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ことに「9.11」以降の殺伐とした世界を思うと、広島・長崎および1954年のビキニ被爆を出発点とする日本の原水禁運動が、核を使用したアメリカに対する憎悪へは向かわず、核兵器と戦争の廃絶を訴え続けてきたことには、貴重なものがあるのではないだろうか。 勿論その背景は複雑である。 戦後の日本政府は一貫して親米路線をとってきたから、、その足元での運動が反アメリカへと向かうことが抑えられてきたということがある。政府がそうだっただけでなくだけでなく、「強者=アメリカ」になびきやすい日本人一般の性質というものもあるだろう。 しかし、それ以上に重要なのは、自らが始めた戦争という自覚が、報復ではなく戦争そのものへの自省的態度を育てていったことではないだろうか。 「日本は、原爆体験という基盤のうえに立って世界の非武装・非核の唱道者となることで、過去の失敗を(あるいは犯罪を、あるいは悪行を、あるいは罪を)一部なりとも償うことができる、という考えがしだいに平和運動の中核をなす教義となった」(ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』下巻323ページ)。 報復の論理と狭いナショナリズムを乗り越えていく可能性がここにあるように思われる。「9.11」後の今こそ必要なことだろう。 6日の広島、9日の長崎と、今年も原爆忌が過ぎた。酔流亭は10代の終わりの3年間、夏は広島と長崎に行っていた。3年目の20歳のときは、もう学校を中退するつもりでいたから、広島に発つ日(8月4日頃だったかしら)の昼間は国立の郵政研修所で採用試験を受験し、その足で東京駅発の夜行に乗るという慌ただしさだった。とくに核問題に高い問題意識を持っていたわけではなく、友人に誘われたからという軽い動機である。また、そのときの体験をその後の人生にどう生かしたかと問われれば、広島と長崎にちょっと申し訳ないような気がする。当時、署名運動などを一緒にやった友人とも、何人かと年賀状のやりとりが続くだけで、もう何年も会っていない。 被爆から60年、酔流亭の広島・長崎体験からも30年がたつ。
by suiryutei
| 2005-08-10 10:42
| ニュース・評論
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