新人事制度 大阪での報告①~③
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25日の朝日新聞朝刊4面「opinion」の欄で、映画監督の森達也さんがいいことを言っている。『過剰な自衛意識、危険』という見出しである。 「・・だが、先制攻撃は新たな敵を生み、不安や恐怖は雪だるま式に拡大する。その典型が平和を欲しながら敵を求め、敵がいない不安に耐えられない第二次大戦後の米国だ。ならば、自らの過剰な自衛意識の発露を抑制し、さらに自らが『仮想敵』にならないためにはどうすればよいか。その戦略を具体化したのが(憲法)9条2項だ。綺麗ごとではなく、性善説に依拠するわけでもない。憎悪と報復が連鎖する今の世界では、ラジカルで実践的な対抗原理なのだ」。 酔流亭も、まったく同感する。 しかし、これに続く以下の記述はやや不用意ではなかろうか。 「改憲論者は、自衛権を放棄するのかと言うが、自然権である自衛権を放棄などできない。自衛の手段としての武力行使を否定するのが9条だ」。 何が問題かというと、法に先行する権利としての自然権を持つ者は、基本的人権の担い手である一人ひとりの個人だけだからである。個人の権利であるところの自然権を、人工的構築物であるところの国家は持たない。したがって国家には自然権としての自衛権など存在しない。それは国家があらかじめ身につけているものではなく、主権者であるところの国民が委託することによって初めて付与される。これが主権在民ということの意味だろう。 どうも細かいことを言うようだが、そしてせっかく護憲の立場で奮闘している論者の揚げ足をとるみたいで心苦しいのだけれど、しかし優れた論陣を張っている人であるからこそ、こういうところは気をつけてもらいたいのである。そうでないと、「持っているのに使えないなんて、そんな馬鹿げたことがあるか!」という改憲派の雑な議論にひきずられかねない。 しばらく前だが、自民党の升添要一・参院議員がTVで上記のようなことを吠えているのを視た。それは集団的自衛権のことについてであった。この人のしゃべり方は威勢がいいから、ついひっかかりそうになるけれど、しかし、まず仮に集団的自衛権をどの国家も持っているとしても、持っているものを敢て使わないというのも、ひとつの立派な選択である。しかもそれはすくなくとも「持っているものならなんでも使え」という立場よりは道義的・倫理的に高い選択ではないか。言われるほど「馬鹿げたこと」ではなかろう。 だが、より本質的な問題は、集団的であれ個別的であれ、国家には自然権=「固有の権利」として自衛権があると升添氏が頭から信じ込んでいるらしいことだ。けれども、諸個人の合意によって形成される近代立憲主義国家の建前からすれば、放棄しようにも放棄できないものがあるとしたら、それは個人の生命と安全についての留保しかない。これが自然権と呼ばれるものなのだ。国家に自衛権ありとすれば、それは自然権として備わっているのではなく、個人の集合体である国民が国家にそれを委託するという手続きを経た上でのことである。そして憲法9条を60年間にわたって守ってきた日本国国民は、まだ国家にそうやすやすと自衛権を委託してはいないはずだ。大分なしくずされてはいるけれど。 酔流亭の素人考えを開陳しました。まだ全然消化不足ですが、髭彦さんの今年5月3日のブログに教えられるところ多かったことを付記します。
by suiryutei
| 2007-06-26 11:22
| ニュース・評論
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Comments(6)
社会も国も会社も、大層に存在をアピールするけれど
その実体は単なる人の集団です。 人が生きていくのに、存在していくのに必要だから 社会があり、国があり、会社がある。 「国を守るのが人の義務」なんて戦前のプロパガンダは 本末転倒でしかないのです。 現代も然り。
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suiryutei at 2007-06-26 15:01
風屋さんの意見に賛成です。己の都合に合わせて国家を持ち出して、
己の都合に合わせた指針を出す。他国からの攻撃を受けて、私が守らなければならないものは、私自身と、私の愛するすべての人々の命。それ以外は何もない。少なくとも人々の集合体である「国家」ではない。消えた国家は”人々”が作り直せばいい。 次から次へと整合性のない言葉を垂れ流す「ニュースによく登場する人々」の言葉に対する感性は、理解不能の感性だ。。私でさえ、自分の過去ログの中に妙な表現があると、恥ずかしくなり、すべての記事を削除したくなる衝動に駆られることがある。自分のひりだした言葉は己の分身でもあるのだ。 言葉(意見)の微妙な差異は言葉で埋めていくしかない。なかなかわかり合えないのが人間だけれど、わかり合えるもっとも有効な手段は言葉だと思いたい。
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suiryutei at 2007-06-27 20:24
umeさん、こんばんは。
どうも我々は「男は黙って・・・」をよしとする文化にいるようで、言葉を軽視しすぎますね。自分の考えを言葉でキチンと伝える努力を怠ってはいけないと思います。サッポロ・ビールは嫌いじゃないけど。
酔流亭さん、こんばんは。
小生もこの記事…今新聞をひっくり返して読み返しました。 基本的には、酔流亭さん、そしてこのエントリーにコメントを寄せた風屋さんに「同歩」です。 国民の平和がないところに、国の繁栄はない! 国の繁栄のために国民が犠牲になるなど、あってはならないこと。 小生は、少なくともそう考えます。
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suiryutei at 2007-06-27 21:30
Danchoさん、コメントありがとうございます。
今ごろになって、すこし憲法のことに関心を持ち出し、通勤電車の中であれこれ読んでいます。まことに泥縄。 もっと人間を大事にしなくては、と痛感しております。
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