新人事制度 大阪での報告①~③
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『伝送便』誌上を通じ、また本ブログを通じて全国の仲間に訴えます。 ご苦労なこととは思う。けれども、深夜勤務明けの疲れた身体を鞭うち、あるいは週休や年休を使って選挙動員に応じる限られた数の役員と、私を含めて冷ややかな目でそれを見る組合員との距離は、前者が献身的であればあるほど開いていく。職場の現実との接点があまりに乏しいからだ。他方、役員からすれば、「こっちがこんなに汗をかいているのに、何もやらない奴の文句なんか聞いていられるか」という思いが嵩じることだろう。もっとも、近頃はオルグ等も滅多にやられないから文句を吐き出す場もなくなった。七月一日付JP労組新聞の一面に「さだみつ克之<全国ファイナルオルグ>報告」という見出しがあるから、オルグという言葉はそんなふうにはまだ使われているようだけれども職場では死語に近い。 ところが、そんな或る日の支部日刊紙に「政治をあきらめるな!」と題する記事が載った。棄権だけはしないよう訴えるその記事には「さだみつ」候補のさの字も出てこない。記事を書いた人はおそらく、沖縄へのオスプレイ配備に歯噛みするような思いを持ち、また脱原発行動に参加したりしてきた人なのだろう。しかし「さだみつ」候補の訴えからは沖縄も原発も抜けている。のみならず全国大会議案からも。支部機関紙上では言葉に出してそれを批判することができない。が、言いたいことは行間から滲み出ている。こうしたJP労組員は全国にまだ少なくないだろう。その思いを、声なき声ではなく発せられた言葉として、今月二〇日からのJP労組全国大会にぶつけていこう。この稿を含む今号特集記事はそのために編まれている。 「五年総括」が見ようとしないもの その全国大会議案および「五年総括(案)」をどう読むか。まず思うのは、これが労働組合の議案書だろうか、ということである。すこし古い話をすると、第一次世界大戦後の日本の主に大企業には工場委員会というものが設置された。これは、当時作られ始めた(企業の枠にとらわれない)横断的な労働組合の影響力を排除しつつ、企業内で労使の意思疎通を図り協議を行う機関。第二次世界大戦が迫り戦時体制になると産業報国会に発展する。労働組合と異なり、ここでは経営側と労働側が同じ方向を向いている。職場環境なり作業の進め方について「協議」は行うけれども労使が向き合って団体交渉や争議をすることはない。両者の利害は「会社の発展」という方向で一致すると考えるからだ。前者による後者の搾取には目をつぶるのである。この工場委員会から産業報国会という流れを承けた企業内従業員組織のようなものへとJP労組はいよいよなってきた。労働組合なら、賃金など労働条件は企業経営の与件(前もって与えられたもの)となるよう努める。力関係があるから、この方向が貫徹しきれるわけではないが少なくともその方向を追求する。ところが戦前の工場委員会に淵源する企業内従業員組織であれば、初めから企業経営・支払い能力の枠内でしか考えようとしない。 郵政に限らず、もともと戦後日本の企業別正社員組合にはそういうところがあった。労使協議を行う組織としての従業員代表機関と、団体交渉や労働争議を行う組織としての労働組合とがゴッチャになっているのである。天皇制国家の野蛮な弾圧によって労働組合運動の健全な発達が阻まれたという戦前の負の遺産の上に、戦後は猛スピードで労組が建設されたという事情がこれには与っている。もちろん我が国戦後労働運動史を紐解けば、そのうちの後者(労働組合)の機能を伸ばそうとする先輩たちの闘いがあり、郵政ではその努力が「権利の全逓」と呼ばれる一時代を創り出しもした。刑事弾圧を受けながらも、逆に争議行為の刑事罰からの解放をもたらした全逓東京中郵事件(一九五八年)など。すると、これに対抗して戦前来の労使協議機関へと引き戻そうとする動きも強まり、これは第二組合の結成という形をとる。会社が手を突っ込んでもくる(二組を育成する)。これも郵政に限らず大抵の産業で戦後進行した事態である。 郵政においてこの両者の相克が団交・争議ではなく協議・労使協調の方向で一応の収まりをつけたのが五年前のJP労組発足=旧全逓・全郵政の合併であった。工場委員会→産業報国会への本卦還りである。問題はこれが労働者にとって吉と出たのかどうか。宅配便統合の失敗は労使が同じ方向を向いて狎れあってきたことも原因の一つではなかったか。その失敗が産んだ大赤字を理由に正社員の一時金は大きく削減されたまま三年目を迎え、正社員化構想は反故にされるいっぽう六十五歳以上雇止めなど非正規職リストラが進む。にもかかわらず、この労組というか労使協議機関はストライキを打つ構えさえみせないのである。「五年総括」をやるというのなら、その視点の基軸は、進めてきたこの方向でよかったのかということそのものの問い返しでなくてはならぬ。ところが「総括(案)」はこの五年間にあれが起きました・これをやりましたとズラズラ並べるだけ。肝心なことは素通りだ。 解雇自由化論の背景 ただし、議案書に労組っぽい文言が全く見当たらないわけではない。<1、提案にあたって>の中の「雇用情勢」について述べたくだり(議案書二ページの四段目)を見られたい。「政権による労働規制の緩和」に対しては「もし現実のものとなれば雇用回復以前に、雇用の安定性が失われかねないこととなるため、これらの動きに対しては連合の仲間とともに、毅然とした対応をはかっていかなければなりません」とある。珍しく強い語調である。その背景にあるのは、昨今花盛りな「解雇自由化」論議に見られる財界雇用戦略の深化だ。 日経連が一九九五年に提言した『新時代の日本的経営』は、正規雇用を抑制し非正規雇用の拡大でそれを補うとした。その下で、一九九二年に一〇五三万人(雇用者全体のうち二一・七%)だった非正規労働者はついに去年二千万人を超えて二〇四二万人となった。率では三八・二%である。その多くは年収二〇〇万円以下。財界および政府がワーキングプア作りの旗を振ったのだ。そして、それを座視したのがJP労組を含む大手正社員組合であった。『新時代の日本的経営』は、正社員の既得権にはまだ直接には切り込むものではなかったからである。もちろんそれは表向きの話で、同じ時期、出向また転籍という形での労働条件切り下げ、成果主義賃金体系の下での賃下げ、さらには「追い出し部屋」を通じて“希望退職”に追い込むといった陰湿な手口も横行する。厚労省によれば、過労や仕事のストレスを原因とする「心の病」労災は去年、前年度から一・五倍も増えて四七五人と過去最多。そのうち自殺・自殺未遂は前年より二七人増えて九三人で、これも過去最多である。また独立行政法人「労働政策研究・研修機構」の調査では心身の病気で会社の休職制度を使った人のうち四割はそのご退職しているという。いや氷山の一角に過ぎぬ公表された数字をわざわざ挙げるまでもない。私たちの職場を見渡せば、心身を病んで休職さらに退職に追い込まれていった仲間はざらにいる。これをなんと見るか。非正規使い捨てと並行して正社員切りもまた隠微な形で進行しているのである。 今日の「解雇自由化」論議は、水面下で進んできたそれを、もっと大っぴらにやりたいということだ。そうなれば、質も量も桁違いにひどくなるだろう。「希望退職」や自殺は個人の問題だと知らぬ顔を決めていた大単産幹部たちも、その払う組合費が自分たちの労働貴族的生活を保障してくれる正社員組合員にあからさまに大ナタが振るわれるとなれば、さすがに黙っているわけにはいかなくなったのである。 ワークライフバランスの嘘 ところで『新時代の日本的経営』は労働力の三区分で有名であった。①無期雇用の正社員、②専門能力を持つ有期雇用社員、③低賃金で使い捨てできる有期雇用社員、という三グループ化である。我が日本郵政が最近明らかにした「労働力政策」でも三つのグループ分けが行われているけれども、その内容は『新時代の日本的経営』の三区分とはいささか違っている。前者における②があまり見当たらなくなって①が二つに割れるのだ。比較的高い賃金の地域基幹職とずっと低賃金の新一般職と。このうち新一般職は、こんにち解雇自由化の切り札みたいに言われている「限定正社員」と似たところがある。全く同じではなく、その異同については本誌前号で椿茂雄さんが分析されている通り(『新一般職を考える』)だが、椿さんも書かれているように従来より極端に賃金が安くされるという点では両者は重なり合う。そして重要なことは謳われている「働く者のニーズに応じた多様な働き方」とか「ワークライフバランス」などというのが全くの嘘っぱちだということ。同じような仕事をして賃金だけ安くなるのなら、「限定」や「新」付きの正社員を誰が好んで希望するか。 従来の正社員をメンバーシップ型、「限定正社員」をジョブ型と規定し、企業の構成員という身分と引き換えに長時間労働や無限の忠誠を要求される前者よりは、職務に対応した雇用契約である後者のほうが雇用の本来の在り方には近いと考える論者もいる。一理はある。世界でも珍しい「社畜」的働かされ方から、多少の賃下げを代償として日本の正社員が脱け出すための契機になるのではないかというのである。日本の雇用の在り方全体がジョブ型に転換するのであれば、また「限定正社員」の賃金が財界の望むような低いものでなければ、そういう見方もできるだろう。 しかし、事態はそうは進まない。従来のメンバーシップ型正社員は数は減っても残されるからである。つまり格差がもうひとつ作られるのだ。生活するに困難な低賃金であれば、賃金の安い方(「限定正社員」)は高い方(従来の正社員)に選ばれるべく熾烈な競争に投企せざるをえない。その競争は、正社員が従来しいられていた以上の奴隷的働き方を要求するだろう。 声を上げよう! 今大会の焦点である「新たな人事・給与制度」は、正規・非正規を問わず郵政で働く全ての労働者を奴隷的働き方へと投げ込むものだ。非正規から新一般職に登用されるにあたり、また新一般職から地域基幹職に転換するにあたっては会社による選別(しかも狭き門!)を通り抜けなくてはならず、地域基幹職になればなったで会社への忠誠競争や生活を踏みにじる転勤等々が待っている。前記した、大会議案中にある「毅然とした対応」が口先だけでないのなら、それは自らの目の前に突き付けられたこの悪制度に対してこそ向けられなければならぬ。 まだ遅くはない。同制度の導入は全国大会での承認を経なければならないのだから。すでに選出ずみの大会代議員たちに「新たな人事・給与制度」に反対することを求めよう。全国から力を合わせて。
by suiryutei
| 2013-08-03 09:00
| ニュース・評論
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