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『伝送便』誌今月号に掲載された文章を転写します。6月に沖縄を訪ねたときのことを書きました。なお、文中のナポレオンにまつわるエピソードは淮陰生『完本・一月一話』(岩波書店)に拠ることは7/6ブログ(『首里城』)に明記したとおり。 武器なき平和の島に ~初めて訪ねた沖縄で思ったこと~ 6月の末、沖縄を訪ねた。一泊二日の短い旅。那覇空港から、まずモノレールで首里城に行く。平年より14日もはやく観測史上最速の6月9日に梅雨明けした那覇は、すでにして盛夏。空の青さがつきぬけるようだ。 15世紀から19世紀まで、沖縄は琉球王国という独立国であった。王朝は首里に置かれた。成立したばかりの江戸幕府の承認のもと薩摩藩が琉球に侵攻したのが1609年。以降、薩摩の支配を受けるが王朝は続く。いっぽう薩摩は琉球を介した密貿易で巨利を得、やがては倒幕の主力となるのである。明治維新のあと1879年の「琉球処分」で王国は滅び、沖縄県となる。その「琉球処分」に遡ること60余年の1817年8月、イギリス軍艦ライラ号というのが朝鮮半島西岸、琉球諸島を航海した帰途に遥か南太平洋上のセント・ヘレナ島に寄港した。かの島には当時、ワーテルローに敗れたナポレオンが流されている。敗残の身といえ元皇帝は天下の名士、ライラ号船長はさっそく会見を申し入れた。おそらくは晩餐を共にしながら、話題は船長の航海中の見聞に及ぶ。沖縄という島には武器が一切ない。船長がそう話すと、ナポレオンはまったく理解に苦しんだ。 「武器といっても、それは大砲のことだろうね。小銃くらいはあるだろうが」 「いいえ」 「じゃ、投槍といったようなものは?」 「ありません」 「じゃ、弓矢はどうだね? まさか小刀くらいはあるだろう」 「いや、それもありません」 ナポレオンはワナワナと拳を震わせながら、大声で叫んだ。 「武器がなくて、いったい何で戦争をするのだ?」 「いえ、戦争というものを全く知らないのです。内外ともに憂患というようなものは、ほとんど見られませんでした」 船長のほうも、いささか半可通なところはある。内外ともに憂患が無いということはあるまい。しかし16世紀はじめの尚真王のとき武器撤廃をやり、また1609年の薩摩侵攻のあとは一切の武器が完全に奪われてしまったのは事実。じつに500年に及ぶ武器なき平和の島だったのである。 話を私の沖縄旅行に戻すと、翌日は本島南部の摩文仁の丘に行った。断崖から海を見下ろす丘に「平和の礎」が建つ。沖縄戦の死者については国籍にかかわりなく、また軍人であるか民間人であるかにかかわらず、その氏名が戦死者の母語で刻銘されている。2010年6月23日現在で全刻銘者240.931人のうち149.193人が沖縄県出身者である。沖縄に当時いた民間人の三分の一が沖縄戦で死んだという推計もある。「本土を守る」ため沖縄は「捨て石」にされた。 その日(6/29)の朝、那覇市内の宿泊したホテルのロビーで読んだ『琉球新報』の社説を思い出す。6月23日の沖縄戦戦没者慰霊の日に「平和の礎」の前で「沖縄へのお詫びとお礼」を口にした総理は、東京へ戻るや「米軍基地の辺野古移転を受け入れないと基地は普天間に固定される」と脅しにかかった。その態度は「『米国には一切逆らえないので、日本の安全のために沖縄は犠牲になってください』と言っているに等しい」と社説は書く。米国と戦争をしたのと「一切逆らえない」との違いはあっても、日本政府と沖縄との関係は66年前の沖縄戦のときと同じではないか。かつてナポレオンを驚かせた「武器なき平和の島」に、県民の意志を踏みにじって日本全土にある米軍基地の75%が集中する。こんな現実は変えなければならない。 ※関連する過去ログとして ☆『首里城 ~初めての沖縄②』(11年7月6日) ☆『平和の礎 ~初めての沖縄④』(11年7月9日)
by suiryutei
| 2011-08-04 09:08
| ニュース・評論
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Comments(2)
Commented
by
フーテン
at 2011-12-03 16:02
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松戸で小2女児の刺傷事件がありました。フーテンの知ってる人が松戸近辺に住んでいるので、その人は「恐ろしい奴がいるものだ」と言っていました。自分の家の近所で事件が起こったのでそう思うのも当然ですが、フーテンにはその犯人が生まれた時から「恐ろしい奴」だったとは思えません。フーテンには子供がいないので、自分の子供が被害に逢っていたらどう思うか想像できません。酔流亭さんは、もし子供がいてそういう被害に逢ったら?と想像することが可能でしょうか?やはり犯人だけを憎むでしょうか?フーテンは、毎日自分が仕事を首にならないようにせっせと働くので精一杯で、自分の住んでいる地域のことなど考えたことはありませんでした。環境問題や平和・労働運動には関心を持って参加してきましたが、今度の沖縄防衛局長の発言などにも怒りは感じても敏速に何か意思表示や行動を考えることができませんでした。「刺す前に、刺すよと言いますか。」そういうことを自分は許している責任があるような気がしました。
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by
suiryutei at 2011-12-03 17:16
フーテンさん、こんばんは。
いまフーテンさんからコメントをいただくまで、あの松戸の事件と沖縄の今度の防衛局長発言とをつなげて考えることもしていませんでした。想像力に欠けたことです。 沖縄をめぐっては同じようなことが何度くり返されるのでしょう。「またか」ですませてしまっては、そういうことをゆるすことになってしまいますね。
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