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村上春樹の新作『1Q84』についての読後感を7月28日のブログに書いたが、それはずいぶん雑なものであった。もうすこし書き足します。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ヒロインの青豆というのは奇妙な名前で、子どものころ枝豆と間違われたことがあるという話も小説の中に出てきたと思う。 彼女と運命的に結び付けられている天吾は、これは奇妙というほど変わった名ではないけれど、青豆が枝豆と間違われたというエピソードとつなげると、ちょっと面白い。 というのは、ビールの絶好の肴として、まず春先から初夏にかけてソラマメが食膳に上がって我々を喜ばせ、ついで夏の間いっぱい枝豆が欠かせないという順序だが、ソラマメ(空豆あるいは蚕豆)は天豆とも書くのである。天吾と一字違いだ。 女主人公が青豆→枝豆で、男主人公が天吾→天豆というのは、うまく対になっているじゃないですか。 春先から秋口までの約半年間、まず天豆ついで枝豆が食卓に欠かせない酔流亭にとって、そういうことが面白いんですね。 酔流亭がもうひとつあの主人公二人に親近感を持つのは、その世代である。1984年に30歳になるという二人は、1954年に生まれているわけだ。酔流亭は55年生まれながら早生まれ(1月)だから、まったく同学年ではないか。少年時代、数学では神童と呼ばれたほどの秀才だった天吾は筑波大学に進むが、読んでいてそれを知ったときは、酔流亭の高校の同じクラスから筑波大学に進学した男の顔を思い出してしまった。 もっとも酔流亭(及び天吾と青豆)の学年の大学入試のときは筑波大学というものはまだ存在していない。東京教育大学が筑波大学に変わったのは、そのすこしあとだ。そのとき酔流亭は別の大学の一年生だったが、学生大会のスローガンのひとつに「筑波法案粉砕!」とあったのを記憶している。なんで法案に反対したかって? 産学協同をますます強めるモデルとなるだろうと考えたからだ。産業界(大企業)の要望に応えるためだけの研究・教育でよいはずがない。 世代論をさらに続ければ、『1Q84』の作者・村上春樹は1949年の生まれ。酔流亭(及び天吾と青豆)にとって、ちようど兄くらいの年齢である。全共闘世代でもある。しかし春樹が全共闘なり学生運動に参加したという話は聞かない。むしろ同世代の運動経験者からは「同世代の全共闘運動に背を向けて・・・」云々と批判されることが多いらしい。 もっとも全共闘運動といったって、運動経験者が誇るほど輝かしいことばかりでもない。ことに68~9年の高揚期が過ぎてからは。 春樹は、運動が衰退していった時期のいやな面をわりと近いところで見ていたのではないか。例えば前々作『海辺のカフカ』では、佐伯さんの恋人は学生党派間の抗争に誤って巻き込まれてリンチされ殺されるのだが、これが1972年11月8日に早稲田大学文学部自治会室で起きたリンチ殺人事件をモデルにしていることは明らかだ。あの事件が起きたとき春樹は早稲田文学部にまだ在学中であった。 『1Q84』に登場するカルト化した宗教集団には、現実にリンチ殺人まで引き起こすに至った左翼集団の成れの果ての姿が投影されているし、別の作品でも運動家タイプの人間が時折り揶揄されるが、そういう存在に向けられた春樹の批判は正当だと思う。『1Q84』には枝豆の上手な茹で方が書かれている。何かの作品にサラダを作るところもあの描写力で描かれていて、じつに美味そうだった。最近流行りの言葉で言えば春樹はきっと草食系だろう。運動家たちの中にたしかに存在する政治的肉食獣(この言葉を酔流亭は丸山真男の文章で知った)のごとき連中と春樹の肌が合わないのは当然である。羊年で山羊座の草食系・酔流亭は、この点では春樹の側に立つ。 ただ、その上で言っておきたいのは、新左翼党派なりカルト集団なりの暴力は、それがどんなに残忍で愚劣なものであれ、国家権力の行使する暴力と比較すれば児戯のごときものだということだ。だからどうでもいいということでは、もちろんない。しかし全体状況を見失ってはならないだろう。 システムの側ではなく、弱い個人の側にたつと、エルサレムで春樹が述べたことに酔流亭は共感する。そのシステムの最凶のものは国家権力であることをゆめ忘れるな。 ※関連する過去ログとして ☆『「海辺のカフカ」再読』(08年7月29日) ☆『村上春樹「1Q84」』(09年7月28日)
by suiryutei
| 2009-08-11 12:44
| 文学・書評
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Comments(2)
村上春樹さんが学生時代に全共闘メンバーをどう見ていたかは
「ノルウエイの森」を読めばなんとなくわかる気がします。 私は全共闘の方々の基本的なイデオロギーには 多少なりともシンパシーを感じるスタンスを持ってますが 一方でもし同世代として客観的に運動そのものを見ていたら やはり村上さんのような視線を持ったかも知れません。 「ノルウエイの森」のワタナベくんやミドリに共感しました。
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風屋さん、こんばんは。
私は全共闘にはシンパシイと反感ともにあり、だから春樹の視線も、また春樹に反発する人たちの気持ちもどちらもいくらかはわかるような気がするのですが・・・。 お前の立場はどうなんだと糾弾されそう。 春樹は時代の気分に対する優れた感受性を持っているだけに、それに呑み込まれないように、とも願っています。
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