤務から帰って昼間は4時間ほど寝ているのだ。熱さえ出ていなければ、その夜も徹夜労働をするはずであった。いくら風邪でダウンして出勤することは諦めたからといって、人間そうそう眠りこけていられるはずはない。夜中には眠りが途切れるだろう。 そう思ったとき酔流亭の頭に浮かんだのは次の三十一文字。 足音を忍ばせて行けば台所にわが酒の瓶は立ちて待ちをる ご存じ若山牧水の酒飲み歌のひとつ。 そして酔流亭の頭の中では、これはやはり牧水のもうひとつの歌とセットなのである。 妻が眼を盗みて飲める酒なれば慌て飲み噎せ鼻ゆこぼしつ 「鼻ゆこぼしつ」とあるから、きっと牧水もこのとき風邪で寝込んでいたのだ。だから体調を案じる家人(喜志子夫人)の目に隠れて「盗み酒」をやったにちがいない。よしよし、オレもこの「盗み酒」というのをやってやるぞ。21世紀の「にわか牧水」はそう考えたわけです。しかるに、夜中、起きられなかった。目を覚ましたのは翌朝7時。近所の医院が開くのを待ってクスリをどっさり貰ってきた。やっぱり牧水のようなわけにはいかない。 熱が下がった日の夜、熱燗の酒は身体に沁み渡る。「五臓六腑に・・・」というのは、こうした感覚であろうか。酒の切れる日を体験すると、あの液体のありがたさが改めて思い知られる。
泊まり勤務から朝、帰宅。朝食を摂りながら『カーネーション』の今朝放送分を視る。この番組は15分間だから、視終わっても朝食はまだ終わらない。この前の日曜の『新日曜美術館』の録画も視ることにした。15日は昼間の勤務だったから視そびれていたのだ。20世紀アメリカの画家ベン・シャーン(1998ー1969)の特集である(『静かなるプロテスト ~反骨の画家ベン・シャーン』)。 1954年、太平洋ビキニ環礁で行われた米国の核実験で、付近で操業していた日本のマグロ漁船「第五福竜丸」が被曝、乗組員・久保山愛吉さんが死去する。ベン・シャーンは核実験への抗議を込めて『ラッキー・ドラゴン』という作品を発表した。ラッキーなドラゴン。船名の福竜丸を英訳すれば、たしかにそうなる。この題名に画家の怒りがこめられている。そして去年事故を起こした原発の名(地名)にも「福」の字が入っていることを思わずにはおれない。なんということであろうか。番組では、まずこの画が紹介された。 リトアニアからアメリカへの移民の子であり、大恐慌時代を体験したベン・シャーンは社会的関心の鋭い画家であった。イタリア系移民が無実なのに強盗犯人に仕立てられて死刑になった「サッコ、バンゼッティ事件」を題材にした作品もある。酔流亭は高校生のとき、この事件を描いた映画(邦題『死刑台のメロディ』)を観て強い印象を受けた。バンゼッティを演じたイタリアの名優、故ジャン・マリア・ボロンテに憧れたものだ。 さて下の写真は去年暮れに友人たちの職場で発行したビラ『VOICE-UP!』第4号の二面。挿絵はベン・シャーンの画です。大恐慌の頃の日曜日の光景だ。 ![]() ※いま国内で開催されているベン・シャーン展についての情報は、こちら http://www.cinra.net/news/2011/12/12/130255.php
古い友人たちと飲む機会があった。 中国のことが話題となった。誰かが言う。 「漢民族というのは、どんどん膨張しようとする。昔からそうなんだ」 ある民族に、昔から一貫して特定の性格が備わっているなんて、そんなことがあるのだろうか。そもそも民族という概念自体が、そう古くからのものではないのでは。 酔流亭などはそう思うのだが、口下手なこともあって、こんなつぶやきはかき消されがちである。 それにしても、世を覆う中国への恐怖心というのはすさまじい。日本の経済が落ち目で自信喪失していることがそれに拍車をかけているのだろう。今日のタイトルに「中華民族」という言葉を使ったが、これはきわめて粗雑な言い方。中華民族なんて民族は存在しないだろう。中華文明ならあるが。そして、その中華はいろんな民族によって構成されている。 しかし、ある年齢以上の人なら、こういう脅威や恐怖に既視感があるのではないか。その年齢というのは、20年前のソ連崩壊以前に物心がついていた年齢、ということである。そのころソ連やロシア人に対して言われていた脅威や恐怖が、今は中国にむけて語られているのだ。つまり、論理や心理はそのままで、その向けられる対象が入れ替わったにすぎない。 人の悪口は、あるていど割り引いて聞いておいたほうがよい。 もっとも当時の中国共産党や、あるいは日本国内にいた「親中派」といわれる人たちも、そのころソ連に対する脅威や恐怖を煽っていたものだ。当のソ連がなくなった今、かつて煽っていたものが自分たちに向かってきているのである。このあたりは、この人たちも反省というかすこし考えたほうがいい。 実際には本来的に性悪な民族も白無垢の性善な民族も存在しない。具体的な状況に規定されて善にも悪にもなるのだし、こちらが構えれば向こうも構える。 酔流亭はこう考えるのだが、甘いだろうか。
昨夜のNHK教育TV『日本人は何を考えてきたか②』は、福島県における自由民権運動を取り上げていた。案内役は俳優の菅原文太氏。広島ヤクザやトラック野郎で鳴らした文太兄ィがここでなぜ登場するかというと、彼は1980年放送のNHK大河ドラマ『獅子の時代』で会津藩士の役をやったからだ。幕末から維新をへて、彼の演じたサムライは時代の波にもまれながら、最後は秩父の農民蜂起に参加する。あの番組が放送された年、酔流亭は20代なかば、録画装置なんてまだ持っていなかったから放送は半分も視ていないと思うが、終盤の秩父事件は印象に残っている。あの事件を描いたTVドラマは後にも先にもこの『獅子の時代』だけではないかしら。蜂起の頭領、田代栄助を演じたのは名優・志村喬であった。 さて文太兄ィは福島事件など自由民権運動の足跡を現地に訪ね、事件の当事者たちの血縁の人たちから話を聴くが、そこはこんにち原発事故による放射能被害のひどいところと重なる。祖父は明治政府の弾圧で獄につながれ、自分はいま反原発を闘っているという人もいる。 ドラマ『獅子の時代』の後半にあたっては、脚本の山田太一さんは歴史家・色川大吉さんに助言を受けたという話を色川さんの教え子のどなたかから聞いたことがある。昨夜の番組には、憲法学者の樋口陽一氏とともに、その色川大吉さんも登場した。色川さんの顔を見るのは一昨年秋の講演会以来だが、あのときより顔の色つやがよくてお元気そうである。樋口陽一さんが明治の自由民権運動と今日の日本国憲法との関係を「地下水脈」という言葉で表わしたのは、かねてからの色川さんの主張に敬意を払ってのことであろう。この地下水脈が戦後、表に流れ出す上で重要な役を果たした憲法学者・鈴木安蔵が福島県南相馬の出身であったことを、酔流亭はこの番組で教えられた。ここも原発事故で苦しんでいる土地だ。
以下の文章も新聞『思想運動』2011/12/15発行号に載ったもの。「TPP参加を阻止しよう! 各分野の反対の声」という特集記事のひとつとして掲載されました。 ねらいは民営化の徹底と非正規の拡大 「縮む郵政事業」と題して『日経新聞』2011/11/20付朝刊に載った解説記事は、株式会社日本郵政の経営形態について ①小泉時代にレールが敷かれた現行 ②その「見直し」を目指す現政権による改革法案 ③そのまた修正後 という三つの図を掲載した。それらの比較が本稿の目的ではないから、その内容にはいま立ち入らない。問題は①②に加えて③がマスコミで囁かれだしたという点である。③が①への本掛還りであること、言うを俟たぬ。郵政改革法案は長くたなざらしされた挙句、TPPの翳にあてられて日の目をみることないまま置き捨てられるのか。 もとより、あの法案は小泉民営化を根本から転換させるようなものではない。ユニバーサルサービスの維持と口先では謳っても、その実は「かくれ小泉路線」に過ぎないことは10/01付本紙でも指摘した。民営化を足踏みさせているのは改革法案ではなく、株式売却はいったん凍結したものの改革法も不成立という現政権の非力。この状態を突破したい新自由主義者たち(それは与野党双方にいる)にとってTPPはまたとない追い風だ。かつて郵政公社だった頃、新自由主義を売りにしていた経済学者の某が郵便貯金を指して「資本主義の中心に社会主義経済がドカッと根を張っている」と話すのをTVで視たことがある。悪い冗談である。資本主義社会における大抵の金融がそうであるように、郵貯の掻き集めた金の行先は企業のフトコロなのだから。これを原資に財政出動して行われる道路や原発の建設で一番儲けてきたのはゼネコンなど大資本ではないか。 それでも、国の保障を背景に、低金利ではあるが安定はしている郵貯は、証券などを通じたハイリスク・ハイリターンのギャンブルみたいな直接金融よりは、勤労者にとっては使い勝手がよい。ケインズ派でも良心的な人たちがこれを社会的共通資本として民営化に反対してきた所以である。TPPに日本が参加すれば、そんな微温性など真っ先に剥ぎ取られてしまう。国の保障なんてもってのほか、弱肉強食あるのみというのが新自由主義の目指す資本主義の理念型だ。 安定した小口金融としての郵貯という行き場がなくなれば、爪に火を灯すようにして貯めた金だって複雑怪奇正体不明の金融商品に向かわざるをえない。この形容が大仰でないのはサブプライム・ローン問題が証明した。労働現場に目をやれば亀井静香・郵政改革担当相(当時)が去年春に打ち上げた「希望者全員の正社員化」はすでに反故にされている。TPPは非正規雇用を逆に極限まで拡大するだろう。労働者こそ反対に立ち上がらなければならない。 ※関連する過去ログとして ☆『郵政「改革」迷走の意味するもの』(11年10月8日) ☆『日本はひとつか ー藤原喜一氏に』(11年12月22日)
9日のことである。泊まり勤務から帰って一眠りしたあと身体がだるい。前夜が不眠の労働であったのだからだるいのは当たり前だが、いつものダルサと違う。この日の夜も勤務なので家を出る前に夕食を摂る。そのときの味噌汁が美味い。菜はダイコンである。しかし、汁物を普段以上に旨く感じるというのは、体調上は要注意なのである。たとえば深酒をした翌朝の味噌汁も美味い。身体が二日酔い状態だから。 妻が心配して体温計を出してくれた。38度5分。突発欠務はしたくないけれど、これではやむをえない。会社に連絡して、すぐ横になる。午後7時に床に入り、翌朝7時まで出られなかった。まるまる半日、寝床にいたなんて、いつ以来だろう。 体調管理は本人の責任だから自慢できることではない。しかし、人間だれだって時々は体調を崩す。開き直るつもりはないけれど、そういうときに無理をしてはいけない。させてはいけない。翌日の午前、近所のかかりつけの医者に行った。診察を待つあいだ読んでいた朝刊に「原発作業員が心肺停止」という記事が小さく出ていた。 「東京電力は9日、福島第一原発内で放射性廃棄物保管施設の設置工事をしていた協力企業の60代男性作業員が心肺停止状態になり、病院に運ばれたと発表した。東電は、診断結果が確認できていないので作業や被曝(ひばく)との関連は不明、としている」(朝日01/10朝刊社会面)。 この人たちは本当に無理な作業を強いられているのだろうなあと思う。 診察のとき我が主治医は喉の奥を覗き、胸と背中に聴診器をあててから 「症状はいつから?」 「昨日からです」 「昨日のうちに来ればよかったのに」 そう言われても、昼間は寝ていて、日暮れて出勤する前に変調に気づいたのだ。 「今は時期が悪いんですよ」 というのは空気が乾燥しきっているのを指すのか。 「薬を出しますが、二日たっても熱が下がらなければ病院に行って精密検査です」 そう脅かされて帰ってきたが、今日になって、まだ平熱ではないが熱はすこし下がった。精密検査まではしなくてもよさそうである。 例年、正月のあと体調を崩す。たいてい大晦日も三が日も出勤だから、その疲れが出るのだろう。それで今年は今月下旬に有給休暇をすこしまとめてとるつもりでいたのだが、それまで身体がもたなかった。
以下の文章は新聞『思想運動』2011/12/15発行号に載ったもの。「時代と切り結ぶ銘文・銘言」という連載コラムの第140回目である。暮れにパソコンを買い換えたり、また年末始の忙しさにかまけてブログへの転写が遅くなりました。前半が引用文、後半が酔流亭の文章です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「ところで資本主義発生史上のマニュファクチュア段階に伴なう政治的変革は、ブルジョア民主主義革命ではない。それは純粋封建的国家形態の修正としての絶対主義国家の造出である。フランス革命で倒されたブルボン絶対王政も、その一世紀前に清教徒革命で打倒されたイギリスのチューダー絶対王政も、資本のマニュファクチュア段階に照応して造形されたところの絶対主義国家であった。それは本質において封建的権力である。だがそれは前に徳川幕府について論証したような純粋封建国家ではない。封建性支配の危機に際して、危機克服の唯一の不可避な手段として、みずから対立物たる資本制生産様式を自己に奉仕するかぎり進んで育成することを決意した封建制最後の権力形態が絶対主義となってあらわれる。明治維新はこのような絶対主義国家を全日本的な規模でつくり出した変革である」。 (中略) 「しかるにこれによってマニュファクチュア段階の資本主義が急速に次の段階にむかって温室的に助成されればされるほど、その助成者たる封建的絶対主義政権にむかって闘われるところの『資本』を主導者とし、被圧迫農民をエネルギーとするブルジョア革命への道もまた切迫してくる。絶対主義の形成過程と絶対主義打倒の過程が同時に進行する。『明治維新』とよばれているものは、この二重の過程の相克であり、たたかいであった」。 (服部之総『近代日本のなりたち』青木文庫) 維新史に振るわれた科学的分析の斧 下山三郎の労作『明治維新研究史論』(御茶ノ水書房 1966)にしたがえば、明治維新によって成立した政体を絶対主義と最初に規定したのは『明治維新史』(1927)における服部之総である。20年後の『近代日本のなりたち』では維新の時代区分を1853年(嘉永6年)から筆を起こし、1890年(明治23年)のいわゆる外見的立憲主義の成立までとする。明治10年代に高揚した自由民権運動はわが国におけるブルジョワ民主主義革命運動であり、大日本帝国憲法に立憲主義的体裁を施すことに成功したけれども、明治絶対主義はその民主主義革命運動を弾圧と懐柔で絞め殺すことで地歩を固めた。絶対主義の形成とブルジョワ民主主義革命という相反するものの同時進行・二重の過程として明治維新を捉えることが日本の近代とは何であったかを掴む鍵だろう。そして勝利したのは絶対主義なのである。野呂栄太郎、羽仁五郎らとともに服部之総が岩波『日本資本主義発達史講座』(1932年~33年)に集ったとき、かれらが対峙したのはこの絶対主義権力だった。同時に、その絶対主義はすでにチューダーやブルボンの古典的なそれではない。日清・日露の戦勝が日本の資本主義を太らせた。産業革命を急スピードで通過して資本の集中・独占が進み、絶対主義の外皮の内には独占資本主義=近代的帝国主義が成長していたのである。しかるに、野呂・羽仁もそうだが山田盛太郎、平野義太郎ら講座派の主流的見解にあっては、日本近代の封建性・後進性に目を奪われるのあまり、他方での資本主義成長のテンポの早さを見誤った憾みがある。こうして服部之総の講座派内部批判が「幕末=厳密なる意味でのマニュファクチュア段階」説として提出される。すなわち幕藩体制下での資本主義の自生的成長に着目することによって、その後にも至る日本資本主義の動きをダイナミックにつかむことに成功したのである。ここで服部が言うマニュファクチュア段階とは産業革命前夜の資本主義。機械化はまだされていないが、一定の規模を持つ作業場で相当数の労働者が分業で協業している。江戸時代後期の織物業や醸造業をイメージしてみればよい。これら産業の経営者たるマニュファクチュア・ブルジョワジーこそが明治維新の主導力であった。 それにしても服部の内部批判がなければ講座派マルクス主義はもっと痩せていて、大塚久雄ら後の世代に影響を与えることも少なかったろう。それは講座派理論に楕円の膨らみをもたらした。服部之総は1901年、島根県の浄土真宗の寺の長男に生まれる。その生まれのせいか親鸞や蓮如についての著述もある。もちろんマルクス主義の観点で書かれたもの。1956年、55歳での早い死であった。亡くなるすこし前の1954年に理論社から出た『著作集』(全7冊)はその後も版を重ねたようだから今でも古本屋に揃いでよく置いてある。ただし『近代日本のなりたち』はそこには収められていない。やはり著作集から抜けている『明治維新史』がかれの代表作と目されることが多いが、同書は服部史学の出発点ではあるけれども到達点ではない。まず『なりたち』にあたられるのがよいかと思う。 『近代日本のなりたち』(服部之総 1948年)
島根県隠岐の島町の住民から、島の沖合に不審な船がいるとの通報があったのは一昨日(6日)の午前11時半ごろであった。海上保安庁が調べたところ、船内には3人の成人男性と遺体がひとつ。3人が話すところによれば、北朝鮮から来たこと、漁をしていてエンジンが故障し、先月中旬から漂流したこと、いわゆる脱北ではなく、自分の国に帰りたいということである。 以上は昨日の朝刊に書いてあったこと。 事情が以上であるなら、隣国としてすべきことは明らかである。生存者に栄養のある食事を与えて休養させ、すみやかに自国に送り届けることだ。 しかるに、発見から丸二日近くがたった今朝7時台のNHKニュースが報じるところでは、海上保安庁は外務省や入管局となお「慎重な対応」を協議しているのだという。3人の身柄は海上の保安庁巡視艇の中に置かれたままである。亡くなった人の死因は低体温症とのこと。死後一週間がたっている。漂流中の寒さにやられたのだろう。 報道されていること以外に何か不審な点があるのであろうか。北朝鮮は色々問題のある国だから、そこからの漂流民だって簡単には送り返すわけにはいかないぞ、ということが対応の長引いている理由であるとしたら、それはちょっと間違っているのではないか。授業料無償化から朝鮮学校がいまだに除外されているのも、こういう偏狭な論理と心理によるものだが。あの国の政治体制にちょっとどうかと思うことは酔流亭にもある。しかし周囲の頑なさが彼の国をまた一段とそう仕向けていることに我々は気づかなくてはならぬ。 日本政府は人道と理性に沿った対応をすみやかにとるべきだと思う。
九州に向かう郵便物を満載した航空コンテナをプラットホームに引っ張り出した。コンテナは車輪の付いた板の上に載っている。フォークでトラックに積まれて羽田空港に運ばれ、飛行機で西へ飛ぶ。 今朝の早朝3時のことである。 そのときプラットホームで上を見上げたら、月が輝いている。まだ満月ではないけれど、かなり丸みを増している。一緒にコンテナを外に押し出してくれた同僚(あれ、相当重いので一人での作業は大変)に向かって、「月がキレイ!」。 思わず空を指差してしまった。 暮れの冬至のとき三日月だったのが、二週間経ってここまで膨らんだのだ。帰宅して『二十四節季七十二候」のカレンダーを見ると、今月の満月は9日。今年初めて月が満ちるまであと三日である。 今夜も泊まり勤務。日が暮れてからの出勤だから、夜空の月を眺めながら職場への道を歩こう。
60ページを過ぎたあたりといえば、500ページを超すこの長編のほんの序の口のところだが、「君が代」についての考察が、フランス料理店での男女の会話という形でなされる。それを紹介するのは手間だから省くけれど、あの歌はつまり「めでためでたの若松様よ~♪」みたいなものらしい。なにかの宴席のとき、その集まりの長(おさ)にあたる人の長寿を祝って(あるいは祈って)一節うたうような。 これはどうも国歌というようなものではないですね。胸をはって歌う気にはなれない。それでも歌えというのなら、せいぜい裏声でひそやかに。酔流亭は裏声でだって歌わないけれど。映画『カサブランカ』で、親ナチのヴィシー政権を嫌ってモロッコに逃れた亡命フランス人たちが祖国への思いを込めて『ラ・マルセイエーズ』を合唱するのとは事情が違う。どう違うのかといぶかるひとには、石川淳の随筆『歌ふ明日のために』(1952年)を読まれることを勧める。じつは『裏声で歌へ君が代』は、あの名随筆を本歌とするところの本歌取りに他ならない。この小説の発表当時、誰かそう言った人はいないのかしら。 国の歌(とされるもの)を俎上に載せた以上、では国家とは何かに話は進むだろう。そう思って読んでいくうち、終わりのほうにこんな会話が登場する。 「しかし国歌の本質的なものを見るには、昔のドイツのほうが具合がいいと思ひますよ。軍事的で封建的な警察国家、あれが国家の原型・・・」 「ええ」 「今のイギリスやフランスはむしろ例外的なものでせう。極端な例外・・・」 (中略) 「それはさうかもしれないけれど、自然現象としての国家の、嵐や津波や火山の爆発みたいな猛威を、何とかうまくしのいで行かうと工夫した結果が現代西欧国家でせう。ですから、原型は君の言う通りとしても、すこしは制御できるし、やはり制御していくほうがいい。いくら諦めても、ね」 「しかし、本質は変わらないと思ひますよ、手加減したって」 「うん、本質はね。しかし表面は改まるし、その表面をすこしずつ深いところまで改めてゆくことはできるでせう。できないかな?」 「具体的に云ひますと」 「つまり、暴君としての国家から、国家に対する反対意見を容認する国家へと変へてゆく」 会話の一方が述べているのは、国家権力の立憲主義化とでも言うことであろうか。国家の本質は暴力装置であることを見据えた上で、その装置を麻痺させていくというような。それはどこまで可能であろうか。しかし、この議論は、その暴力装置がどういう社会制度を守るための装置か、という点を抜きにしては空転する。酔流亭などは、国家の本質たる暴力の発動を抑え込めるほどに人民の力が強いのならば、いっそ社会制度そのものをひっくり返してしまえばいいじゃないかと思うのだが。とはいえ、それで「人民のためになる制度」を作り出したとして、今度はそれを守るためならどんな暴力も許されるということにも、勿論ならない。 色々不満もあるけれども面白い小説である。去年最後に読んだ本。 『裏声で歌へ君が代』(丸谷才一 1982年)
明けましておめでとうございます。 早いもので、今日はもう4日。本ブログはこの記事が今年初めての更新です。今年も、気が向いたときお越しくださいませ。 さて今年の年賀状のこと。職場の知人や労働運動関係を通じての人、あるいは酔流亭がなにかそういうことをやっているらしいとご存じの方へ宛てたものには、こんな三十一文字を書きつけてみた。 愉しみはビラを一枚書き上げてさかずき嘗め嘗め読みかえすとき 一昨年の秋から職場の友人たちとビラの発行を始めたことをふまえてのこと。そして「たのしみは・・」で始まり「・・とき」で結ぶのは橘曙覧(たちばなあけみ)の真似です。曙覧というのは、正岡子規が『歌よみに与ふる書』の中で高く評価した幕末の歌人。子規はたとえばこんな歌を紹介している。 たのしみはあき米櫃に米いでき今一月はよしといふ時 たのしみは物をかかせて善き値惜しみげもなく人のくれし時 「歌としては秀逸ならねど彼の性質、生活、嗜好を知るには最も便りある歌なり」と子規は評している。この子規の言葉に酔流亭も励まされるわけです。酔流亭の歌、もとより下手っぴいだが自分の生活は出ている(と思う)。 なお、われわれのビラはブログ版も開設しています。どうぞこちらもご贔屓に。 『VOICE-UP!』ブログ版 http://voiceup.exblog.jp/ 沖縄にいるがじゅたんへは、違う歌を書いた。 嬉しきは「とまりん港」の桟橋で がじゅ唄聴いた那覇のゆふぐれ 去年6月、梅雨の明けた沖縄を訪ねたとき、がじゅたんが三線(サンシン)を弾きながら沖縄の島唄を歌ってくれたのだ。「とまりん」というのは、離島への船が出入りする港。 ![]()
2011年も残すところ僅か。今年の我が身をふりかえってみました。 ★『「坂の上の雲」放送を考える全国ネットワーク』に去年に続いて今年も紹介していただく(1月) 紹介されたのは『思想運動』紙新年号に書いた『・・・の歴史認識を問う』の書評です。 ★色川大吉さんの『自分史』完成を祝う記念文集に一文を執筆(1月) 『フォーラム色川』が作成した文集に、色川史学に思うことを書かせていただきました。 ★JP労組労働運動討論会の成功(2月) 首都圏、中部、関西から参加者があり、いい討論ができました。 ★蕪水亭[酒と肴の会]の帰途、かぐら川さんと会う(3月) ブログを通じて知り合ったかぐら川さんと初対面。神通川流域などを案内していただきました。 ★東日本大震災発生、酔流亭も帰宅難民に(3月) 福島第一原発事故も引き起こし、やはり今年最大の出来事ですね。 ★『季刊社会評論』2011春号に『パンとペン』(黒岩比佐子)の書評を書く(4月) 『伝送便』誌に書いたものに加筆しました。 ★新聞『思想運動』の名物コラム「時代と切り結ぶ銘文・銘言」に初執筆(5月) 佐多稲子の『私の東京地図』を取り上げました。 ★「郵政リストラ吹っ飛ばそう!討論集会」開催(6月) 二月の会に続いての開催で、まずまずの成功でした。 ★初めての沖縄旅行(6月) 沖縄で暮らすようになったがじゅたんとも再会。彼女が地元の人たちに可愛がられ元気だったことが何より嬉しい。 ★HOWS夏季セミナーで安川寿之輔・名古屋大学名誉教授の謦咳に接す(8月) 服部之総の福沢諭吉論をめぐって質問しました。 ★箱根に内山愚童の墓を訪ねる(8月) その日の夜は「へのこじつ」の防衛省前での行動にも参加。 ★『VOICE-UP!』のブログ版を開設!(10月) 友人たちと職場で発行しているビラがネットでも読めるようになりました。是非アクセスを! ★石川淳『マルスの歌』の読書会に参加(11月) HOWS文学ゼミの講座『日本の短編小説を読む』(チューター 立野正裕・明治大学教授)の企画でした。 ★『思想運動』紙「時代と切り結ぶ銘文・銘言」に服部之総『近代日本のなりたち』を紹介(12月) 実はこの文章、まだブログにUPしていません。年が明けてからになりそう。それまで服部について書いた別の記事を貼り付けておきます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ さて年内はこれが最後の更新です。今年も一年間ありがとうございました。 よいお年を!
泊まり勤務を終えた早朝6時過ぎのこと。 勤務のあと汗を流していけるように、職場には浴場とシャワー室がある(利用者は少ないけれど)。酔流亭は昼間の勤務のときは使わないが、泊まり明けのときだけ、さっと湯に浸かる。この朝もそうだった。 クリスマス寒波到来で、なにしろ0℃近くまで気温が下がっている。身体が冷えているから熱い湯はありがたい。湯ぶねで温まってから洗い場に座った。タオルが無いことに気づいたのは、ようやくこのとき。 ロッカーからは持って出たはずである。いくらなんでも初めからタオルを持たずに浴場に行くほどボンヤリではない。途中の階段あたりで落としたのだ(しかし、普通なら脱衣場でハダカになったとき気づくはず。やっぱり相当ボンヤリですね)。 仕方ないから、頭だけ洗って、もういちど湯ぶねで温まり、濡れた身体に作業着をまとった。身体を拭かずに脱衣場に上がるのは作法違反だが、この場合は見逃してもらうの他ない。 その夜というか朝は、勤務の終わる前の最後の休息時間のときに『裏声で歌へ君が代』(丸谷才一)を残り10数ページのところまで読み進んでいた(500ページを超す長編)。それで、そっちの内容のほうに気をとられていたのかもしれない。それにしても、一年の終わる頃になって、しまりのない話である。今やや寒気がする。濡れたままロッカー室に移動する間に冷やしたのだろう。大晦日も元旦も出勤なのだから風邪をひかないようにしないと。 『裏声で歌へ君が代』は帰りの電車の中で読了した。
|