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去年のノーベル物理学賞を受賞した益川教授のことである。朝日新聞夕刊の『人生の贈り物』という欄が先週、この人のインタビュー記事を連載していた(4/27~5/1)。これがなかなか面白かった。 教授が平和運動にも熱心で、05年には「『9条の会』のアピールを広げる科学者・研究者の会」の呼びかけ人にもなったことはよく知られている。しかし今日書きたいのはその話ではない。彼の少年時代のこと。 宿題を全然やらない子どもだったらしい。やらなくても勉強ができたという話ではない。秀才ではなかった。 「(授業は)おもしろいと思ったところだけ聞いて、あとは聞いちゃいない。予習復習なんてとんでもないし、漢字なんか全然ダメ。あれは練習しないと読み書きできないでしょ。国語の試験は半分ぐらい漢字だからダメ。社会も覚えようという気がないからダメ。算数はほどほどにできたけど、予習復習をやってくる子にはかなわない」。 ああ、酔流亭の子どものときと一緒だなあ。嬉しくなります。酔流亭も宿題をやらない子だったし、予習復習なんて、とんでもない。ただ、教授とは逆で、国語や社会は「ほどほどにできたけど」算数は「全然ダメ」だった。 ただし、 「ただ、全国算数コンクールみたいなものがあると、いつも一番になって表彰してもらった。コンクールに予習復習はないですから」。 ここはやはり後のノーベル賞受賞者である。 そんな益川少年にとって恵まれていたのは、「担任が、いいところがあったらどんなことでも引き上げるような先生だった」こと。ある日、先生の似顔絵を描けと言われて、顔と一緒に腕時計を、針まで入れて描いたところ「注意力が優れています」とほめられた。「初めてでした」。 その先生は、のちにレッド・パージに遭った。1940年生まれの益川教授の少年時代といえば、朝鮮戦争の下で共産党員や進歩派が職場から排除されることが起きていた。「驚きました。後に名誉回復されたらしいですが」。 益川教授が、ノーベル賞受賞の知らせにも賞の権威を崇める様子がなく、また天皇の前に立っても畏れ入ったようなところがあまりないのを思い合わせながら、この記事を読んだ。
by suiryutei
| 2009-05-03 18:01
| ニュース・評論
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