新人事制度 大阪での報告①~③
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10代の終わりの三年、夏は広島と長崎の原水禁大会に参加したと6日のブログに書いた。東京から広島へ行くのも、広島から長崎へも、移動は夜行列車でだった。旅費は街頭で集めたカンパである。一銭たりとも無駄にはできない。宿は広島では郊外のお寺に泊めてもらい、長崎では海の家に泊まった。 海の家というのは、宿泊用には作られていない。屋根はあるけれど壁はないのである。天気さえ良ければ海風が気持ちよいけれど、夏に夕立はつきもの。雨もまっすぐ落ちてくれている分にはいいが、風が出てくると大変だ。横殴りに降りつけてくる。びしょぬれになった。 それでも、そういうことが苦にならないのが若者。他大学に合唱サークルをやっている学生がいて、夜はちょっとしたキャンプファイヤーみたいな感じになる。今でも、たとえばHOWS(本郷文化フォーラム)の集まりでHOWSの合唱団が『ワルシャワ労働歌』なんか唄うのを聴くと、あの30数年前の長崎の海辺を思い出す。 これは、愉しいほうの思い出。苦々しい記憶もある。 原水禁運動は原水禁と原水協に分裂している。酔流亭はなりゆきで原水禁のほうの大会に参加していたが、原水禁の参加者同士にも対立は色々ある。あの頃は、ことに学生運動では「内ゲバ」と呼ばれた暴力事件が流行った頃だが、さすがに広島や長崎に来る学生活動家にはそんな暴力沙汰を起こすような者はいなかった。「内ゲバ」に励んでいた連中はむしろ原水禁運動など「プチブル平和主義」だと見下していたのだろう。 それでも、違うセクトに属する学生が街角で鉢あわせれば口論くらい起きることはあった。そんな現場に遭遇したあと乗り合わせたタクシーで、「ここまで来て何やってんだよ」と運転手さんに言われたことがある。学生とはいえ相手は客だから、彼は感情を抑えてそう言っているのである。 そんな「小児性」を私たちはまだ克服できないでいる。 ※関連する過去ログとして ☆『8月6日に』(10年8月6日)
by suiryutei
| 2010-08-09 13:13
| ニュース・評論
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