新人事制度 大阪での報告①~③
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今日は泊まり勤務明け。昨日の雪ですす払いされたかのような真っ青な空の下、朝帰りである。 昨夜は一晩、有証郵便と格闘していた。つまり書留だ。書留の仕事というのは、つまりは数合わせである。受けた郵便物の数と、区分して送り出す数とが合っていないと、大変なことになる。慣れてしまえば単純な作業であるらしい。 「・・らしい」と他人事みたいに書くのは、酔流亭はいつまで経っても慣れないからだ。数字の足したり引いたりは子供のころから苦手なのだ。もともと酔流亭が居た課は、もうすこし単純な作業で済んだのだが、いま何処でも行われているリストラー課の統廃合が進んで、いろんな担務をこなさないといけないことになった。 司馬遼太郎という人も、数字が苦手だったらしい。それで歴史小説を書くとき(歴史小説ばっかり書いていたが)、年表で苦労したそうだ。 たとえば1837年生まれの幕末の志士がいたとする。薩長同盟が成立したころ新撰組に切り殺されたとする。彼の享年は何歳か。薩長同盟は1866年のことだから、1866から1837を引けばいいだけのことだ。ところが、司馬さんはそれさえ億劫がったそうだ。 まさか、と、普通の人なら思うだろう。あの頭の良い作家が。ところが、算数嫌いというのは、そういうものなのだ。数字は見るのもイヤ。近づきたくないのである。酔流亭には、司馬遼太郎の気持ちがわかる。つまり、酔流亭もそれくらい数の計算はダメだ。 酔流亭は、他のことでは、これまでかなり幸運に生きてきたつもりだが、自分の一番不得手なことで金を稼がなければならないというのは、人生にとって相当大きな不幸であると思う。仕事を通じた自己実現どころじゃない。同じ算数嫌いといっても、小説を書くことができた司馬遼太郎とは、この点が決定的に違う(当たり前だが)。 でも、とにかく1年、どうにかのりきった。今年も、残すところ後1日。この日記も、年内もう1回おつきあいください。
by suiryutei
| 2004-12-30 16:13
| 身辺雑記・自然
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Comments(2)
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