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6日の記事の続きになる。ずいぶん間が空いてしまったけれど。 安川寿之輔教授は講義で、福沢諭吉の「天は人の上に・・・」という言葉をいわば心の支えとして労働運動をやってきた人物がいたという話をされた。福沢を誤読した例として教授はこれを紹介したのである。 あの有名な句は、人間平等論・天賦人権説をよくあらわすものとして知られる。しかし、実際には福沢は「天は人の上に人を作らず人の下に人を作らずと云へり」と、伝聞態で語を結んでいるのである。「・・人の下に人を作らず」と言い切ったのではなく、つまり福沢本人が人間は平等だと本当に思っていたかどうかは疑わしいのだ(安川教授はこれを否と断言している)。 この句の解釈は安川教授が正しいと思う。しかし、講義を聴いていて、福沢諭吉の言葉を支えにするようにして運動をやっていた時期が酔流亭にもあったことを思い出した。 それは「天は・・・」ではなく「多事争論」という語である。酔流亭はこの言葉を丸山真男の著作によって教えられた。 『丸山真男集』(岩波書店)第八巻に『暗い時代の救いの書物』と題する短い文章が収められている。暗い時代とは1914年生まれの丸山が青春を過ごした天皇制ファシズムの時代。救いの書物とは福沢諭吉の著書のことである。たとえば丸山は福沢からこんな言葉を引く。 単一の説を守れば、其説の性質は仮令ひ純情善良なるも、之に出て決して自由の気を生ず可からず。自由の気風は唯多事争論の間に在て存するものと知る可し。 この言葉を、丸山はこう説明するのである。 「少数意見またはグループを異端視する雰囲気の上で生まれる満場一致的な世論は、かつての『大政翼賛』的な国論と同様に、自由と自発性を圧し殺してしまう。たとい間違った少数意見でも、ないよりはあった方がいい。真理は誤謬の存在によって、誤謬を通じて明らかになるのである。こういう考え方はどうも現代の日本でも容易に定着しないように思われるがどうであろうか。とかく『多事争論』を危険視して、無事静穏な画一的雰囲気を喜ぶ傾向が右から左までいたるところに見受けられる」。 この文章を目にした頃の酔流亭は、所属する労組の全国大会代議員選挙で本部方針に反対の立場で立候補したりしていた。もちろんちゃんと規約に則って立候補するのである。ところが本部に対立する考えそのものが悪とされるのだ。まこと「とかく『多事争論』を危険視して、無事静穏な画一的雰囲気を喜ぶ傾向」が満ち溢れていた。そんなとき福沢諭吉のあの言葉は新鮮だった。 6日のブログに書いたように、福沢諭吉は絶対主義・帝国主義のイデオローグである。彼の肖像画が一万円札に刷られている現状は、戦争責任・植民地支配責任に対する今日の日本人の無自覚を示すもの以外ではない。この点について酔流亭は安川寿之輔教授と全く意見を同じくする。 ただし、この「多事争論」の一語については酔流亭は福沢から教えられた。丸山真男も福沢のこうした面に“惚れた”のだろうが、全体像を見誤った憾みがある。 ※関連する過去ログとして ☆『連子窓と多事争論』(08年12月2日) ☆『福沢諭吉・服部之総・丸山真男』(11年8月6日)
by suiryutei
| 2011-08-14 08:39
| ニュース・評論
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