新人事制度 大阪での報告①~③
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藤沢郵便局で働いていた職員、稲田明郎さん(57歳)は、2000年11月に失職した。学生だった1972年秋、神奈川県相模原市で行われた米軍戦車輸送阻止闘争に参加して公務執行妨害で有罪判決を受けた経歴があることを密告されたからである。その失職は無効だとして裁判で争っていたが、最高裁は13日、上告を棄却した。稲田さんの職場復帰の願いは断たれたことになる。 酔流亭にとっては他人事に思えない。稲田さんがやはり郵便局の職員だったということもあるが、あの1972年の相模原現地に、酔流亭だってもうすこしで居合わせていたかもしれなかったからである。戦車を止めようとして市民や学生が約100日間にわたって機動隊と激しくぶつかりあい、多くの逮捕者が出たから、現地に出かけていたらどうなっていたかわからない。 当時、ベトナム戦争は終盤にさしかかっていた(翌73年春、パリで和平協定成立)。相模原を通過する米軍戦車は、そのベトナムへ人々を殺戮するために送られようとしていたのだ。 酔流亭は高校三年生であった。都内の反戦集会やデモには何度も参加したけれど、結局、相模原までは行かなかったのは、翌年春の大学受験を控えて「自重」したのである。秋も深まっていた或る晩、御茶ノ水の全電通会館で開かれた学生たちの集会で、これから相模原現地へ向かうという大学生たちを見送ったことを、ついこのあいだのことのように記憶している。その大学生たちに「高校生は行くのは止めておきなさい」と制されたのである。 酔流亭より5歳の年長ということになる稲田さんは、きっとデモや座り込みの先頭に立って奮闘したのだろう。ベトナムでの人殺しをさせないために。 それにしても、戦車を止めようとしたことが、そんなに悪いことなのか? 27年間働き続けた仕事を奪われなければならないほどに。ベトナムでのアメリカ軍の行動に何の理もなかったのは、とっくに結論が出ていることではないか。 ※当時の状況について、こんなブログを見つけました。ベ平連のホームページのようです。
by suiryutei
| 2007-12-14 18:54
| ニュース・評論
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Comments(4)
こんなことがあったとは、全く知りませんでした。
しかも当時横浜市長だった飛鳥田さんも絡んでいたのですね。 その頃私は小学校6年。知っていても不思議じゃなかったのに。 全電通会館での酔流亭さんの回顧、 何だか柴田翔の「されどわれらが日々」に出てくる一節のようです。 リアルタイムで知らない私の世代は、 そういう小説などから当時のことを知るしかないのです。
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suiryutei at 2007-12-17 18:07
はじめまして。この事件について調べていたら漂着しました。
自分もこの件について書きました。リンクを貼らせていただいたので(勝手にすみません)挨拶がしたくてコメントしています。TBはできないもので。よろしければ、是非お読みください。
Commented
by
suiryutei at 2007-12-20 18:14
NOraraさん、ようこそ。お訪ねくださり、ありがとうございます。
貴ブログ、さっそく拝見しました。書いてくださった通りだと私も思います。リンク貼ってくださり、感謝です。
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