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かねてから読んでみたいと思っていた小熊英二さんの大著『1968』(2009年刊行)を地元の図書館で見かけ、ようやく手にとることができた。 ところが、なかなか読み進めることができない。なにしろ重たいのである。内容のことではなくて物理的な話。 上・下二冊だが、それぞれ約1000ページである。著者ご本人が「本書の分量は通常の単行本でいえば十数冊には相当する」(あとがき)と述べている。いっぽう酔流亭の読書の場といえばほとんどが通勤電車の中だ。こんな重たい本を弁当箱と一緒に持って家を出たのでは職場に着く頃には腰が痛くなってしまう。そこで家にいるとき、酒を飲んだりブログを書いたり夜の仕事に備えて昼間寝る合間をぬって、すこしずつ読む。 飛ばし読みになってしまった。 そういうわけで、ちゃんとした感想は書けない。いくつかメモだけ書きつける。 まず、小熊さんの著書はどれもそうだが、とても面白い。思考を刺激してくれる。高度成長の真っただ中に、すなわち物質的には目に見えて「豊かに」なりつつあったあの時代に、革命を呼号するああした現象がなぜ起きたのかについては、酔流亭もかねてから不思議な思いがしていた。「一言でいうなら、あの叛乱は、高度成長にたいする集団摩擦反応であった」という結論そのものより、その論証の丁寧さが本書の価値だろう。 ただ不満もある。丸山真男を罵倒した人たちが、しかし丸山の考えについて極めて浅い理解しか持っていなかったことを著者が指摘するのはその通りだと思う。では 「マルクス主義の公式見解にしたがえば、『心』などは経済的な下部構造に決定される上部構造の一部にすぎず、革命をおこせば自動的に『心』の問題など解決するし、『心』を単独で考えていても意味がない」(下巻790ページ) 著者のこのマルクス主義理解は浅くはないだろうか。 なるほど「マルクス主義の公式見解」では世の中を変えなくては心の問題も本当には解決しないとする。が、「変えなくては解決しない」ということと「変えれば自動的に解決する」ということとは違う。 かつて網野善彦と対談してあれほどの深い議論を引き出すことができた小熊さんである。唯物論に誰よりも徹底していた服部之総が、なにゆえ『親鸞』と『蓮如』の二著を格闘しつつ書いたかにも思いを致してほしかったと思う。物知らずの自称マルキストのことは知らぬ。しかし、まっとうなマルクス主義理論家に「自動的」などという安易な形容で心の問題を論じている人など見たことがない。著者はマルクス主義そのものにあたるよりマルクス主義批判者の言説を通じて同主義を理解しているように思われる。 単純な事実誤認もある。当時(1968年前後)「他の欧米先進国では・・・古典的な革命理論を掲げるマルクス主義団体が広範に存在する余地がなくなっていた」(下巻821ページ) あの時代、フランスやイタリアで共産党が持っていた影響力は日本の左翼勢力の比ではなかった。あれらの党が「マルクス主義団体」ではなかったとは言われないであろう。 今日の先進資本主義国で起きている問題にマルクス主義ではもはや対応できないという思いこみが小熊さんにはあるように思われる。なるほど新左翼党派がふりかざしてきた粗雑な「革命理論」が塵芥の山を残したに過ぎないというのは酔流亭も同感だが、あれらはマルクス主義の用語を用いつつそれとは別物であったことも小熊さんは本書で論証しているではないか。 図書館に返しに行く時間が迫ってきた。下巻829ページ「高度成長に適合した運動形態」という項から、これからの運動を作っていく上で考えさせられること大であったことを付記してメモを終える。
by suiryutei
| 2014-04-03 11:11
| 文学・書評
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