新人事制度 大阪での報告①~③
最新の記事
タグ
労働(124)
辺野古(46) 郵便局(43) 文学(31) コロナウイルス(31) 韓国(19) 朝鮮半島(12) 映画(11) NHK朝ドラ(10) ひよっこ(9) 大西巨人(9) なつぞら(8) 神田まつや(8) 労働者文学(8) 神聖喜劇(7) 関西生コン労組(6) 狭山事件(6) ブレイディみかこ(6) ケン・ローチ(6) 蕪水亭(6) 最新のコメント
記事ランキング
カテゴリ
以前の記事
2024年 03月 2024年 02月 2024年 01月 2023年 12月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 more... ブログジャンル
画像一覧
検索
|
酔流亭が中学に進学したのは1967年のことで、すぐ水泳部に入った。カナズチだったのに、なぜ水泳部を選んだのかは、いま思うと不思議なのだが。 当時の水泳界のトップスターは、なんといっても木原光知子さんだった。当時、彼女は日本大学に進んだばかりだったが、厳しい練習で知られ“女人禁制”と言われた日大水泳部で初の女性部員となったことでも話題になっていた。 しかし日大の水泳部に進んだことが彼女にとってよかったかどうか。高校生で日本新を連発して東京五輪にも出場した木原さんは、大学生スイマーになってからは記録が伸び悩んだ。68年のメキシコ五輪には、国内選考で敗れて出場を逸した。 これは日大に限らないことだったと思うけれど、当時の大学水泳界というのは、合理的な練習メニューを工夫するより、練習の量の多さやそれに耐える精神力を競い合うようなところがあったのではないか。そして、そんなことやっているうちに世界のレベルからどんどん引き離されていった。メキシコ五輪の水泳競技で決勝まで残った日本人選手はごくわずかである。 つぎのミュンヘン五輪では男子平泳ぎの田口選手と女子バタフライの青木選手がともに世界新記録を出して金メダルに輝いたが、田口選手はたしかスポーツ界ではあまり知られていなかった広島修道大学に在学していた。陋習にとらわれた中央から離れたところで独自の泳法と練習法を編み出したのがよかったのではなかろうか。 代々木のオリンピックプールで木原さんをみかけたことがある。酔流亭が中学か高校のときのことだから、木原さんは選手を引退したばかりのころか。子供達を指導していた。ほがらかな表情であった。テレビで視るより美人だと思った。まだタレントとして活動するようになる前のはずだけれど。 訃報に、授業よりプールだった自分の少年時代のことを思い出してしまった。それにしても、くも膜下出血、59歳というのは、若すぎる死である。
by suiryutei
| 2007-10-19 19:09
| スポーツ
|
Comments(2)
ボクシング、山歩き、水泳、以外と(失礼)スポーツマンだったのですね。あまりに「舌なめずり」の印象が強いもので。↓コメント2コ
0
Commented
by
suiryutei at 2007-10-20 12:52
水泳は選手としては使ってもらえず、マネージャーみたいなことをやっていました。ボクシングは中学三年の冬、調布にあった(今でもあるのかしら?)アベジムというところに、同級生の友達につきあって数ヶ月だけ通ったことがあるのですが、亀田一家と反対に闘争心に欠ける男でして、これもモノにならなかったなあ。
記録を競うこともなく、殴り合いもしなくてすむ山歩きが一番性に合っているようです。
|
ファン申請 |
||