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袴田事件について、東京高検は最高裁への「特別抗告」を断念した。これで再審が開始される。袴田巌さんの冤罪がはらされることは間違いない。 同事件についての一昨日の更新記事では、6年前に映画『獄友』を観たとき書いた過去記事も貼り付けておいた。 この記事にもあるように、冤罪は袴田事件だけではない。それら全てが一刻もはやく糺されなくてはならない。 『獄友』には狭山事件の石川一雄さんも登場する。もう獄につながれてはいないけれど、冤罪がはらされたわけではない。ここでも再審が早く開始されなければ。 今月13日に東京高裁が再審開始の決定を出した後、たしか『週刊新社会』紙上だと思うが、ルポライターの鎌田慧さんが連載コラムで「つぎは狭山だ」と訴えていた。同感である。 ともあれ「特別抗告」を断念させたのはいいニュースだ。安心して、今日はWBC(ワールドベースボール)の中継でも視ようか(もう試合は始まっている)。NHKの朝7時台のニュースがWBC関連をトップに持ってきて、袴田事件について伝えるのは二番目にしたのはどうかと思うが(自局で中継するわけでもないのに)。 それにしてもメキシコー日本の試合というと、1968年メキシコ五輪のときのサッカー3位決定戦を思い出しますね。あのとき酔流亭は中学二年生だった。そうして1966年に逮捕された袴田さんはすでに獄中であった。 流れた歳月のとてつもない長さ、権力の罪の深さを思う。
by suiryutei
| 2023-03-21 08:30
| ニュース・評論
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Comments(4)
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隅田のカッパ
at 2023-03-21 20:54
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今回の再審開始確定によって無罪同然の状態になりました。
このよろこびは、本人である袴田巌さんが一番うれしかったはずです。 しかしテレビ画面で見る限り、袴田さんによろこんでいる様子はなく、不安そうな眼差しでいることが印象的でした。 「確定死刑囚としての立場は42年を超える。9年前に釈放されるまでの長年の拘禁は、死刑への恐怖から精神の均衡を崩した」(21日朝日新聞)とあって、この事実が事態の認識を曇らせているのだと考えられます。残酷至極に思いました。確定死刑囚になった42年前とは、1981年です。1980年頃、救援連絡センター発行の「救援」で支援を呼びかける記事で、袴田さんの様子がおかしいこと、精神を病み始めていることが伝えられたことを記憶しています。 この頃の袴田さんは一番苦しかったのではないでしょうか。無実なのに最高裁でも認められず、確定死刑囚となっていつ執行されてもおかしくないからです。死刑への恐怖が拘禁ノイローゼに陥らせ、精神病者になったのです。 精神の均衡を維持し、死刑の恐怖からまぬがれるにはどうしたらよいか。それは、再審請求をやめ、死刑判決を受けとめることだったのではないでしょうか。そうすれば、死刑執行があったかもしれませんが、病者にはならなかったのではないかと考えます。 袴田さんは、そうではなく、たとえ病者になってでも再審請求はやめず、あくまで無実を争う姿勢を崩さなかったのです。病者にならなければ、国家権力の不当判決と対決と闘うことができなかったのです。何ということでしょうか。 最近、中野重治の読書会がありました。私は、作品「村の家」主人公は、獄中で、「死よりも発狂(ママ)を恐れた」「ちゃんとしていれば気違い(ママ)になってもみっともなくならぬことを考えて努力して気構えに気をつけた」といいます。この主人公がこういう心境の直後に転向の表明をしたのは、すでに、精神病者差別に屈服していたから転向したのだと述べました。私の考えでは、袴田さんの拘禁ノイローゼに陥ってでもあくまで無実を追求する事実を考えるとき、国家権力が被弾圧者を病気に陥ることを弾圧の手段とするとき、病者になること(病者差別に陥ること)を恐れては、闘えないと思うのです。私は袴田さんのいまだ不安そうな目を見ながら、国家権力に負けない目はこういうことなのだ思いました。
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suiryutei at 2023-03-22 05:12
墨田のカッパさん、コメントありがとうございます。
病気を恐れては国家権力と闘えないというのはたいへん厳しい指摘です。いい加減な応答はできないので、しばらく考えさせてください。
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隅田のカッパ
at 2023-03-22 10:08
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問題提起だけで唐突な言い方になってしまいました。混乱させてすみません。
袴田さんの事件は死刑か病気かという過酷な状況をつきつけています。 問題は根深いです。具体的に考えたいです。 まず、病気はだれでもかかるものです。 病気になったら療養すべきです。 そういう意味では、病気それ自体は「平等」であり、特別なことだとすると「差別」が生じるのです。たとえば、コロナ感染症患者への差別が思い浮かびます。コロナになったら療養すべきで、感染拡大を阻止するにはどうしたらよいか方策をとればいいので、感染者に責任がないはずです。医療、療養、感染防止措置が社会的に取れないと、感染者への「差別」がはじまるのです。 獄中で病気への羅漢を弾圧の手段とされてしまうことと闘うことです。病気になったら獄中医療を要求し、療養を保障すべきです。その点で、日本の刑事司法の明治期以来の過酷性、自白の優位性とかかわっています。 刑事弾圧と闘うことは公判廷における手続の過程だけではなく、日々の獄中生活の二十四時間をどう闘うのかにかかっています。 「村の家」の主人公が転向したのはなぜなのか獄中生活具体的な人間の関係性で見ないといけないと思います。「春さきの風」における留置場内の同じ被弾圧者に対する連帯感の厚さと比べて、「村の家」の主人公は、獄中にいた精神病者にたいする連帯感のかけらもない理由は何なのか。それは獄中弾圧に屈服し、病者差別に陥っていたことが原因で転向につながったのだと考えられます。袴田さんは確定死刑囚となっても無実を主張するために拘禁ノイローゼにかかっても再審請求をやめなかったのです。
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suiryutei at 2023-03-22 12:42
墨田のカッパさん、コメントありがとうございます。
『村の家』の作者は、あの世代として避けられなかったのかもしれませんが、精神病に対する偏見から自由ではなかったのでしょうね。『歌のわかれ』であったか『むらぎも』だったか確かには覚えていませんが、同性愛者への偏見を吐露したくだりもあったように記憶します。 獄中医療を要求して闘いはしたと思います。あの頃を題材にした作品にそれは書かれていたような。
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