新人事制度 大阪での報告①~③
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この前の水曜日、[金寿司]ジュニアとお母上に牛久にあるラーメン屋に連れて行ってもらった。この親子は店の定休日には周辺の旨いもの屋によく出かけていくらしい。 利根川沿いをすこし下って、布佐のあたりで川を渡り、茨城県に入る。道端に「民俗学の父・柳田国男のふるさと」という看板が出ていた。柳田は明治20年、茨城県北相馬郡布川町に医者をしていた長兄をたずねて関西から移住している。少年時代をこのあたりで過ごしたのである。 今日の日記の本題からはそれるけれど、当時のエピソードをひとつ書いておく。 「・・・柳田はそこでおそろしいものを見る。どの家も、子供といったら男の子と女の子と二人しかいないのである。 ある日、村の地蔵堂に行った。絵馬がかかっていた。その図柄は、産褥の女が、鉢巻をしめて生まれたばかりの赤子を力いっぱいおさえつけているというものであった。障子にその女の影絵が映り、それには角がはえている。そのそばに地蔵さまが立って泣いている。 そのとき十三だった松岡(柳田)国男はその意味を理解し、水を浴びたような気持ちになった。そして、家に帰って、かれは『救荒要覧』などを読みふけり、大学に入ってからは飢饉の研究に励んだという。柳田は晩年に告白している。 『その経験が、私を民俗学の研究に導いた一つの動機ともいえるものであって、飢饉を絶滅しなければならないという気持ちが、私を学問にかりたて、かつ農商務省に入らせる動機にもなったのであった』(『故郷七十年』)」 上の文章は色川大吉著『近代国家の出発』の中の「資本主義創世記」という章からの引用である。明治20年といえば、自由民権運動を弾圧し潰しさった後に、「資本の原始的蓄積」と経済史では呼ばれる過程が進行しつつある時代であった。 さてラーメンの話。金寿司ジュニアの運転する車は、やがて農村の中にある小さな店に着いた。もう1時をまわっているというのに、駐車場はほぼ満杯。じつにはやっている店である。半チャンラーメンの、酔流亭は醤油、女房は味噌をもらう。コクのある味で、麺も美味しかった。チャーハンには刻んだ叉焼がたっぷりで、これもいける。 最近、某TV番組で柏地区のラーメン・チャンピオンに輝いた南柏の[くらま]も金寿司ジュニアに教えてもらった店だ。さすが旨い食べ物屋の跡取りはいい店を知っている。そのうちまたどっかに連れて行ってもらお。
by suiryutei
| 2005-06-25 09:51
| 酒・蕎麦・食関係
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