新人事制度 大阪での報告①~③
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昨夜、千駄ヶ谷区民会館で開催された「沖縄の元海兵隊員による性暴力殺害から1年、基地・軍隊はいらない4.29集会」は220人が参加して中身の濃いものだった。集会のあとペンライトを手に渋谷駅近くまでデモ行進した。しかし、その報告はまた後日に。 今日UPするのは『伝送便』誌5月号に寄稿した文章。ちょっと長いですが、明日のメーデーは記事の更新を休むので、二日がかり(?)で読んでいただければ。 三月二十八日、政府の働き方改革実現会議(議長・安倍晋三首相)は最終会合を開いて「働き方改革実行計画」を決定した。全二八ページに及ぶ「計画」は、四年間のアベノミクスは大きな成果を生み出した云々と、アベノミクスの礼賛から筆を起こす。一月の通常国会冒頭における所信表明演説の焼き直しを読まされるようでげんなりするのみならず、衣の下に鎧がはやくもチラつくのだが、そのあたりは後述しよう。まず問題なのは、やはり時間外労働の上限規制はこれでいいのか、という点である。 あまりにユルユルだ ①三六協定(時間外・休日労働に関する労使協定)を結ぶことで週四〇時間を超えて認められる残業の上限を原則として月四五時間、年三六〇時間とする。 ②特例として「臨時的な特別の事情がある場合」ないし「一時的に事務量が増加する場合」は、特別条項付き三六協定を結ぶことにより、二~六ヵ月平均で月八〇時間、単月なら一〇〇時間未満、年間では七二〇時間までを認める。特例の適用は年六回まで。 ③八〇時間や一〇〇時間は休日労働を枠内に含むが、月四五時間、年三六〇時間ならびに年七二〇時間は休日労働を別枠とする(つまり休日も働かせれば月八〇時間×一二か月で最大年九六〇時間が可能)。 ④建設・運送業、医師は上限規制の適用を五年間猶予し、研究開発業務は適用除外。 建設、運送、医師、研究開発業務は長時間労働と過労死の多い業種である。そこは適用を猶予・除外してどうするのか。運送業は五年後に年間九六〇時間に規制するということだが、バス・タクシーの運転手やトラックドライバーが加入している運輸労連と交通労連は四月三日、道路貨物運送が過労死の労災認定が最も多い業種であることを指摘して、五年後には一般と同じ上限規制(特例で七二〇時間)を適用せよと厚労省に要請した。この控えめな抗議が事態の本質を象徴するエピソードであるかと思う。実効ある規制というにはあまりにユルユルなのだ。 特別条項って何だ ②にあるように、特別条項によって年に半分までは月一〇〇時間未満の時間外労働をやらせることができる。この特別条項については本誌三月号の奥山貴重さんの記事(『何でも特別条項?』)が職場の実態をふまえた優れた報告であり、批判だ。そもそも年の半分まで締結可能なものを臨時とか特例とか言うであろうか。月一〇〇時間、二~六か月なら平均で八〇時間という数字は、厚労省の過労死認定基準をそのまま持ち込んだものである。その二〇〇一年十二月に出された「脳・心臓疾患の労災認定基準」における長期間の過重業務の労働時間評価の目安は、 (一)時間外労働が発症一か月におおむね一〇〇時間を超える、または発症前二か月ないし六か月にわたって月あたりおおむね八〇時間を超えると認められる場合は、業務との関連が強いと判断する (二)発症前二か月ないし六か月にわたって、時間外労働が月あたりおおむね四五時間を超えない場合は業務と発症の関連性が弱く、四五時間を超えて長くなるほど両者の関連が徐々に強まると判断する というものである。不幸にも過労死が起きた場合の労災認定基準としてならこれが画期的な意義を持つことは言うまでもない。一九六一年から八七年までの認定基準は、発症の直前、少なくとも当日に従来の業務内容にはなかったほどの過激な業務に従事したと証明されない限りは労災と認定しなかった。だからこの時代、労災と認定された過労死はほとんどゼロだ。一九八七年になって、発症前一週間以内に日常業務に比して特に過重な業務に就いたことによる過重負担も認めて、わずかに基準をゆるめた。これらの旧基準に対して現行の二〇〇一年基準の画期性は、一か月一〇〇時間、二~六か月八〇時間と期間を長くとることによって過労死の要因としての蓄積疲労を考慮できるようになったことだ。電通過労死事件の高橋まつりさんの労災認定でも一番の決め手となったのは自殺前一カ月の彼女の時間外労働を労基署が一〇五時間と算定したことである(実際はもっと多かったろうが)。 直近の二〇一五年の数字では脳・心臓疾患による死亡で労災申請二四六件のうち業務に起因すると認定されたのは九六件(三九・〇%)、自殺では申請二〇五件のうち認定九三件(四五・四%)となっている。過労死問題に取り組む弁護士によればまだ氷山の一角であって実際の過労死・過労自殺は年一〇〇〇件を下らないとのことだが、それでも現行の基準が労災認定への道を開いたのは明らかである。遺族や弁護士たちの労苦の賜物に他ならない。 認定基準と上限規制は違う ところが、過労死が起きてしまったときの認定基準の一部を、基準がそこまで辿り着いた経緯を深く考察もせずにそのまま、働く者の健康確保(死にさえしなければいいというものではない!)のための時間外労働上限規制に横すべりさせたのが間違いのもとである。長期にわたって疲労が蓄積して死に至る場合もあれば、短期間でも荷重な勤務が集中したために心身が破壊される場合もあるからだ。現に二〇〇一年基準も「業務による明らかな過重負荷」の原因として ①発症直前から前日までの間に、異常な出来事に遭遇した場合 ②発症前一週間程度の時期に、特に過重な業務に就労した場合 ③発症前一か月間に時間外労働がおおむね一〇〇時間超、発症前二~六か月間の月平均 時間外労働がおおむね八〇時間超 の三つを挙げている。日・週の単位では規制せず、一カ月で○○○時間あるいは○ヶ月にわたって平均して○○時間・・という基準だけの規制では③には有効でも①と②のケースを防ぐことはできないのである。 働き過ぎについて早くから優れた発言をしてきた森岡孝二・関西大学名誉教授が三月三十一日更新のブログでただちに批判されている(『政府の残業規制案は八時間労働制の放棄に等しい形骸化を招きます』)。この上限規制案は一日および一週については残業の限度を設けていない(現行は一週については一五時間)。そこで一日一〇時間の残業(実働一八時間)を一〇日続けてさせることも、週五〇時間の残業(実働九〇時間)を二週間続けてさせることも、月の残業時間が一〇〇時間未満であれば合法的として許されることになる。こんな働かせられ方では一か月とか二~六か月とかを待たずに労働者は壊れてしまう。 ちなみに欧州連合(EU)では、ここも近年、新自由主義に浸食されつつあるとはいえ、労働指令によって一週は残業を含めて四八時間以内。それに前日の終業から翌日の始業まで最低連続一一時間以上の休息を確保することを義務づけている。たとえば二三時まで残業をすれば翌日はどんなに早くとも一〇時前に勤務に就くことはできないから、一日単位でもかなり規制できる。この勤務間インターバル制は働き方改革会議でも議論にはなったものの「努力義務」にとどまった。「やろうと努力したけど人不足で無理だった」という経営側の逃げ口上が今から目に浮かぶ。 一日単位の規制にこだわりたいのは、週四八時間から四〇時間に移行した一九八七年の労働基準法改定のとき、それまで「一日八時間、週四八時間」だったのが「週四〇時間、一日八時間」と順序が入れ替わった。四八時間から四〇時間への「巨歩」の前では些末な問題と思われるかもしれないけどそうでもない。順序が替わって一日が後ろに下がったことで八時間労働という理念そのものが後退した。一日ごと八時間にこだわらず、一定の期間をとって平均して一日八時間におさまっていればいいじゃないかという労働時間の弾力化、変形労働時間制がここから拡がっていったのである。後述する裁量労働制はこのとき導入されたのだし、郵便内務における実働一〇時間の深夜勤なども、これによって可能になったのだ(二〇〇四年導入)。なお今回の上限規制案が深夜労働や交代制労働などの不規則勤務についての配慮がないことについては過労死弁護団全国連絡会議幹事長の川人博弁護士がただちに批判している(『働き方改革実現会議実行計画について』三月二八日)。 政府、経営側が狙うもの ところで、連合が自分の体面のためにこだわった「一〇〇時間未満」の未満という言葉にすら経団連は首をなかなかタテには振らず、安倍首相の「裁定」を待った。残業は一分単位で計算するから上限を一〇〇時間とするか九九時間五九分とするかは違いというほどのちがいではない。ことほど左様に経営者は労働時間に規制をかけられることを嫌がるものなのだ。働き方改革実現会議の場で安倍首相がのたまったような「労働生産性向上で時間短縮を」というのが世間知らずのボンボンの戯言でしかなく、現実の労働現場がすでにじゅうぶん過密労働の修羅場であることは経営者だって承知している。人手不足と(そこからくる)過重労働をどうにかしないことには長時間労働の是正なんか出来っこない。しかし経営者は充分な労働力を購入することにコストをかけたくはないのである。 それでも上限規制を一応は受け入れた魂胆は何か。それと引き換えに、「週四〇時間・一日八時間」という労基法本来の規制に守られない労働者を増やしていくことである。働き方改革実現会議に提出された統計によれば、前述した労働時間の弾力化によって、一日八時間・週四〇時間が文字通りに守られている労働者は現状でもすでに半分を切って三九・六%。残りの六〇・四%は交替制勤務とかフレックスタイムとか事業場外みなし制とか裁量労働制で働いている。このうち裁量労働制というのは、あらかじめ決めた労働時間だけ働いたとみなす。実際にそれ以上はたらいていようと労働時間に数えられない(実際の労働時間は平均一時間以上長くなっているという調査がある)。今はコピーライターとか新聞記者、あるいは企画といった業種に限定されていて、労働者全体のうち一・七%ほどである。他の勤務形態では弾力化されたとはいえ週四〇時間という基準があるけれども裁量制ではそれが崩されている。さらに新設が狙われている高度プロフェッショナル制では時間外労働という概念が全くない。残業代ゼロというやつである。つまり政府、経営側は一九八七年の労基法改定のときは週四八時間から四〇時間への「時短」と引き換えに労働時間を弾力化することに成功した。二匹目のドジョウを狙って、今度は上限規制を受け入れることとの交換に、その最大上限(過労死ライン)の枠内では好きなように働かせる「自由」を手に入れたいのだ。労働者の健康、生活のリズムなど全く考慮されなくなる。実際、「月一〇〇時間」「年間七二〇(九六〇)時間」ばかり喋々される中で、労基法上の所定労働時間である「週四〇時間・一日八時間」は労働側においてさえ影が薄くされてしまっているではないか。 ネットワーク再編とも さすがに連合も裁量労働制の拡大や高度プロフェッショナル制には反対してきた。ところが、蓋を開ければ「働き方改革実行計画」にはこれらを進めていくことが明記されている。二四人のうち労働側は神津・連合会長ただ一人という実現会議の歪(いびつ)な構成から予想されていたことといえ、白昼公然たるこんな違反行為を許してはならない。 さて郵便が近年労働時間の増えている業種なのは今ここで述べるまでもなく現場にいる仲間が身にしみていることだと思う。運送業が建設業などとともに上限規制の適用から外されていること、関係労組がそれに抗議したことは先に触れたが、日本郵便がそちらへ力点を移しつつある物流業は運送と重なる。いま進められようとしている郵便・物流ネットワーク再編の下で、勤務のいっそうの不規則化、超勤強要や新たに開局する拠点局における深夜労働の拡大など「働き方改革実行計画」が目指す方向は私たちの労働現場をさらに過酷なものにすること必定だ。 焦点は秋の臨時国会である。実現会議から労働政策審議会の場に移った「実行計画」の動向に目を凝らしつつ、上限規制をまともなものにする闘い・労働基準法改悪をゆるさぬ闘いを創り出そう。労組はじき全国大会の季節だ。ユニオンもJPもそう。すでに旗幟鮮明な労組はさらに闘いの強化を。連合系の労組にあっては現場から声を押し上げて行くことで指導部をして動揺・屈服させるな。 追記ーいなげや店員の過労死 本誌の原稿締切りはいつも二〇日前後。そこで四月一六日から書き始め、ここまで書いてきたところで一八日の朝刊を開くと、スーパーいなげやの店員が過労死していたという記事が目に飛び込んだ。同スーパーの食品売り場で発注や在庫管理の責任者をしていた当時四二歳の男性が二〇一四年六月に脳梗塞で死亡したのをさいたま労働基準監督署が長時間労働による過労死だと労災認定していたことがわかったというのである。 労基署が認定した男性の時間外労働時間は、発症前の四カ月(一四年一月二六日~五月二五日)の平均で七五時間五三分、一カ月あたりの最大は九六時間三五分(一四年一月二六日~二月二四日)。政府が導入を目指す罰則付き残業規制の上限である「二~六カ月の平均でいずれも月八〇時間」「単月で一〇〇時間未満」の範囲内だった。しかし、記録に残らないサービス残業をしていたらしい。それと深夜勤務など不規則な交代制勤務であったことも労基署は考慮した。 縷々批判してきた「働き方改革実行計画」と照らしてみるとき、問題はさしあたり三つあるように思われる。 まず、一〇〇時間や八〇時間の上限規制では過労死は防げないという痛ましい実例をまたもや突きつけられた。 つぎに、記録に残らないサービス残業が行われており、それも加えれば八〇時間、一〇〇時間を超すと労基署は判断したのだろうが、「実行計画」は現在どこの職場でも実態であろうこうした時間管理の曖昧さを是正する具体的方途を示していない。 さらに、このケースでは労基署は不規則勤務による負荷を正当にも考慮したけれども、「実行計画」にはその視点がないことは先に触れた。
by suiryutei
| 2017-04-30 09:26
| ニュース・評論
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Comments(2)
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by
saheizi-inokori at 2017-04-30 10:15
メーデーにおける連合会長のあいさつで「ゆめ、100時間までは許されるというようなことではなく」、語るに落ちたような感じがしました。
憲法で高等教育無償化と細野が言ってるのも裏切りですね。
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by
suiryutei at 2017-05-01 07:17
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