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昨日、神保町で[ミロンガ]に入る前、近くの古本屋を覗いたら、服部之総が書いた『親鸞ノート』が目に入った。1948年の刊行だから、表紙は剥がれて無いし、紙も茶色く変色して滲みだらけだ。発売当時の定価170円というのは、今ならいくらくらいになるのだろう。かなり高価なのではないか。それを600円で買った。 ![]() 冒頭に「三木清と親鸞」という稿が来る。第一章の書き出しはこうだ。 「三木清とは太平洋戦争が始まる年の夏、銀座裏の或るバーで飲み別れたのが最後となった。数年ぶりに、思ひもかけずそこで出逢ったのである。話題はしばらくお互いの身辺に関し、彼に残された長女の名が私の長女と同じ洋子といふのであることを知ったのも、その時であった」。 そして第二章は、三木の遺稿『幼き者のために』について、「この『幼き者のために』ほどうつくしい文章を、人はめったに書くことはできない。それどころか、私はいまだかってこれほどうるわしい文章に接したことがなかった、と云ひたいほどの衝動を覚える」と続く。 服部のこの文章も、またうつくしい。かって三木清と服部之総は激しく論争した仲であった。ことに服部による三木哲学批判の厳しさは、軍国ファシズムと闘う同じ陣営にいる者同志がここまで激しく相手を論難する必要があるのかと、今でも語られることがある。しかし、友情や連帯感と、思想や学問の上での対立とは、また別のことなのだろう。酔流亭などは、むしろそのことに清々しさを感じる。 よく知られているいるように、三木清は終戦前、追われていた思想犯をかくまったとして特高警察に捕らえられ、獄死する。戦争が始まった年に飲み別れたのが最後となったと服部が回想しているのは、そのためである。服部之総は戦後10年すこし生きて、日本近代史についての優れた論文を多く書き、1956年に死去。『服部之総著作集』(理論社・全7巻)は酔流亭の本棚の宝である。
by suiryutei
| 2005-01-29 13:11
| 文学・書評
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