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季刊『社会評論』(No.165 2011/4/10発行)の<読書ノート>という欄に、『パンとペン』(黒岩比佐子 講談社)の書評を書きました。下に転写します。 冬の時代のたたかいを活写 私たちの戦前における先達には文章家が多い。たとえば河上肇の『自叙伝』を一読した人なら、経済学者がこんなに文章がうまくていいものかと誰もが舌を巻くはずである。河上より9歳年長の1870年生まれ、我が国社会主義運動の父とも称される堺利彦もその例にもれず。なにしろ『文章速達法』という著書があるくらいだ。じつは私は30年ほど前、講談社学術文庫から復刊された同書を手にとったことがある。労組青年部で教宣担当になったばかりで、ビラ書きの指南書が欲しかったのである。その書き出しはこう。「私は今『売文社』という看板を上げて文章代作の商売をいたしている」。本の内容は忘れ(そもそも完読したかどうか疑わしい)、記憶の底に沈んでいた売文社という言葉を30年ぶりに思い出させてくれたのが、去年秋に刊行された『パンとペン』(黒岩比佐子 講談社)。堺利彦と売文社を中心に、我が国の初期社会主義運動を担った人々が活写されている。 若い頃の堺利彦はずいぶん放蕩をした。酒を飲み遊郭にも通って、せっかく入学した第一高等中学校(のちの一高)を学費滞納で除名されてしまう。後年ベーベルの婦人論をいちはやく紹介するなど婦人解放運動にも通じていた堺の、これは言行不一致ではないかと謗るとしたら野暮である。20代なかば、両親の相次ぐ死を機に放蕩はピタリとやめたし、二度の結婚(先妻とは死別)を通じて家庭生活は濃やかなものであった。枯川と号して小説も書いたが、どの作品も女性の心理描写に優れ、恵まれない境遇に生きる庶民への共感に満ちているという。紅灯狭斜の巷での若き日々は、堺にあっては人間を見る眼を深く、優しいものにするのに役立ったように思われる。最初の妻との間に生まれた長女・真柄は婦人運動家として有名だが、その真柄という変った名はエミール・ゾラの小説『多産』のヒロイン、マーガレットからとった。世の中が戦争へと向かっていくのでなかったら、堺利彦は社会運動史にではなく日本文学史に自然主義の作家として名を残していたろう。 だが日露開戦が迫っていた。看板記者としてペンをふるっていた「萬朝報」が従来の非戦論を捨て開戦支持に転ずるや、内村鑑三、幸徳秋水とともに萬朝報社を去り、幸徳とともに「平民新聞」を発刊、非戦論を唱える。社会主義者としての彼の歩みはここから始まった。 数年後の1910年、大逆事件勃発。幸徳秋水以下12名が死刑に。堺がこれに連座しなかったのは、その二年前の赤旗事件で検挙されてすでに獄にいたから。 出獄してからの堺の行動は感動的だ。刑死した者たちの家族を慰問する旅に出るのである。京都、岡山、熊本、高知、和歌山などをまわる一月余。それは辛い旅であったろうし、危険なことでもあった。天皇を殺そうとしたと決め付けられた者たちの側に寄り添うことを明らかにする行動なのだから。そして売文社(1910-1919)が旗揚げされる。 ペンには二つの役割がある。ひとつは生活の資つまりパンを得るためのもの。もうひとつは、食うこととは別に自分の考えを人びとに伝えるための。売文社のペンは、まず前者の役目を果たさなければならない。翻訳はもちろん、別れた男に女が手切れ金を要求する手紙の代筆もやれば、生まれた子どもの名をつけてくれというものまで。ペンから生み出せるものなら何でもやった。大逆事件のあと逼塞する同志たちに、そうやってパンのための仕事をまわしたのである。しかし、そのことはペンの持つもうひとつの役目を封印することを意味しない。売文稼業のかたわら、反戦と社会主義の旗を掲げて降ろさず、身を寄せてくる者は拒まず去る者を追わず、遠近の同志をつなぎ励ます。世は大正デモクラシーといっても社会主義者には冬の時代、その後退戦をよくしのいだ。 しかし売文社を解散した後の1923年、痛恨事がまた襲う。関東大震災下の混乱の中での大杉栄虐殺。大逆事件で斃れた幸徳とともに、大杉も堺のかけがえのない親友である。そしてこのとき第一次共産党事件で獄中にいるのでなかったら、堺もテロルの標的となった可能性はかなり高い。革命家・堺利彦を考える上で、二人の親友の死が持つ意味は大きいのではないか。二人の命を奪ったのは天皇制権力だ。彼はこのあと共産党とは歩みを異にするが、天皇制と闘うことを避けたというより、その真意は充分な準備のないままでは天皇制を論じるなということであったろう。 さて『パンとペン』の著者・黒岩比佐子さんは、自分の叔父を見るような眼差しで堺利彦の人間を描き出してくれた。運動に連なろうとする者のひとりとして感謝したい。その上で一点だけ不満を述べるなら、ロシア十月革命が世界の社会主義運動に及ぼした影響が著者の視野には充分には入っていない憾みがあるのではないか。冬の時代を揺さぶり動かした最大の力はあの革命の余波なのに。しかしこれは小さな瑕。本書が刊行された一月後の去年11月に著者は膵臓癌で急逝するが、執筆中にも病は進行した。去年7月の日付が刻まれた「あとがき」にこうある。「死というものに現実に直面したことで、『冬の時代』の社会主義者たちの命がけの闘いが初めて実感できた気がする」。書き手の命と引き換えるように世に出た一冊である。多くの人に読んでもらいたい。
by suiryutei
| 2011-04-27 20:09
| 文学・書評
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