新人事制度 大阪での報告①~③
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市民サークル『フォーラム色川』が最近刊行した叢書に酔流亭の文章も掲載されているので、以下に転写します。もう3年ほども前に書いたもので、いま読んでみると随分粗(あら)の多いものですが、活字になってしまったものはしょうがない。 『フォーラム色川』とは歴史家・色川大吉さんの学問を慕う人たちの集まり。酔流亭も例会にたまに顔を出します。 なお、叢書の「執筆者プロフィール」に(光栄にも)色川大吉さん達と並んで、酔流亭はこう紹介されています。これ、自分で書いたのではないですよ。『フォーラム』のスタッフがそう見ていてくれるということ。 「フォーラム色川会員。労働現場の問題を鋭く指摘する論文を雑誌に書いている。ブログ『酔流亭日乗』では、歴史・文学・芸術と多彩な分野に鋭いエッセイを書いてファンも多い。無類のソバ好き・日本酒好きである」 (ブログ転載にあたって、叢書掲載文には無い小見出しを加えました) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 妻籠の脇本陣にて 2008年9月に行われたフォーラムのフィールドワーク(明治村と馬籠・妻籠)で一番印象に残っているのは妻籠の脇本陣だった林家を訪ねたことだ。それは私が酒好きだからだろう。林家は幕末から昭和の初めにかけて造り酒屋も営んでいたのである。「鷺娘」という銘の酒を醸していたという。娘という字を入れているところをみると、いくらか甘口だったのであろうか。飲んでみたいが、それはもう叶わない。酒造業としては昭和8年に倒産している。 妻籠の本陣は島崎家で、藤村が生まれた馬籠の島崎家の本家になる。藤村の母はこちらから馬籠に嫁した。その島崎本家に次ぐ脇本陣を勤めていたのだから、林家は堂々たる村方地主である。事実、豪壮な屋敷であった。そして同時にブルジョアジーでもあったろう。幕末に興った造り酒屋ならマニュファクチュアであり、その経営者であったのだから。 造り酒屋の自由民権 マニュファクチュアを産業革命以前の生産段階、機械化はまだされていないが一定の集団による労働が共同作業場で行われているものと考えれば(ついこのあいだまでの酒造業はまさにそうであった)、林家というブルジョアジーが存在していたということは、そこに雇われるプロレタリアも周辺にいたということである。農業だけでは食っていけない貧しい農民がそれにあたる。一方に地主とブルジョアジーを兼ねる者、他方では貧農とプロレタリアを兼ねる者。こうして賃労働と資本の関係が木曽谷のような山村にも生まれ、幕藩体制の内部に資本主義経済が孕まれてゆく。 さて藤村の『夜明け前』の時代は明治維新を前後する。林家のような農村のブルジョアジーが力をつけていった時代である。これらブルジョアジーが流通の自由と統一市場の形成を求めていった動きが明治維新につながったといってもいい。 維新変革における版籍奉還と廃藩置県によって封建的地方割拠は打ち破られ、中央集権国家が成立する。国内統一市場は形成された。しかし、その明治新政府は酒造業には増税を行なうのである。当時の酒造業は日本最大の生産額を持つ工業だったからで、つまり酒造りというのはそのころの日本を代表する産業だったわけである。酒好きとしては、なんとなく誇らしい気もするけれど、しかし増税されるほうはたまらない。せっかく自分達のモノづくりをやりやすい世の中にしょうと思って江戸幕府を倒す運動に加わったのに、そのあと出来た政府に頭を押えつけられるのでは、何のための維新であったのか。 そこで明治10年代には酒屋会議なんてものが生まれた。酒税増税に反対する全国の造り酒屋のネットワークであり、当時は自由党最左派であった植木枝盛もこの運動に一枚噛んでいる。会議召集の檄文は名文家の彼が書いた。このとき全国の造り酒屋は自由民権運動の先頭に立ったのである。酒好きとしては、ますます誇らしい。 明治維新をめぐって しかし福島事件や秩父事件がそうであったように、この酒屋たちの民権運動も強権によって潰されていく。結局、自由民権運動は敗北し、その敗北の上に明治22年の大日本帝国憲法発布となる。こうして生まれた大日本帝国は絶対主義国家であった・・・と結論づけるには、しかし様々な異論があるようである。例の日本資本主義論争にみられるごとく、左翼的な(つまり明治国家に批判的な)学者の間でも議論は分かれる。私は今年の神田古本祭りで『明治維新の分析視点』(上山春平著。講談社。1968年刊)という本を見つけ、ついさっき読み終えたところだが、この本の著者・上山氏も明治国家が絶対主義であったことに否定的だ。氏によれば、封建的大土地所有(諸侯による領国支配)を廃止したことによって明治維新はブルジョア革命の課題を基本的に遂行した。だから近代天皇制というのは絶対主義ではなく、フランス革命で絶対主義が倒されたのちに出現したナポレオン・ボナパルトの独裁にむしろ共通する性格を持っていたとする。 この上山説に私はいくつか疑問があるけれど、しかしその上山氏も、祭政一致のどす黒い支配体系が近代天皇制の下にとぐろを巻いていたことまで否定しているわけではない。氏が初期ブルジョア国家と呼ぶものには絶対主義と共通する性格が強いのである。そして、内には抑圧的で外へは侵略的な、そのどす黒くとぐろを巻いているものがやがて昭和のファシズムへつながっていく。 司馬史観の盲点 ところで司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』があれだけ多くの読者を得ることに成功したのは、二度のオイル・ショックを乗り越えて先進国の仲間入りした戦後日本の経済成長が、日清・日露の戦争をへて列強に仲間入りした明治国家の英雄神話と二重写しされたからであろう。あの小説の躓きの石は、まさにその成功にあったように思う。というのは、天皇の地位が大きく制限され、いっぽう市民の自由はある程度は前進した戦後日本の気分が、あの小説では明治国家にまで投影されているようなところがあるからだ。天皇制抜きの国民国家というのが、司馬明治国家論の特徴である。だから日露戦争を祖国防衛戦争などと言う。なるほど、かたや「軍事的封建的帝国主義」のツァーリ、かたや生まれたばかりの国民国家が組み打ち合うのであれば、それは後者にとっての防衛戦争ということになってくる。事実は、後者だって大陸への侵略の野心満々だったのであるが。 フォーラムの例会で『坂の上の雲』文庫版1・2巻を取り上げたとき、1巻のほうの報告を任されながら言いそびれたことは、あの小説の作者は天皇制と向き合うのを避けているということ。戦後憲法を大事にしていることは評価されてよいと思うのだけれど。 (フォーラム色川叢書『森の奥で誰かが』Vol.1 54ページ~) ※関連する過去ログとして ☆『馬籠と妻籠』(08年9月26日) ☆『「坂の上の雲」第一巻についてのレポート』(08年10月19日) ☆『明治国家とは何であったか』(08年10月21日)
by suiryutei
| 2012-03-19 13:24
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