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新人事制度 大阪での報告①~③
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お前は何かというと池波正太郎と山口瞳の話をしたがるなと笑われそうだが、山口瞳「男性自身」シリーズの中に『真率ということ』と題する一編があって、こんな記述がある。 「・・・妙な例をあげるようであるが、天皇家の人々が、そっくりかえって話をするのを見たことがない。・・たとえば観桜会の際に、招待客に、猫背でもって一歩踏みだすような感じで質問される情景を何度も見ている。これが育ちのよさである。これに反して、田中角栄は、そっくりかえって話すという印象を免れがたいのである」。 そして山口は、育ちのいい人が身につけている良さとは何であろうかと自問して、それを「真率」(正直で飾り気のないこと)ということであるとした。 初めてこの文章に接したとき、教条的天皇制否定論者であった酔流亭は軽い反発を覚えたものだ。しかし、今年、新潟地震の被災者を見舞った天皇夫妻の姿をTVで視て、なるほどな、と思った。 幼い女の子が皇后のところへ横から走り寄って、皇后の肩を「ねぇ、ちょっと」とでもいう感じで叩く場面があった。そのときの皇后の微笑みは、酔流亭のような天皇制否定論者から見ても、心が和むものであった。 これに対して、やはり被災者を見舞った小泉純一郎氏は、肩をそびやかして「イヨッ」と声をかけてまわるという感じを免れがたい(本当にイヨッと言ったかどうか知らないが、いかにもそういう態度であった)。 もとより、山口瞳は天皇制の賛美者ではない。昭和の始まる年に生まれた彼は、日本国の国家によって死を強要された世代である。学徒で入隊した軍隊の中で初年兵に陰惨な苛めをくわえる古年兵から始まって、国のために死ねと強いる制度を上へと辿っていけば、最後はどうしても天皇に突き当たると、晩年の山口瞳は書いていた。 ただ、そのことと、天皇の人柄に或る種の好ましさを認めることとは、対立するものではないだろう。もちろん、育ちのよいことが、ただちに品の良さにつながるともかぎらない。東京都知事みたいに、いわゆる上流家庭に生まれても品位ゼロの男もいれば、貧しい家庭に育って気品ある人もいる。まあ、人それぞれだ。 学校現場での「日の丸」強制について、将棋のナントカという人を天皇がたしなめたという話以来、酔流亭はすこし天皇に甘くなっているかもしれない。制度としての天皇制は廃止したほうがよいと考えていることに変わりはない。昨日、天皇誕生日。
by suiryutei
| 2004-12-24 13:51
| ニュース・評論
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