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詩人・高橋睦郎さんが朝日新聞土曜版に連載しているコラム『花をひろう』をちょっとたのしみにしている。 「ちょっと」と限定つきなのは、俳人でもある高橋さんのこのコラムは俳句の紹介が多く、酔流亭は俳句のことはよくわからないからだ。しかし題名のとおり季節の花にちなんでの紹介だから、わからないなりに眺めていつもいい気分にさせてもらっている。 6日に紹介されていたのは敗荷。これは「やれはす」と読むのだそうだ。蓮が「秋風によって葉の緑色が失われ、破れたさまを晒すのを指す」(高橋氏)。 この言葉に、酔流亭がまず思い浮かべるのは石川淳の『敗荷落日』という文章だ。1959年の春に永井荷風が死んだ直後に草されたもの。高橋さんのコラムも、この文章を挙げる。「一個の老人が死んだ。・・・」という書き出しと「・・怠惰な老人の末路のごときには、わたしは一燈をささげるゆかりも無い」と結ぶ末尾を紹介している。このコラムで散文がこれだけ引用されるのは異例のことである。 戦後の荷風が、『葛飾土産』一作を例外として、あとはロクなものを書かなかったのを石川は激しく詰っているのである。もちろん荷風の文学にかつて親炙し傾倒していたことが前提にあっての弾劾である。そして、ただ愛想尽かしの言葉を並べているのではなく、荷風文学について微に入り細を穿っての批評を展開してもいる。凄い文章だ。 もっとも高橋さんは「荷風最晩年の生きざまに対しても、石川淳と違った評価のしかたもありえよう」と付け加えているけれど。 20代の終わり頃、石川淳の著作数冊をバッグに詰めて中伊豆の温泉宿に三日ばかり逗留したことがある。朝昼晩に風呂に浸かる以外は部屋に篭って石川を読んでいた。言葉の力というものに活を入れられたような三日間であった。『敗荷落日』もそのとき読んだ。しかし「敗荷」というのは本来は花の状態であって「やれはす」と読むというのは、昨日、高橋さんの文章に接するまで知らずにきた。
by suiryutei
| 2010-11-07 08:37
| 文学・書評
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