新人事制度 大阪での報告①~③
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60ページを過ぎたあたりといえば、500ページを超すこの長編のほんの序の口のところだが、「君が代」についての考察が、フランス料理店での男女の会話という形でなされる。それを紹介するのは手間だから省くけれど、あの歌はつまり「めでためでたの若松様よ~♪」みたいなものらしい。なにかの宴席のとき、その集まりの長(おさ)にあたる人の長寿を祝って(あるいは祈って)一節うたうような。 これはどうも国歌というようなものではないですね。胸をはって歌う気にはなれない。それでも歌えというのなら、せいぜい裏声でひそやかに。酔流亭は裏声でだって歌わないけれど。映画『カサブランカ』で、親ナチのヴィシー政権を嫌ってモロッコに逃れた亡命フランス人たちが祖国への思いを込めて『ラ・マルセイエーズ』を合唱するのとは事情が違う。どう違うのかといぶかるひとには、石川淳の随筆『歌ふ明日のために』(1952年)を読まれることを勧める。じつは『裏声で歌へ君が代』は、あの名随筆を本歌とするところの本歌取りに他ならない。この小説の発表当時、誰かそう言った人はいないのかしら。 国の歌(とされるもの)を俎上に載せた以上、では国家とは何かに話は進むだろう。そう思って読んでいくうち、終わりのほうにこんな会話が登場する。 「しかし国家の本質的なものを見るには、昔のドイツのほうが具合がいいと思ひますよ。軍事的で封建的な警察国家、あれが国家の原型・・・」 「ええ」 「今のイギリスやフランスはむしろ例外的なものでせう。極端な例外・・・」 (中略) 「それはさうかもしれないけれど、自然現象としての国家の、嵐や津波や火山の爆発みたいな猛威を、何とかうまくしのいで行かうと工夫した結果が現代西欧国家でせう。ですから、原型は君の言う通りとしても、すこしは制御できるし、やはり制御していくほうがいい。いくら諦めても、ね」 「しかし、本質は変わらないと思ひますよ、手加減したって」 「うん、本質はね。しかし表面は改まるし、その表面をすこしずつ深いところまで改めてゆくことはできるでせう。できないかな?」 「具体的に云ひますと」 「つまり、暴君としての国家から、国家に対する反対意見を容認する国家へと変へてゆく」 会話の一方が述べているのは、国家権力の立憲主義化とでも言うことであろうか。国家の本質は暴力装置であることを見据えた上で、その装置を麻痺させていくというような。それはどこまで可能であろうか。しかし、この議論は、その暴力装置がどういう社会制度を守るための装置か、という点を抜きにしては空転する。酔流亭などは、国家の本質たる暴力の発動を抑え込めるほどに人民の力が強いのならば、いっそ社会制度そのものをひっくり返してしまえばいいじゃないかと思うのだが。とはいえ、それで「人民のためになる制度」を作り出したとして、今度はそれを守るためならどんな暴力も許されるということにも、勿論ならない。 色々不満もあるけれども面白い小説である。去年最後に読んだ本。 『裏声で歌へ君が代』(丸谷才一 1982年)
by suiryutei
| 2012-01-05 15:57
| 文学・書評
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Comments(4)
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酔流亭さま、昨年も大変お世話になり、ブログ楽しませていただきました。
今年もよろしくお願いいたします。 (12月に父が永眠しましたので、恭賀の詞は慎ませていただきます) 『裏声で歌へ君が代』僕は昨年の5月に読みました。恥ずかしながら初丸谷でしたが、めっぽう面白くておどろきました。 石川淳の随筆は知りませんでした。ぜひ読んでみたいと思います。
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いっちやんさん、ようこそ。お父上が・・・そうでしたか。存じませんでした。
石川淳のあの随筆を私は『夷斎虚実』と題する随筆集で読みました。文芸春秋社から出た「人と思想」というシリーズのうちの一冊です。30年ほど前のことです。いまグーグルで検索したら、作品社の「日本の名随筆50」中に『歌』というジャンルで出ている一冊にも含まれているようですね(加藤登紀子 編)。 丸谷さんが石川を敬慕すること篤かったのは、あの『文章読本』での石川の文章の引用の仕方からも窺えますね。 今年もよろしくおねがいします。 ![]()
「祖国の子どもたちよ、栄光の日がやってきた!
我らに向かって、暴君の血塗られた軍旗がかかげられた。 血塗られた軍旗がかかげられた。 どう猛な兵士たちが、野原でうごめいているのが聞こえるか? 子どもや妻たちの首をかっ切るために、 やつらは我々の元へやってきているのだ! 武器をとれ、市民たちよ、自らの軍を組織せよ! 前進しよう!前進しよう! 我らの田畑に、汚れた血を飲み込ませてやるために!」 こんな内容の歌(『ラ・マルセイエーズ』)を胸を張って歌えるんですか? 日本には君が代のほうが千倍も相応しいと思う。
タカさん、初めまして。
「胸を張って歌え」る歴史がフランスの人々にはあるのでしょうね。本文をお読みになればおわかりでしょうが、石川淳も丸谷才一も、そして不肖ながら私も『ラ・マルセイエーズ』を日本の国歌にしろなんて言っているのではないですよ。
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