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18日の「フォーラム色川」例会で、司馬遼太郎『坂の上の雲』文庫版第一巻についての報告を行った。 結果から言うと時間配分を間違えてしまった。絶対主義ぬきの国民国家というのが司馬さんの明治国家論の核心で、祖国防衛戦争だったという彼の日露戦争観もそこから出てくると思う。報告では最後にそのことをすこし詳しく話したかったのだけれど、そこに行くまでに予想していた時間をオーバーしてしまった。つまり一番話したかったことを話さずに切ってしまったのである。 そんなわけで自分としては悔いの残る報告となった。ともあれ当日話したこと及び話すつもりであったことを今回から3回ほどに分けて書いていきます。したがって実際に話したことに大幅に加筆した内容になることをお断りしておきます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 参考文献その他 初めに参考文献をいくつか挙げておきます。 まず中公文庫の「日本の歴史」第22巻『大日本帝国の試練』(隅谷三喜男)。中公のあのシリーズでは色川大吉さんの『近代国家の出発』に続く巻です。なぜこの本を挙げるかというと、ちょうど『坂の上の雲』の時代をカバーしているから。色川先生の本は日清の開戦するところで終わるのですが、隅谷さんの本は日清戦争から始まって日露戦争、そして大逆事件と明治の終焉まで。平民新聞の日露反戦の主張とか、我が国における産業革命、足尾鉱毒の問題や寄生地主制の確立など全体によく目配りされていると思います。著者の隅谷さんは労働経済学者。5年前に亡くなっていますが、晩年は三里塚問題の解決にも尽力されました。良心的な学者だと思います。 つぎに『正岡子規―五つの入り口』(大岡信 岩波書店)。『坂の上の雲』の序盤は、ご存知のように秋山好古・真之兄弟と正岡子規を軸にストーリーが展開される。この3人を書くことで明治という時代を捉えてみたいというのが作者の構想でした。軍人だった秋山兄弟の書いたものはあまり無いけれど、さいわい子規は文士だから詩歌・随筆、たくさん残しています。したがって作者の司馬さんだけの解釈にまかせず私たち自身が作品の登場人物の内面に迫っていけます。この大岡さんの本はその際いい手引になる。それに大岡さんは色川先生の『ユーラシア大陸思索行』が文庫になったとき解説を書いている人。当代きっての詩人であるとともに我々にとっても親しみを持てる人です。 もうひとつ、司馬遼太郎の『ひとびとの跫音』(中公文庫)も挙げておきたい。これは『坂の上・・』の後日譚のような小説なのですが、司馬は『坂の上・・』の取材を通して子規の養子の正岡忠三郎という人と親しくなる。子規の死後養子で、子規の叔父、加藤拓川の息子ですね。拓川は外交官で陸羯南の友人でした。そして、この忠三郎さんの旧制二高時代の同窓で親友である西沢隆二とも司馬さんは昵懇になるのです。西沢隆二すなわち詩人・ぬやまひろしであります。徳田球一の娘と結婚した人で日本共産党の幹部でもありました。この小説のときには、もう党を除名されています。それは中国派ということで除名されたのでコミュニストであることをやめたわけではありません。左翼嫌いというイメージのある司馬さんと老革命家というのは、ちょっと意外でしょ。司馬遼太郎にはこういう面もあるのかと、私もちょっと驚きました。私の好みでは、これは司馬作品の中では一番好きです。『坂の上の雲』にしても、あれは序盤について言えば青春小説として優れているのではないか。この作者には人間に対する優れた洞察力というものはやはり備わっていると思う。じつは『坂の上の雲』の最大の問題点というのは、作者のそうした洞察というか他者理解が明治国家というものに対して発揮されていることなのです。明治国家によって迫害された民衆とか無茶な要求を突きつけられた朝鮮の人たちに対してよりも。 なぜそうなったかということは、これから読書会のすすむ中で考えていきたいと思います。しかし『ひとびとの跫音』では作者の洞察はもっぱら子規にまつわる人々に向けられていますから、ここには司馬さんの小説家としての優れた面だけ出ていると思う。 つぎに、今日用意した資料について説明します。 まず年表です。熱狂的ファンが作成したものをインターネットで見つけ、拝借しました。3人の年譜になっています。秋山兄弟の兄の好古は10歳年長ですが、子規は慶応3年、真之は翌年の明治元年の生まれ。二人は年齢と明治の年代がほぼ一致しますね。 それから『朝鮮のことは相定まり候』というタイトルの文章のコピー。この文章を書いた人は准陰生となっていますが、じつは中野好夫です。『完本 一月一話』(岩波書店)という本からコピーしました。岩波で出している『図書』という雑誌に毎月連載されたエッセイです。このエッセイの冒頭に引用されているのは徳富蘇峰が政府高官に宛てた手紙の一部。日露戦争はまだ緒戦の段階だというのに、「鴨緑江以南はもとより事実上我が版図」云々と書いてあります。そのころ蘇峰の国民新聞はすでに御用新聞となっていて、蘇峰も政府中枢とツーカーの仲でした。あの戦争の動機に初めから朝鮮半島への欲望があったのが明らかです。中野さんの文章は日付が71年9月とありますから、『坂の上の雲』がそろそろ大詰めを迎えようかという頃に書かれたもの。この小説のことが意識にあったのは間違いないでしょう。日露戦争=祖国防衛戦争なる理解に対する的確な反証と思って持ってきました。 もうひとつ、この横書きのコピーは恥ずかしながら私のブログ(『正岡子規と糸瓜』(08年9月19日)。9月19日が正岡子規の命日で「糸瓜忌」と呼ばれています。なぜ糸瓜なのかは、この大文字の俳句を見ればわかると思います。 『坂の上の雲』では子規は今日やる一巻・二巻のあいだはまだ生きていて、第三巻の冒頭、「十七夜」という題の章で亡くなります。子規の臨終の場面は素晴らしい文章だと思いますが、司馬さんはこの句については何も書いていません。そして子規は辞世の句は残さなかったと書いている。いっぽう大岡信さんの本では、この三句をもって辞世の句だとしている。子規はこれを辞世だと言い残して詠んだわけではないから辞世ではないというのが司馬さんの解釈で、それでも意識が無くなる前の最後に詠んだのだから辞世と考えてさしつかえないというのが大岡さんの解釈なのかもしれません。 どちらの正しいのか素人の私にはわかりませんが、この三句はいい句だし子規らしいと思うので、とりあえず紹介しておきます。 (つづく)
by suiryutei
| 2008-10-19 22:11
| ニュース・評論
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Comments(2)
酔流亭さん、こんにちは
土曜日はありがとうございました。 ブログでは全て出し切れなかったといわれていますが、私自身はすごくわかりやすくまとめられていて自分のレポートでも参考にしようと思いました。 遅くなりましたが 33年勤務ご苦労さまです。宴席でもお話しましたが、到底年相応のではなく若々しいと思ってしまいました(若輩なのにすいません) ブログの記事読みましたがまさに【人に歴史あり】ですね 知らない酔流亭さんを知りました。 雨宮さんのイベントも成功したようでよかったですね。^^
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Commented
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suiryutei at 2008-10-20 21:17
iwapaiさん、こんばんは。
ありがとうございます。、iwapaiさんは優しいなあ。 ああいう場での報告も文章を書くのと一緒で取捨選択が大事なんですね。調べてきたこと全てを言おうとしたら収拾つかなくなってしまう。いい勉強になりました。 当日は事務局スタッフの方たちこそ、どうもご苦労さまでした。いつもありがとうございます。
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