新人事制度 大阪での報告①~③
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7月1日にHOWS(本郷文化フォーラムワーカーズスクール)で行った報告の続きです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ いま郵政には三つの全国的な労働組合があります。 JP労組。約22万人強で、全逓(13万人強)と全郵政(8万人強)が一昨年合併しました。初代委員長は全郵政の出身ですが、この労組の路線がこれでもわかります。組織は旧全逓のほうが多くても路線は旧全郵政での統一なのです。つまり巨大な御用組合です。 郵産労。約2000人。共産党の影響が非常に強い組合です。1983年結成。 ユニオン。約600人。元々は全逓内の左派だった活動家が排除されたり飛び出したりして85年に出来たのですが、今日では非正規の社員を多く組織しています。組合員の4割は非正規社員と聞いています。 権利の全逓 戦後すぐ結成された全逓の初代委員長は土橋一吉さんという方で、東京中央郵便局で働いていた人。のちに長く共産党の国会議員を務めた人です。つまり結成時は共産党というか左派の力が強かった。ところが、2・1スト挫折以降、共産党は影響力を失っていきます。これには占領軍によるレッドパージと共産党の誤った運動指導の両面があると思う。なまじ共産党の影響力が強かっただけに当時の地域人民闘争のような誤った方針がそのまま持ち込まれたのでしょう。「職場離脱」などの闘いが組まれた。せっかく職場に築いた拠点を自分から放り出してしまったのではないか。 替わって運動の主導権をとったのは民同(民主化同盟)と呼ばれる人たちです。戦後長く全逓の委員長を務めた宝樹文彦さんのような人たちです。この民主化というのは、共産党支配からの「民主化」という意味でした。しかし、全逓の場合は民間企業の労組のような労資協調路線にはすぐにはならなかった。郵便事業というのは元々が利潤の出る業種ではないですから、儲けを出してそのおこぼれにあずかろうという運動にはならなかったのでしょう。そして経済が高度成長した時代には民間企業と比べて低い賃金・悪い労働条件に取り残されましたから、民間並みにせよと闘った。「権利の全逓」という今では錆び付いた呼称はこのころ生まれたのでしょう。これに対して郵政省は敵視政策をとる。第二組合(全郵政)を育成して昇任・昇格ことごとく差別した。のちに反マル生闘争という名の労務政策変更闘争が爆発する所以です。 反マル生越年闘争 このころの誇ってよい成果として全逓東京中郵事件と団交再開闘争があります。東京中郵事件とは、1958年の春闘のとき東京・大阪・名古屋の三つの中央郵便局で勤務時間内に食い込む職場集会が行われ、これに刑事弾圧がかけられた事件。東京中郵では38人が逮捕されています。私が中郵に入局した頃には「あの事件で留置場に入れられたよ」という先輩がまだいたものでした。それが1966年に最高裁で全員無罪が確定します。公務員の争議行為を刑事罰から解放した画期的判決と言われています。その58年春闘で「違法行為」を指導したとして全逓本部の三役らが解雇され、解雇された役員とは交渉しないと郵政省が団交を拒否したのを、解雇役員を再選することで応え三六協定拒否などの闘いで団交再開を求めたのが団交再開闘争です。これは最終的には1965年のILO第87号条約批准(組合役員は職員に限るとする公労法4条3項の削除)となって勝利しました。そして1970年代前半には、国鉄とともに春闘でストを打てるまでの力量を郵便の労働者は蓄えていったのでした。その頂点が75年のスト権奪還ストだったでしょう。 しかし、まさにこの75年スト権ストを境目として流れが変わってくる。1970年代初頭からのスタグフレーションの進行(世界資本主義の危機の深化)を背景に資本の構えが変わった。77年に最高裁で名古屋中郵事件の有罪判決が出ます。これは58年春闘のときの東京中郵とまったく同じ職場集会を、こちらは有罪と確定したのです。これがじつは78年から79年にかけての越年した反マル生闘争の伏線になるのです。 というのは、名古屋中郵判決の翌年の78春闘で全逓は公労協の統一ストから脱落してしまう。当時「敵前逃亡」と言われました。名古屋中郵の有罪判決で全逓本部の腰が引けてしまったのは間違いありません。春闘のあとの中央委員会や全国大会では各地の地本・地区の委員長クラスからも本部に対する批判が集中します。勇ましいことを言わないと現場の組合員が納得しませんから。そこで中央本部としては何らかのガス抜きをしなくてはならない。この年の年末には強い闘いを組むと表明せざるをえなくなったのです。そうして取り組まれたのがあの越年闘争でした。1965年に結成されていた第二組合・全郵政の組合員と比べて全逓の組合員は昇任などで差別を受けていましたから、その是正を掲げれば闘いは本部の予想を超えて盛り上がった。ガス抜きではなく充満していたガスに火をつけたようなものでした。そしてこれに対する大弾圧が全逓路線の転換を用意するひとつの原因になる。 4・28処分 解雇・免職あわせて首を切られた者61名。停職が一月から一年まで合わせて286名。減給1464名。翌年79年の4月28日に出た処分です。「4・28処分」と呼ばれています。これは組合指令による闘争の犠牲者ですから組合財政から被害を補償しなくてはならない。全逓は財政的にも音を上げてしまった。いや音を上げたというのはカッコつきであって、中央本部の幹部は郵政局の局長クラスに匹敵する高給を取り続けていたし、何10億円という「闘争資金」のストックもあった。幹部の退任後の天下り先として、あちこちの観光地に全逓会館を建て、その経営がうまくいかず手離すという、いわゆる「会館問題」も80年代に起きています。しかし、財政的に締め上げられても屈せずに闘うという思想も気概もその頃の幹部にはもう失われていた。むしろ、この処分を渡りに船として路線転換を図りたがった。 全逓本部にはいくつかの思惑違いがあったと思います。 まず現場の闘争力を過小評価していた。これほど闘いが盛り上がるとは思わなかった。自分で闘争指令を出しながら、引っ込みがつかなくなった。 次に、物溜め(業務規制闘争)という闘いの孕む意味を理解していなかった。つまり郵便物を溜めるという行為を郵政省(当時)を困らせて交渉を有利にするための圧力手段としか考えていなかった。ストを禁じられているから次善の策として物を溜めるというだけの理解ですから、処分だって「違法スト」より重いものが出るとは思わない。 ところが業務規制闘争には労働者が働き方を自分の意思で決めるという面があります。労働力商品として、その労働力をいかに使うかは使用者に委ねていた労働者ひとりひとりが、使用者の命令にしたがわず自分の意思で作業速度をゆるめる。これは経営者の労働者管理を麻痺させるということです。経営者にとっては年に一度の春闘ストなんかより、こっちのほうが怖い。職場の支配権に関わりますから。だからあれだけの処分をやって二度とできないようにした。 私もこの闘争に参加しています。当時、入局3年目の23歳でした。まだ組合の役員ではなく、一組合員として参加した。物を溜めていると管理者がやってきて「仕事をしなさい」と業務命令をかけます。これを無視してゆっくり区分するのは相当にしんどい。逆に管理者から見れば自分の目の前で業務命令を無視する労働者というのは怖かったろうと思う。その恐怖というか憎しみは「4・28」処分で、闘争指令を出した指導部よりも現場で実行した組合員により重い処分を出すという異常さになった。 ところで私がいた東京中郵では処分は重いのは出ていません。私にしても訓告のくり返しで戒告まで行って、そこまで。もっと重くなると減給→停職→免職となる。停職や懲戒免職が出たのは、都内の全逓と全郵政の組織が拮抗しているようなところでした。そしてこのあと、東京の全逓のことに青年部組織はガタガタにされてしまった。都内でも鉄道郵便局とか中郵はほとんど全逓ばかりですから、そういうところは重い処分は出さない。じつは、こういう処分の偏った出し方、不公平さというものが、のちに裁判で「4・28処分」を撤回させる根拠のひとつとなるのですが、それは20数年後の話。 国鉄民営化 路線転換のもうひとつの原因は、数年後の国鉄民営化(1987年)です。闘う姿勢をとり続けた国労に対する集中攻撃を目の当たりにして全逓は怖気づいてしまった。国労のようになりたくない。こうして、なりふりかまわぬ労使一体化路線へと転落していきます。郵政省との和解を急ぐため4・28反処分闘争を放り出したのが1991年。そして郵政民営化と歩調を合わせるように、2007年の秋に全郵政と合併してJP労組が誕生しました。この統一は、もちろん裏で経営側が圧力をかけてやらせている。この大労組の組織率は圧倒的になるから、経営側と結んだ協約や妥結内容が全ての労働者に適用される。この労組の指導部を取り込むことで労働条件の切り下げは思いのままです。最近、日本郵政とJP労組はユニオン・ショップ制を結ぶことで合意しました。 「4・28処分」のその後についてですが、全逓本部が闘いを放り出してしまったあと、首を切られた61名のうち最後まで裁判で闘った人は7名になったのですが、この7人に「処分は無効」という東京高裁の判決が今から5年前、04年の6月30日に出ました。そして郵政公社の上告を最高裁が一昨年しりぞけて7人全員の職場復帰が確定します。28年間かけての完全勝利です。 (つづく)
by suiryutei
| 2009-07-09 16:40
| ニュース・評論
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Comments(2)
重要かつタイムリーな報告。
重要な記録として保存版にします。 徒歩の距離に郵便局がなくなって困っている被害者の一人として....
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