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■2004/04/03 (土) 09:40:30 櫛田民蔵とおにぎり 先月31日に水元公園に花見に行ったとき女房手作りのおにぎりを持参し、それがひや酒にじつによく合ったことは当日の日記にも書いた。おにぎりを3個にサンドイッチも(おかずもたくさん)食べてすっかり満腹した。ところが昨日読み終わった『日本資本主義論争の群像』(長岡新吉著・ミネルバ書房)に戦前活躍した著名な経済学者・櫛田民蔵のおにぎりにまつわるエピソードが出てくる。 若いころ櫛田はご飯をいちどきにたくさん食べたためしがなかった。腹がくちくなると眼の皮がたるんで眠くなる、すると勉強に熱中できなくなるというのがその理由だ。そこで下宿のおばさんに小さなおにぎりをつくってもらい、それを一つ、二つとつまみ食いしながら夜遅くまで勉強するのである。櫛田は苦学していたから牛乳配達や人力車夫をして学費を稼いでいた。はげしい労働であり、腹もすけば眠くもなる。それを我慢して勉学に励んだのだ。花に浮かれて、おにぎりパクパク、ひや酒グビグビの酔流亭にはちょっと耳の痛い話である。 櫛田民蔵は1885年生まれ、かの河上肇博士のお弟子さんだが、学問の上では後に師匠と対立する。しかし共産党に入党した河上が地下活動に入って行き場をなくしたとき櫛田家の門を叩き、櫛田がしばらく匿ったことは河上肇『自叙伝』にも書かれている。学問上の対立については酔流亭には詳しいことはわからないが、二人とも立派な人物であったようだ。 櫛田は学問に精魂使い果たしたのだろう、書斎で執筆中にくも膜下出血で急死する。あと10日で49歳になるところという若さだった。未亡人のふきさんが戦後もつい最近まで平和運動などに活躍されていたのはよく知られている。
by suiryutei
| 2004-04-03 17:47
| 文学・書評
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