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山口瞳が世を去って、来年でもう10年経つという。最近、ブームが再燃しているようで、雑誌でよく紹介されている。月刊誌『サライ』の最新号も「山口瞳の礼儀作法入門」という特集を組んでいるらしい。ここ数日、本屋に行っていないので、中身は読んでいないが。 その『サライ』の新聞広告に、山口の生き方として「人に迷惑をかけない」ということを強調していたと記憶する。 たしかに、山口瞳も、また同世代の池波正太郎なども、人に迷惑をかけることを嫌ったようだ。しかし、この場合の迷惑をかけないとは、酒席で騒いで周囲の雰囲気をこわしたりしないとか、あるいはこのお二人なら、原稿の締め切りに遅れて編集者を困らせない、といったほどの意味である。「迷惑をかけない」ということをそれ以上に金科玉条としてふりかざすと、おかしなことになると思う。 なぜか。人は迷惑をかけないでは生きていけないものだからだ。 たとえば足が不自由で人の助けが無くては階段の昇り降りも電車の乗り降りもつらい人に「まわりに迷惑をかけるな」と強要すれば、この人は一生外出できずに家の中に引きこもっていなければならなくなってしまうだろう。 この種の「迷惑論」が噴出したのが今年春のイラク人質事件だった。 「あの3人がやろうとしたことは立派だと思うが、人に迷惑をかけるのは許せない」という声をネット上でも何度か目にした。そう書いた当人が実際にどれだけの「迷惑」を被ったのかは知らない。しかし、口先だけでなく本心から「やろうとしたことは立派」と考えるなら、多少の「迷惑」は受け入れたっていいんじゃないかと思うのだけれど、彼らには我慢ならなかったらしい。 「迷惑をかけない」ことを絶対の行動基準としたなら、人は他の人間とも、世間とも、いっさいの関わりを絶つほかなくなる。山口瞳は、もちろん、このことをよく心得ていた。彼にはズバリ『迷惑旅行』と題する紀行文集の傑作があり、こう書く。 「生きるということは自分にとって迷惑であり、他人に迷惑をかけることである」。 「・・しかしながら、迷惑だ迷惑だと思いながら、そのことが楽しくなる場合が無いわけではない。そこが人生の玄妙なるところだと思う」。 じつは酔流亭は近々、今年最後の小旅行に出る予定である。旅先で迷惑をかけることになると思う。それを玄妙なるものにして楽しんでくるつもりだ。
by suiryutei
| 2004-11-23 16:58
| 文学・書評
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Comments(3)
山口瞳氏のエッセイ、「旦那の意見」と「男性自身」しか読んでないのですが、もううなずくことが多くって。一応いち女性として学ぶことも多々ありました。最近よく平積みになってますねー。
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はじめて山口瞳の文章に接したときは「こいつはプチブルだな!」と反発するところもあったんですが、今は自分と体質が近いなあという感じがします。書いていること全てに納得するわけではないのだけれど、親近感を持つのです。
ところで、むーちょさんの日記の夕焼けの写真、素敵ですね。酉の市の写真もとてもいいと思うのだけれど、26日が三の酉だから、もうじき差し替えになってしまうのかしら。
HPのほうは毎月一日に更新してもらえるよう画像を管理人さんに送ったりしてます。今年は酉の市、みんな仕事に丸かぶりで行けません〜。残念。花園神社、好きなんですけどねー。
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