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音楽評論家、吉田秀和さんの死を知ったのはついさっき、昼食を摂りながらNHKの昼のニュースを視ていてである。逝去されたのは22日。98歳だった。死因は急性心不全。 つい一昨日、仲間内での勉強会で吉田さんのことを話題にしたばかりである。それは吉田さんがバッハについて、なかんづくバッハを歌うマグダレナ・コジュナーという歌手について書いた文章のこと。 学習会のそのときのテーマは労働者文学に関わることであったけれども、批評家・武井昭夫さん(2010年死去)が炭鉱労働者の文章について書いていたことと吉田さんの音楽評論に共通したものがあると酔流亭は感じたのである。学習会は本郷三丁目にあるHOWS(本郷文化フォーラム)の一室で行われたのだが、御徒町駅から本郷に向かって歩いていく途中で、一年前にこのブログでそのことについて書いた記事があったことを思い出した。そこでHOWSに着いてからパソコンでその記事をひっぱり出してもらった。 この記事。 『吉田秀和さんの文章』(2011年5月3日) ここ数年は本当にたまにしか読めなくなってしまったが、朝日新聞に載る『音楽展望』はたのしみだった。
飛騨古川の町は、真ん中に造り酒屋が二軒。さらにその近くには、嬉しいことに若山牧水の歌碑もある。 ![]() ゆきくれて ひと夜を宿る ひたのくにの 古川の町に 時雨ふるなり たまたまその日、この写真を撮ってから宿に入るとじきに雨が降ってきた。まこと「古川の町に 時雨ふるなり」であった。 二軒のうちのひとつ、渡辺酒造の入り口の久寿玉です。 ![]() ![]() ※関連する過去ログとして ☆『蕪水亭<蕎麦の会>』(12年5月24日)
前にも書いたけれど、3月に放送の終わったNHK朝ドラ『カーネーション』を、今も時々DVDで視ている。最近視たのは、ヒロイン糸子の幼友達、勘助の二度目の召集と死の場面である。去年暮れの放送。彼は1930年代にいちど兵隊にとられて中国大陸へ行くのだが、二年後除隊したときは精神を病んで別人のようになって岸和田へ帰ってくる。 勘助が「心を失くしてしまった」理由がドラマの中で明かされるのは、ずっとのちになってから。しかし、その前に薄々気づいた視聴者はいたはずである。中国大陸で日本軍が行った非道・残虐行為に、おそらく上官の命令を拒むことができず厭々ながらも彼は加わってしまったのだ。 その勘助がまた召集される。戦場に出たところで使い物にならないだろう廃人を狩り出すところまで戦況は悪化してきたのだ。空襲が始まってヒロインたちの頭上に焼夷弾が降り注ぐようになるのは、そのあとすぐである。 さて出征の日、勘助は糸子の洋裁店の近くまで来て、窓から糸子の姿を見る。糸子は、例によって巻き舌でポンポンと縫い子たちを叱りつけている。この場面が美しいし、切ない。小さいときから男まさりの糸子と、対照的に気が弱くておとなしい勘助。彼が糸子を慕う想いは、愛とか恋とは違うだろう。紳士服の仕立職人と糸子が結婚するとき彼はべつに嫉妬の感情は表わさないのだから。もっと近い存在として彼女が慕わしいのだ。 しかし、今生の別れとなるに違いない日に、勘助は糸子の前に出ることができないのである。前の出征のとき大陸でやったことを思うと自分には彼女と会う資格がない・・・。 そして彼は一月もせずして死んでしまう。 この場面を視ていて、広島で被爆した詩人・栗原貞子さんの『ヒロシマというとき』という詩を酔流亭は思い出した。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ <ヒロシマ>といえば <ああ、ヒロシマ>とやさしくは 返ってこない アジアの国々の死者たちや無告の民が いっせいに犯されたものの怒りを 噴き出すのだ (略) <ヒロシマ>といえば <ああ、ヒロシマ>と やさしいこたえがかえって来るためには わたしたちは わたしたちの汚れた手を きよめねばならない TVというのは、基本的には体制側に都合のよい考え方を受け手に浸透させようとするものである。そのことはおさえておかなくてはならない。全体には最近いよいよひどくなっていると思う。ただ、そうした中にあっても、良心的な作り手が自分の思いを伝えようとする努力がある。『カーネーション』における勘助のエピソードはその優れたひとつとして記憶しておきたい。 ※関連する過去ログとして ☆『TV「カーネーション」を推す』(12年2月4日) ☆『河村、石原氏と「カーネーション」』(12年4月4日)
19日のブログでも告知しましたが、福島県内で郵便を配達している労働者の声を聞く会を明日開催します。都内および周辺の郵政職場で働く皆さん、時間の都合がつくなら参加してください。 26日、午後6時15分から 文京区民センター 3ーD会議室にて 会費 500円 集会呼びかけビラの写真です。 ![]() ![]()
連休はおおむね出勤だったし、連休が過ぎてからは労組の全国大会代議員選挙なんかでそれなりに忙しかった。梅雨に入る前に、ちょっと息抜きがしたい。こんなとき出かけて行く先は決まっている。というわけで飛騨古川に行ってきた。22日。東京スカイツリーが開業した日である。 この日、古川の[蕪水亭]では高橋邦弘名人による<蕎麦の会>が開催されたのである。正午・午後3時・6時と三回行われた会の、最後の6時からに参加させてもらった。 ![]() ![]() 「ここに席を作りましょう」 すぐテーブルを出してくださる。持つべきものは気心の知れた宿である。酒盛りがまた始まった。 やがて夕食を終えた名人一行も合流したので、箸袋の裏にボールペンで一首書いて進呈した。 この達磨 手あり足あり神技あり ただひとすじに蕎麦打ちてやまぬ いくらご本人がそう自称しようと、面と向かってダルマ呼ばわりはちょっと失礼だったかなと思ったけれど、高橋名人、じっと眺めてまんざらでもない様子であった。 下の写真はバス「達磨号」。翌朝は5時に出発して現在の本拠地・広島に向かったそうだ。 ![]()
新聞や本を読むときだけだがメガネを使うようになったのは去年の秋から。市販のものを妻が買ってきてくれた。ところが、なにしろ半世紀以上それなしで生きてきたものだから、扱いがついぞんざいになったのだろう、メガネの柄がとれてしまった。 それを機会に、本格的に選ぶことにした。去年の春先、仕事中に航空コンテナの間に掌(てのひら)を挟んで結婚指輪が歪んでしまったとき、親切に矯正して丸く直してくれた貴金属店が駅前にあってメガネも扱っている。そこにお願いすることにした。 まずは視力の検査。驚いたのだけれど、今の検査機って、こちらから「見える・見えない」と申告しなくても、穴を通じて覗いているだけで目の状態を正確に測定してくれるんですね。なぜわかるのだろう。不思議である。で、我が眼(まなこ)の実力だが、普段の生活に支障はない。ただ、手元で小さな活字を読むときだけ、ちょっとつらい。そこで読むときだけ使うメガネを選んでくれる。 帰りしな、前に指輪を矯正してくれたことの礼を言うと、憶えていてくれたようで、笑顔で応じてくれる。 それにしても、我が駅前はシャッターを降ろしたままの店が一年前よりさらに増えた。個人商店のありがたさを酔流亭は左手の薬指にしみてわかるのだけれど。
もう一週間近く前になるけれど、5月16日は気温の高い日だった。28℃くらいまで上がった。 この日の酔流亭、勤務は休み。早めの昼食をすませて、昼過ぎに家を出る。まず向かったのは文京区民センター。JR総武線の水道橋駅から、後楽園遊園地を左手に見ながら歩いて行く。 19日のブログに書いたように、26日に「福島外務員の声を聞く会」をここでやる。その下準備。当日の集会は「脱原発郵政交流会」と掲示されます。3階の3-D会議室です。 それから本郷3丁目にあるHOWSの事務所に回った。普段はそこで講座が開催されるホールでは、18日の憲法集会の資料作りが行われていた。酔流亭も、ほんのすこしだけお手伝いする。なお、この18日の集会は池袋の豊島公会堂(みらい座)にて300名を超す盛況であった。 ホールの横にある談話室では「A・Zの会」が会合をやっているという。A・Z、すなわちアフター全逓文学集団という意味で、かつて全逓労組で文学活動をしていた労働者作家の集まりである。全逓文学集団は全逓労組そのものの消滅(全郵政と合併してJP労組に改組)などいくつかの理由から3年前に解散したのだが、そのOBたちはこうして活動を続けている。 酔流亭にとっては大先輩にあたる方たちだから、挨拶がてらJP労組全国大会代議員選の立候補ビラを差し上げた。この三枚組のビラ、18日の憲法集会のあとの懇親会でもジャーナリストの山口正紀さん(元読売新聞記者・「人権と報道」世話人)に差し上げた。たまたま隣に座り合わせたからである。多くの人の目に留まる巡り合わせになっているようだ。 HOWS事務所を出てから、和菓子の[三原堂]で小さな菓子折りを買い、今度は外神田にある『伝送便』事務所へ。この事務所へは秋葉原駅から歩くときはメイドカフェ街を抜けていくことになるけれど、本郷からなら湯島天神の境内を抜けて下っていく。上記した26日の「福島外務員の声を聞く会」参加呼びかけビラを印刷。『伝送便』誌編集委員の多田野DAVEさんが世話を焼いてくださった。 5月の風だから「薫風」である。気温はちょっと高すぎたが、本郷から神田へ、気持ちのよい午後であった。この日の〆は神田の居酒屋[加賀屋]。
我が家の近くに小さな公園がある。住宅地ならどこにでもあるような公園。芝生で子ども達がキャッチボールをやったり、近くの小学校のブラスバンドが練習しに来たり。 端っこは花壇になっていて、このあいだまではシバザクラ、チューリップがきれいだった。もうじきアジサイが咲くだろう。 この公園の入り口に、3月からこんな看板が立った。 ![]() 首都圏におけるホットスポットなのだ。身内のケイちゃんが最近、線量計をプレゼントしてくれた。それを使って計ったところ我が家でいちばん線量が高かったのは郵便受けの下の敷石の上で、最高毎時0.38マイクロシーベルト。 ![]() ![]() 昨日の日記に紹介したように、福島の郵便外務員の話を聞く会を26日に開催します。ご都合のつく方は是非!
こんな集まりを企画しています。是非いらしてください。 ![]() 5・26 福島の郵便外務員の声を聞く会 3月11日に郡山市で開催された『原発いらない! 福島県民大集会』に参加してきました。全国から約16000人が参加。加藤登紀子さんの熱唱、県外からの応援代表としての大江健三郎氏の挨拶などに続く、6人の県民の方からの発言、なかでも福島第一原発に近い富岡町から郡山市に避難している女子高生は、こう述べていました。 「原発事故を終わらせることができるのは事故現場で働いている人たち。被曝しながら働いているこの人たちは先生の知り合いだったり、私の友だちのお父さんだ」。 事故直後でさえあまり報道されず、そして今日ではマスコミはいよいよ伝えようとしませんが、原発事故現場で収束のため働いている作業員の被曝は深刻な問題です。そして立ち入り禁止区域以外でも、福島県下の市町村は高い放射線量に苦しんでいます。避難者を受け入れている郡山市でさえ、例えば『県民大集会』の会場となった開成山球場の外野席の放射線量は毎時1.5マイクロシーベルト前後。だから集会のときも外野席には立ち入らないようにと注意がありました。ちなみに首都圏では毎時0.23マイクロシーベルトを超す地域は放射性物質汚染対処特措法に基づく「汚染状況重点調査地域」として除染の対象になります。福島駅前は0.5〜0.6マイクロシーベルトという状態が続いています。そんな高線量の中で福島の人々は生活し、労働しています。 私たちと同じ郵便労働者の場合はどうでしょうか。集配の労働者は配達という屋外作業に毎日、長時間従事しています。側溝や軒下はことに放射線量が高いのですが、郵便ポストが置かれているのは大抵そういうところです。雨の日や、雪の日、そして砂塵の中でも無防備な格好で赤バイクを走らせている日常です。 そんな中、原発再稼働に向けた動きがいま急を告げています。もし再び福島のような原発事故が起きたなら地元の外務員はまた同じような危険な状況に遭遇するかもしれないのです。 今も被曝の恐怖を肌で感じながら外務作業にたずさわる福島の集配労働者の生の声を聞き、交流する集いに是非ご参集ください。 脱原発郵政交流会 呼びかけ人 池田実(日本郵便東京赤羽支店) 土田宏樹(日本郵便新東京支店) 場所 文京区民センター 3-D会議室 時間 午後6時15分より 参加費 500円
今年が斉藤茂吉の生誕130年にあたることを、14日の朝日新聞『天声人語』で知った。この歌が引用されている。 のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり 「玄鳥(つばくらめ)ふたつ」とは、番(つがい)で巣をかけていたのだろう。この季節、よく見かける光景である。茂吉の生母は五月に郷里の山形で死んだ。 ところで『天声人語』の執筆者は今年まだツバメを見ていないのだという。朝日新聞本社は築地にある。あのあたりには飛来していないのだろうか。我が家周辺では盛んに飛んでいる。初めて見てから、もう一月たつ。
労組の選挙で動き回っているうちに過ぎてしまったが、5月13日は「母の日」だった。 もっとも酔流亭に母はもういない。亡くなって20年たつ。亡くなる前年、つまりわれら母子にとって最後の「母の日」にカーネーションを一輪プレゼントしたら、喜んだ母が小遣いをくれた。そんなことがあった。最後まで母に甘えていた息子である。 さて今年の「母の日」、酔流亭は深夜勤務の続く最中。家で昼食を摂るとき 「母の日だし、『カーネーション』でも視ようか」 つれあいにそう提案した。 3月まで放送されたTVドラマ『カーネーション』の全ての回をDVDに録画してあるのだ。 で、その日に視たのは、小林薫さん演じたヒロインの父親が小火(ぼや)を起こして大火傷するところ。そして、その直後に三女が生まれる。 火傷の見舞いがてら、孫の顔みたさに訪れた、ヒロインの神戸の両親(宝田明・十朱幸代)によって赤ん坊は「聡子」と名付けられる。 そういえば、これはドラマがもっと進んで、戦後になってからのことだが、よくケンカする上の二人の娘を尾野真千子さん扮するヒロイン・糸子がどやしつける場面がある。 「優子は優しい子になるように、直子は素直な子になるように名付けたのに、なんでケンカばかりしとるん!」 すると娘二人は口を揃えて 「じゃあ、聡子はどんな意味?」 「賢い子になるようにって、神戸のお祖母ちゃんが付けてくれたんや」 やはり口を揃えて 「聡子、賢こうないで。アホやで」 普段の朝ドラのヒロインらしからずガミガミどやしつける尾野真千子さんも、子役の少女たちも上手だったなあ。 ![]()
JP労組の全国大会代議員選挙。東京選挙区での「氏名公示」期間は昨日まで。今日から投票です。開票作業は25日(金)午後7時より東京支社会議室で。結果が公示されるのは28日(月)です。 公示期間中、立候補ビラの紙面を連日このブログでUPしてきました。それはウェブ伝送便を通じて全国の仲間にも送られました。 ウェブ管理人の多田野さん、ありがとうございました。そして全国の仲間の皆さんの応援に感謝! です。 ![]() 酔流亭こと土田宏樹 ※関連する過去ログとして ☆『危険な赤鉄パレットは使うな!』(12年5月10日) ☆『赤字は郵政版「ショック・ドクトリン」だ!』(12年5月11日) ☆『原発反対! 労組は被曝労働と向き合え!』(12年5月12日) ☆『連続深夜勤に超勤をかけるな』(12年5月13日) ☆『正社員化を後戻りさせるな 正規・非正規は団結しよう』(12年5月14日) ☆『赤鉄パレットと深夜バス事故』(12年5月15日)
これが最後。立候補を決意するに至った理由を述べています。 連休の谷間の泊まり勤務で作業中、パレットとパレットの間に左手を挟んでしまった。あまりの痛さにすぐ軍手を脱ぐと、手の甲のまんなか数センチ四方が赤黒く変色している。しかし骨折だ流血だの怪我ではないから誰にも言わずそのまま勤務を続けた。赤黒くなっていたのは翌日には消えたが、触れるとひりつくような痛みは数日つづいた。この程度の怪我は、おそらく誰もが勤務中に何度も経験しているはず。そして、これだけ業務が錯綜している職場であれば、どんなに注意してもこういうことが完全に無くなることはないだろう。しかし、場合によっては、あるいは打ちどころが悪ければ大怪我になる。4月13日に3階ゆうパック部で起きた、赤鉄パレットによる骨折事故の一番の問題は、そうした職場、これまでも労災の多いことで労基署から目をつけられてきたような職場に、なぜ従来のものよりもっと危険度の高い新型パレットを導入したのかということである。この点の追及を抜きにして「これからもっと扱いに注意しましょう」と繰り返すだけでは、繰り返されるのは労働災害のほうである。 4月29日早朝に関越自動車道で起きたバス事故(死者7名、重軽傷者39名)を報じる新聞記事を読んで驚いた。事故を起こした運転手の勤務時間が私たちの深夜勤とほぼ重なるからだ。その夜かれは午後10時10分に金沢駅を出発して東京ディズニーリゾートへ向かった。事故が起きなければ翌日午前8時前にディズニーリゾートに到着するはずだった。新東京支店第一輸送課の深夜2の勤務時間は午後9時半から翌午前8時半まで。運転手が睡魔に襲われ運転を誤った午前4時40分がどんなに眠い時間であるかも私たちならわかる。そして彼は前夜も徹夜の乗務をやっていた。昼間に仮眠をとって夜また勤務に就いたのだ。私たちの連続深夜勤と同じである。 この事故からわずか二日後の今月1日深夜、今度は東北自動車道で車5台が絡む交通事故が起きた。そのうちの一台に乗っていた4歳の男の子が首の骨を折って亡くなった。 関越道のバス事故があれだけ大きく報道された直後なのだから、どのドライバーも細心の注意を払ってハンドルを握っていたはずである。それでも事故は起きた。個人の注意を喚起するのは絶対に必要だが、しかしそれだけでは事故は無くならない。我が職場に話を戻すと、パレット事故後の安全衛生委員会の議事録を読んでも各自の注意を促しているだけだ。これでいいのか。 過酷な深夜労働・不安定な非正規雇用・それらを拡げてきた規制緩和・・・。関越道バス事故から透けてみえる問題は、そのまま我が郵政職場につながる。事故を生んだ背景としての新自由主義。それは働く者への負担をいっそう強いるものだ。この流れに同じるのか、それとも反撃に転じるか、労働組合には今これが問われている。私ももう57歳。深夜労働についていくだけでしんどいし、新しい移載機の扱いにも慣れない毎日だが、そういう人間が声をあげることも必要だろう。立候補した所以である。
三枚目のビラです。今日はまずオモテ面を。 11年度の正社員登用試験の結果が発表されました。郵政グループ5社からの受験者18052人のうち最終合格者は1058人。郵便事業会社については受験者16478人中合格者わずか501人でした。二年前に亀井静香・郵政担当大臣(当時)が打ち出した「希望者全員の正社員化」は反故にされてしまったのでしょうか。 「会社が赤字なのに正社員化なんかできるかよ」 「非正規の待遇を改善するぶん正社員の賃金が削られるんじゃないか」 そんな声も耳にします。しかし、正規と非正規を対立させるような分断工作に乗ってはならない。たしかに郵政だけを見ていれば郵便事業は赤字です。が・・・ 「合理化で経費を浮かせた日本も、上場企業の手元資金は約60兆円と歴史的な高水準に達する」。 この文章は日本経済新聞3月22日付け朝刊『社説』から。日本の労働組合が会社の経営を心配して要求を自粛しているうちに、大企業はべらぼうな利潤を貯めこんでしまいました。そこで、この『社説』は続けて、その金で海外での企業買収をもっとやれ、あるいは株主への配当を厚くしろ、と説きます。財界の本音が出ています。 職場で私たちは大口の特割郵便物ばかり区分しているときもあります。郵便が儲からないのはよくわかる。大企業の利潤追求活動が円滑になるように物流を捨て値で担っているのだから。ならば、その結果として利益を上げているところから吐き出させればいいのです。正社員化や非正規雇用の待遇改善をやる原資が無いのではありません。それを引き出す闘いが無いだけなのだ。期間雇用とは、その名のとおり、限られた期間だけ働くことを前提とした雇用形態。私たちの職場の期間雇用社員は、多くの人がもう何年も働いているし、仕事にも習熟して業務の中心になっています。こういう人たちを正規に採用しないのは「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ」とした憲法27条の労働権を侵害しています。 ※関連する過去ログとして ☆『昨日は憲法記念日だった』(12年5月4日)
立候補ビラ二枚目のウラ面です。 人が減らされて業務をまわすのが大変になっているからですが、最近は深夜勤明けで超勤をかけられることがあります。夜はまた出勤だというのに。 深夜勤で同じ勤務がくり返されたら、勤務と勤務のあいだの時間は13時間しかありません。産業衛生学会交代勤務委員会は、すでに1978年に、夜業の場合は勤務と勤務の間に最低16時間はあけるようにと提言しています。連続深夜勤は、超勤をやらずにまっすぐ帰宅しても、この提言をふみにじるもの。そのうえに超勤とは、あまりに酷です。 ちなみに産業衛生学会は、 ○深夜業を含む労働時間は1日8時間を限度とすること ○拘束8時間に対し連続2時間以上の仮眠時間を確保すること も提言しています。 △消化器や呼吸器の疾患率を高くすること △心血管疾患の高い危険因子であること など、深夜交替制勤務による健康破壊が明らかだからです。しかるに、こうした提言を全く無視して導入されたのが郵政の深夜勤。そのご2005年には、夜業を含む不規則勤務に従事する人はそうでない人と比べると前立腺癌の発症率3・5倍というゾッとするような数字も日本癌学会で発表されています。 ★深夜勤そのものが問題★ 深夜勤が導入されて、はや8年がたちますが、働く者の健康や安全を軽んじる会社(導入当時は公社)の姿勢が如実に示されている勤務です。JP労組の前身、全逓と全郵政の指導部がこれに反対しなかったのも問題でした。 この大型連休さなかの4月29日早朝、関越自動車道で大型バスが防音壁に衝突、乗客7名が死亡するという事故が起きました。原因は運転手が夜通し運転していての「居眠り」でした。彼はその前夜も徹夜の乗務をしていました。私たちの連続深夜勤と一緒です。深夜労働には規制と従事する者への保護が必要であることを痛感します。その組合員の多くが深夜労働に従事するJP労組こそ、深夜労働軽減の闘いに立たねば。 ※関連する過去ログとして ☆『郵便の労働現場は今』(09年7月10日)
ビラ二枚目のオモテ面です。 ************************ 原発反対! 労組は被曝労働と向き合え! ************************ 3月11日に郡山市で開催された「原発いらない! 福島県民大会」に私は友人たちと一緒に参加してきました。1万6千人もの人が集まり、加藤登紀子さんの熱唱など、それは感動的な集会でした。夜は旧全逓労組OBの方が経営する民宿に泊まりました。昼間の集会でいちばん印象に残っているのは、福島第一原発に近い富岡町から郡山に避難している女子高生の発言です。 「原発事故を終わらせることができるのは、事故現場で働いている人たち。でも、この人たちは先生の知り合いだったり、私の友だちのお父さんだったり」 今も被曝しながら事故収束のため働いている人たちの健康を守ることは私たち全てが考えなければならないことだと痛感しました。ことに働く者の代表として、労働組合はこの問題に真剣に向き合わなくては。 JP労組の組合員も被曝しながら働いています。福島県内は放射線量の高い状態が続いているからです。側溝や軒下はことに放射線量が高いのですが、郵便ポストが置かれているのは大抵そういうところ。雨の日や、このあいだまでは雪の日、そして砂塵の中でも集配の労働者は無防備な格好でバイクを走らせている毎日です。 去年の3月11日以降、夏の全国大会や何度か開催された中央委員会の議案を読んでみても、JP労組は原発に対する態度を明らかにしていません。被災地の復興支援としてカンパなど色々な取組をやっているのはいい。さらに進んで原発にはっきりノーと言うべきです。
昨日UPしたのは一枚目のビラのオモテ面でした。今日はそのウラ面を貼り付けます。 ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ 「赤字」は郵政版『ショック・ドクトリン』だ! ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ このビラのオモテ面で触れた、あの赤い鉄製パレットにしても、あれを使うことにした一番の理由は「経費削減」でしょう。安全性に力を入れればコストがかかる。だから欠陥には目をつむって安上がりにできるものにした。よくある話です。 JPEX失敗を最大原因とした、郵便事業会社の一千億円を超す大赤字(2011年3月期)。自分たちの大失態であるはずのこれを逆に錦の御旗に仕立てて、会社はかねてから念願のリストラに乗り出してきました。正社員のボーナス年間4・3ヶ月→3・0ヶ月への大幅カット、去年秋に行われた非正規雇用社員65歳以上いっせい雇止め、危険だけれども安上がりのパレット導入・・。正社員のボーナスカットでは平均すれば一人あたり約50万円が削られました。郵便事業会社の正社員は10万人近くいるのですから、これで一年に約500億円。二年続いたので約一千億円を浮かすことができたのです。大赤字のあらかたは消えてしまうではありませんか。赤字だから賃金が下げられたのではない。賃下げするために赤字を作ったのです。 「ショック・ドクトリン」という言葉が頭に浮かびます。去年邦訳が出て、たいへん評判になっている本の題名です(ナオミ・クライン著 岩波書店)。その意味は、訳者のひとり幾島幸子さんによれば「ある社会が政変や自然災害などの『危機』に見舞われ、人々が『ショック』状態に陥ってなんの抵抗もできなくなったときこそが、自分たちの信じる市場原理主義に基づく経済政策を導入するチャンスだと捉え」ること。災害が起きれば勿怪(もっけ)の幸い。しかし、起きなければ故意に危機を引き起こすこともあるといいます。 あのベストセラーに詳しく叙述されている世界各国の具体例と比べるとスケールは小さいですが、赤字承知で突き進んだJPEX(宅配便統合)は、まさに郵政版ショック・ドクトリンでした。赤字を突き付けられて、JP労組はいかほどの抵抗もできなくなってしまったのですから。 会社は、非正規雇用を低賃金のまま抑え込むとともに、正規雇用の賃金もさらに大幅にカットしようとしています。交渉再開に向けて動き出した「新たな人事・給与制度」はそのためのものに他なりません。「公正な評価がされればいい」という次元の話ではない。私は「新たな人事・給与制度」に反対です。 作られた「赤字」に惑わされず、正規と非正規が連帯して反撃に立ちましょう! ※関連する過去ログとして ☆『本の紹介「ショック・ドクトリン」(ナオミ・クライン著)』(12年5月8日)
所属するJP労組の全国大会代議員選挙に立候補した。 酔流亭の選挙区は定数12名のところ13名の立候補。つまり酔流亭一人が「招かれざる客」ならぬ対立候補者なのである。4・28勝利原告の池田実さんに昨日べつの用事でメールしたら、返信に「東京地本で唯一の対立選挙戦区、健闘を祈ります」 とあった。丸谷才一さんの小説に『たった一人の反乱』というのがあったなあ。読んでいないけれど。 さて、立候補ビラの一枚目オモテ面を下に貼り付けておきます。 ************************ 危険な赤鉄パレットは使うな! ************************ 4月13日の夜、新東京支店で深刻な労働災害が発生しました。3階のゆうパック部で、非正規雇用社員がパレットの下敷きになって背骨二か所を圧迫骨折したのです。そのパレットはこの春から主にゆうパックの職場で使われ始めた赤い鉄製のもの。重量は100㎏もあり、丈は大抵の人より高い180cm。四つの車輪のうち自在輪は二つだけなので、たたむと安定性がなく、倒れやすい。このときも折りたたんだ状態で三つ重ねて運ぼうとして、転倒したパレットの下敷きになりました。 事故後、各課のミーティングでは「注意して扱うよう」再三周知がされています。もちろん注意して扱わなくてはならない。しかし、働く者が注意するだけですむことでしょうか。こんな危険なパレットを会社はなぜ導入したのか。ゆうパックの職場では、以前から導入に反対と不安の声が高かったと聞きます。それから私たちのうち多くは深夜勤務を繰り返しています。私も一指定(28日間)に8回の深夜勤をやっている。深夜勤専門の非正規の人はこの倍の回数をやります。最近オーストラリアの研究者が行った実験によると、深夜帯の作業では従事者の注意力は日本の「酒気帯び運転」の状態より低下するそうです。 いったい、注意力が落ちること必然の勤務をやらせておきながら、「注意して扱わないと危ない」パレットをあえて使用させるとは、どういうことでしょうか。働く者の安全と健康があまりにないがしろにされていませんか。 労働災害にいちばん責任があるのは会社ですが、労働組合のチェック力も低下しています。新東京支部日刊紙『JP新東京』の4月26日発行号で、事故が起きた当該職場である第三ゆうパック分会からの投稿記事は「安全なくして労働なし」と訴えています。その通りです。この立場を一分会だけでなくJP労組全体のものとしなくてはなりません。そう考えて立候補しました。
上下あわせて700ページ近い大著である。内容豊富。それの紹介記事を『伝送便』誌の一ページ(1400字ほど)に押し込めるのには苦労した(下の写真でおわかりのように、見出しをいつもより小さくするなど編集部が工夫して収めてくれた)。 だから酔流亭はとてもインパクトを受けたが、しかし他の書評記事にはあまり書かれていないだろうな、と思ったことだけに絞って書いた。たとえばイラク戦争について本書には詳細な記述があるけれど、酔流亭の記事ではそれに触れていない。幸い、刊行いらい大変な評判を呼んでいる本書だ。実に多くの書評記事が出ている。興味のある方はあたってみてください。いやいや、本書を実際に読むにしくはない。二冊合わせると五千円+税金だが、読んで決して損はしないことは請け合います。なお、第6部に詳述されている「戦争の民営化」についてはケン・ローチ監督の最新作『ルート・アイリッシュ』が映像で取り上げていることも言い添えておく。 ![]() ![]() 「ケインズ主義は常に、資本主義が共産主義との競争に勝つ必要性と結びついていた」(364ページ)。 「20世紀なかばの資本主義(サックスが言うところの『通常の』資本主義)は、北米で労働者の権利擁護、年金制度、公的医療制度、貧困層への公的援助などを誕生させたが、これらはいずれも強大化する左翼勢力を前にして、大幅な譲歩をするという実質的必要性から生まれたものなのだ」(365ページ)。 しかも、そうした必要に迫られて形成された「大きな政府」は、社会主義に「勝った」後ほどなく、その余力を汲み尽くしてしまったようである。だからこそ小さな政府=民営化を掲げるフリードマンの経済学が躍り出たのではないか。これからは、新自由主義か福祉国家か、ということより、もっと根本的な体制の在り方が改めて問われるようにならざるをえぬ。最近のギリシャの情勢などはそれを示しているように思う。 じつは本書が傑出しているのは、あるいは執筆時点での著者の思考をも超えて、現代史の根本問題を具体的な叙述を通じて掴みとっている点である。2007年に本書が発表された後、世界資本主義の危機はさらに深まった。新情勢の下での著者の一層の活躍をまた読んでみたい。
『伝送便』誌今月号掲載文です。 ![]() 1977年のノーベル平和賞は、主にチリとアルゼンチンにおける人権侵害を暴き糾弾したことを理由にアムネスティ・インターナショナルに贈られた。ところが、その前年76年のノーベル経済学賞受賞はシカゴ大学教授ミルトン・フリードマン。拷問室で行われたショック療法は非難されたのに経済的なショック療法は称賛されたのだ。というのは、チリで1973年に起きた軍事クーデターではシカゴ・ボーイズと呼ばれるフリードマンの教え子たちが暗躍していたし、成立したビノチェト独裁政権にはフリードマン本人がチリに出向いて経済改革を直接指南したからである。のちに世界を席巻する新自由主義のはしりとなったフリードマンのチリにおける実験は、それに抵抗する人々を容赦なく拷問室に送り込む独裁政権の暴力なくしては貫徹されなかった。 だが問題は、その先にある。フリードマンらシカゴ学派は、1990年代に世界を覆った民主化の波にも乗ったのである。むしろ彼の経済学が主流に躍り出るのは、これ以降。チリで軍事独裁が倒されてからも、その経済政策は生き残ったし、同じころアパルトヘイトを撤廃させた南アフリカでは人種差別撤廃のため永年たたかい、ついに権力を手にしたANC(アフリカ民族会議)の下で新自由主義的経済改革が行われた。1991年から2002年の間に南アの黒人失業率は23%から48%へ倍増する。 どうしてそんなことになったのか。独裁政権の暴力に替わる役割を、暴走する市場が引き受けたからだ。たとえばアジア通貨危機(1997年)。タイには通貨を支えるだけの外貨準備が無いらしい、という単なる噂が引き金となって資本が逃げ出し、これを皮切りに危機はアジア全域に広がる。世界銀行など国際金融機関はそれを拱手傍観した上で、融資と引き換えに構造調整(新自由主義的経済改革)を強要した。フリードマンが目の敵にしたケインズ主義は、国家が介入することで市場の極端な暴走を抑えてきた。社会主義が存在していたからだ。資本がほしいままに利潤をむさぼれば、富める1%以外の99%はそんなシステムを見限って社会主義に希望を託すかもしれぬ。そうならないための予防策がケインズ的福祉国家だったのだが、それを強制してきた社会主義は倒壊してしまった。ポーランドの“連帯”運動やソ連邦解体は、一般にはもっぱら民主化という文脈で語られているけれど、社会主義が倒れた後これらの国でシカゴ・ボーイズの設計図に基づいて作られたのは資本主義の本来の獰猛さがむきだしになった社会。貧困ライン以下の生活を送るポーランド人は1989年に15%だったのが2003年には59%に達し、ロシアではやはり1989年に貧困状態200万人が、8年後には貧困ライン以下7400万人に上った。本書が衝撃的なのは、社会主義の側圧あってこそ機能してきたケインズ主義的調整力が失われて解き放たれた資本主義の本性を、著者自らが各国に足を運んで取材し描き切った点にある。題名の『ショック・ドクトリン』とは、政変、経済破綻、災害など何らかの危機に遭って人々がショック状態にあるときを見透かして、市場原理主義的経済改革が強行されてきたことを指す。東日本大震災後の我が国はどうか。もっと卑近な例では郵便事業会社の宅配便統合失敗―大赤字がリストラの格好の起爆剤に利用されたことだって、そうではないか。まことに時宜を得た本として推奨する。 『ショック・ドクトリン』(ナオミ・クライン著 岩波書店) 上・下巻ともに2500円+税
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