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『伝送便』誌今月号に掲載された文章を写真の下に転写します。 酔流亭は今回ちょっとズルをしている。『魯迅文学を読む』という本の紹介といいながら、魯迅の文学そのものに踏み込んでいないからだ。不勉強のためである。本書を読んだことが、これまで「敬して遠ざけ」てきた魯迅に接するキッカケとなった。著者の浅川史さんに感謝したい。 <本の紹介> 『魯迅文学を読むー竹内好「魯迅」の批判的検証ー』 (浅川史 著 スペース伽耶) 三月十一日の夜、帰宅難民となって6時間歩いたことは本誌四月号に書かせてもらった(『三月十一日のこと』)。そのとき肩にかけた鞄に入っていたのは空の弁当箱とともに本書だ。400ページを超す中身の濃い本は、道中なかなかに重かった。それからの数日、余震やら液状化やらによるダイヤの乱れから普段よりだいぶ長居をすることになった通勤電車の中で、この本が我が友となった。 魯迅の著作は岩波文庫から出ている『阿Q正伝・狂人日記』しか私は読んでいない。これは竹内好が訳したものだ。こんなふうに、魯迅の文学を我が国に紹介した第一人者が竹内であるのは誰もが認めるところ。だが、その魯迅解釈には歪みがあるというのが本書の問題意識である。本書によれば竹内好は魯迅文学を私小説的に解して、その本質をニヒリズムとする。だが、魯迅は世の中に対してもっと能動的な文学者だったのではないか。 しかし私は魯迅文学の門外漢であり、竹内の『魯迅』(講談社文芸文庫)もたったいま大急ぎで読み終えたばかり。私が何度か読んだことのある竹内の文章は、魯迅からちょっと離れるけれど日米開戦直後に書かれた『大東亜戦争と吾等の決意』である。本書でも全文が紹介されている。 日本が中国に攻め入ったとき竹内は「にはかには同じがたい感情があった。疑惑がわれらを苦しめた。・・・わが日本は、東亜建設の美名に隠れて弱いものいじめをするのではないか」、そう疑った。ところが真珠湾攻撃によって、その疑いが晴れたという。「わが日本は、強者を懼れたのではなかった。・・・国民の一人として、この上の喜びがあろうか」。 この論理はもちろん誤っている。竹内は対米開戦を支持することで、当初は批判をもっていた対中侵略まで正当化してしまうのである。同時に、正直な心情告白であったこともまた事実であろう。やましさから解放されてほっとしているのである。そしてわれわれは心情を打ち明けられることに弱い。話を魯迅に戻すと毛沢東にこんな言葉がある。「魯迅は、文化戦線で全民族の大多数を代表して敵陣に突入した・・・空前の民族英雄であった」。間違っていない賛辞であるにちがいない。しかしなんだか耳元で進軍ラッパを吹かれているような気もする。魯迅の最初の小説集のタイトルは『吶喊』といい、これは開戦にあたっての雄叫びのことだから、進軍ラッパは場違いではない。けれども、屈折した心情吐露のほうが世の文学好き達の琴線には触れよう。 が、これが躓きの石。思いのたけを吐露すればいいというものではない。心情はしばしば理性を麻痺させるから。ならば、それは正確な論理によって検証ときに克服されなければならぬ。本書の意義はここにあるとみた。 著者の浅川史さん(ペンネーム)は我が『伝送便』の読者である。去年夏、さるセミナーでお会いしたとき購読を申し込んでくださった。「郵政の話題ばかりですから、部外の人が読んでも面白くないかもしれませんよ」と言うと、「でも、闘っている人たちの書いた記事なら読みたい」と。裁判所速記官として働きながら文学を学び、職業病闘争、婦人運動に取り組んでこられた方だ。 『魯迅文学を読む』(浅川史 スペース伽耶) 定価2100円 ※告知 ☆6月19日に討論と交流の会を企画しています。
by suiryutei
| 2011-06-09 17:17
| 文学・書評
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Comments(2)
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