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我が国社会主義運動の父とも称すべき堺利彦。その名前だけは酔流亭も前から知っていた。幸徳秋水や大杉栄とともに高校の歴史の教科書に登場するというだけでなく、多少なりとも左翼的運動をかじったことのある人間なら堺利彦を知らないわけがない。ただし、敬しつつも遠くから眺めるという感じで。 去年刊行された『パンとペン』(講談社)は、人間・堺利彦を私たちにぐっと身近な存在にしてくれたのではないか。著者の黒岩比佐子さんは、自分の祖父か叔父を見るような眼でもって堺利彦を見、描き出してくれた。そして大逆事件の起きた1910年からの社会主義運動の「冬の時代」に、売文社を率いて同志を繋ぎつつ後退戦をよくしのいだ堺の姿は、やはり明るい時代とはいえない今日にある私たちを無限に励ます。 本書で酔流亭がもっとも感銘したのは、大逆事件で殺害された人たちの遺族を慰問する旅を堺利彦が行ったことである。それは12人に死刑が執行された二ヵ月後の1911年3月から5月にかけてのことであった。東京を3月31日に発して京都、岡山、熊本、高知、兵庫、大阪、ふたたび京都、和歌山、三重。各地で14の家族を訪問して5月8日に帰京した。堺にとって辛い旅であったろうが、アメリカのアナキストグループから贈られた義捐金を家族の状況に応じて分配することができたのも、そうして家族の状況をじかに見てきたからである。 堺利彦自身が、そのすこし前まで二年間の獄中生活を送って出てきたばかりだったのである。赤旗事件(1908年)で検挙されたからで、獄にいたおかげで大逆事件にひっかけられなくてすんだとも言えるが、経済的にもラクではなかったろう。さらに天皇を殺そうと企てたとされた者の遺族を慰問すること自体が危険なことでもあった。それをやったところに堺利彦という人の人柄をみることができるだろう。 それから本書に紹介されている堺利彦の言葉でいちばん印象に残ったのは、売文社の社員だった橋浦時雄が伝える、こんな言葉。 「われわれの社会主義運動はインテリの道楽だよ、幸徳(秋水のこと)でも僕でも士族出で本物の社会主義ではない、本当の社会主義運動は労働者や小作人の手で進められるのだよ・・・だからといってインテリの社会主義道楽が無価値で、真摯でないとはいわんがね、道楽で命を落とす人はいくらでもある・・・。」(268ページ) こうサラリと語るのがやはり堺の人柄ということだろうが、上述した大逆事件の遺族を慰問する旅ひとつとっても、それは道楽でできることではない。「真摯でないとはいわん」という後半の言葉と合わせて受け止めたいところである。 今日の状況と照らして考えさせられたこと。 表向きの記録には残されていないが、吉野作造らの民本主義との提携を堺は図ろうともしたらしい。これは「社会主義者の傀儡」に自分たちの運動がされるのを吉野作造や福田徳三が警戒してうまく運ばなかったようだけれど。このとき吉野と堺の合作がならなかったことは大正デモクラシーにとって不幸な事態だったと思想史家の松尾尊兊氏は指摘しているそうだ。憲法を守るための共闘・協働がもとめられる今日の状況と思い合わせてしまう。 かすかに不満を覚えた点をひとつだけ挙げる。ロシア革命(1917年)が我が国の社会主義運動に与えたインパクトが著者の視界には充分には入っていないように思われる。あの革命をむしろ前世紀における忌まわしい出来事であるかのように見なす今日の思想状況が反映しているのかもしれない。しかし、革命によって生まれた国(ソ連邦)のその後をどう評価するにせよ、あの革命が起きたことが世界の労働者を大きく励ました事実はやはりおさえておくべきではあるまいか。 もっとも、その影響も受けて我が国社会主義運動が「冬の時代」を脱するのは、1919年の売文社解散以降。それについて述べようとすれば著者の言うとおり「もう一冊の本を書かなければならない」。 そして、著者の筆による新しい本を読むことはもう永久にできないのである。著者・黒岩比佐子さんは去年11月に膵臓がんで世を去った。52歳。本書が刊行されて一月後のことであった。「あとがき」に、こう記されている。 「死というものに現実に直面したことで、『冬の時代』の社会主義者たちの命がけの闘いが初めて実感できた気がする。いまは、全力を出し切ったという清々しい気持ちでいっぱいだ」。 これからも読み継がれるであろう名著は著者の命と引き換えるようにして残された。
by suiryutei
| 2011-01-14 11:04
| 文学・書評
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Comments(2)
『パンとペン』のとても重要な部分にふれてくださって、あらためてこの本をゆっくり読みなおしてみたくなりました。
「われわれの社会主義運動は・・・」の部分は、黒岩さんが亡くなられる一か月前の「講演」で、黒岩さん自らこのフレーズを読んで紹介してくださり、その場での堺と黒岩さんの真摯さの共鳴に思わず目頭を熱くした箇所でした。 ロシア革命の問題は、――あの本の構想と容量から黒岩さんはふれられなかったのかもしれませんが、――酔流亭さんがおっしゃられるようにとても大切だと思います。そしてこの本を紹介される多くの方が著者の死を悼むあまり、前向きな批評をも抑えておられるような気がするのですが、こういう読み方がどんどん出てくることを黒岩は喜ばれると私は思っています。 100年前の極寒の監獄を思う日々です。酔流亭さんもご自愛ください。
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Commented
by
suiryutei at 2011-01-14 22:33
かぐら川さん、こんばんは。
心のこもったコメントをありがとうございます。あの箇所、黒岩さんも講演で読み上げられたのですか。私もいま目頭を熱くしております。 この本を知ったのはかぐら川さんのおかげです。本当にありがとうございました。
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