新人事制度 大阪での報告①~③
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またまた『ゲゲゲの女房』の話題ですが・・・。 今週の放送で、水木しげるが戦地にいたときの軍医が登場した。水木が戦場体験を漫画に画いているのを知って、当時の同じ部隊の軍曹に伴なわれて水木家を訪ねてくるという設定。朝礼に軍刀を忘れてくるような軍人らしからぬ軍医で、だから落第兵だった村井(水木)二等兵とは気が合った、という話になっていた。ドラマのその時点(1970年代初め)では、関西で病院の院長をやっているという。 そういえば、酔流亭の子どもの頃、我が町にも軍医だった医者がいた。外科で、たしか斉藤先生といった。看護婦さんがいたかどうかも思い出せない小さな医院だった。 「あの先生は軍医あがりだから、ちょっと荒っぽいけど、腕はいいよ」 母親がそう言っていたのは憶えている。転んで怪我したときなんか何度かお世話になった。 戦争が終わって、まだ四半世紀たつかどうか。だから、あのころはどの町にも、そういう軍隊経験のある医者がいたのだろう。今は、もうほとんどいなくなってしまったのではないか。 一昨年死んだ加藤周一さんは1919年生まれだが、戦争中はほぼ東大医学部の学生である(43年卒業)。ということは、軍医経験(戦争体験)のある医者は、その加藤さんよりもっと上の世代ということになる。今も現役で聴診器を持つ人は、限られていよう。 あのころ(ドラマ『ゲゲゲの鬼太郎』の現進行時点。また酔流亭の子どもだった頃)は、世の中にまだ戦争の跡が刻まれていたのだなあ、と思い当たる。1960年代終わりから70年代初めにかけて、ベトナム反戦運動があれほど盛り上がったのも、そのせいもあったのかもしれない。反戦デモに参加した多くは戦後生まれの若者であったにしても、戦争の悲惨は世の中全体が記憶していたのだろう。 ※関連する過去ログとして ☆『加藤周一さん』(08年12月7日)
by suiryutei
| 2010-08-21 17:33
| 身辺雑記・自然
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Comments(4)
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kaguragawa at 2010-08-21 20:40
以下、軍医で思い出したエピソードです。時代はずっとさかのぼりますが、軍医といえば森鴎外ですね。そして自分の子の名前に“中也”の
名を鴎外からもらった軍医が、中也の父・中原謙助でした(これは中也が大岡昇平に語った物語ですが)。 なお、謙助は軍医として、軍都・金沢に2度赴任していますが、最初に金沢にいたとき妻が中也を身ごもっていますし、2度目に金沢に来た時は、5歳の中也を伴っていました(中原中也の金沢時代は、1912.9~1914.3)。 ・・・以上、「思い出のメロディー」で熊倉さんの歌う「ゲゲゲの鬼太郎」のテーマを聞きながら書きました。
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こんばんは。僕が子どもの頃(170年代)はまだ戦争で傷を追った人が街で物乞いをしている姿とか普通にありましたね。最近、憂国・排外的な意見がよく喧伝されるのも、戦争の記憶が薄らいだことと相関しているのかもしれないなと思いました。無論戦争を知らないことは幸福なことですが・・・
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suiryutei at 2010-08-22 09:02
かぐら川さん、おはようございます。
ああ、中也という名は鴎外からもらったものだったのですか。それは知りませんでした。大岡昇平が中原中也のことを書いた『朝の歌』などは読んだことはあるのですが、読み飛ばしたかな。 熊倉さんが歌う『ゲゲゲ・・・』、私も昨日TVで視てました。
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suiryutei at 2010-08-22 09:13
いっちゃんさん、おはようございます。
私も子どもの頃、初詣で明治神宮などに行ったとき、戦争で体をこわした元兵士の姿をよく見かけたものでした。 1932年生まれの小田実さんは、終戦直前に大阪で空襲を経験していますね。そういう体験が、より若い世代にも語り継がれていったことがベトナム反戦運動の高揚にもつながったと思います。
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