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女優で、劇作家・演出家である渡辺えり子さんは、たしか1955年1月5日生まれである。なんでそんなに詳しく知っているのかというと、その日は酔流亭が生まれた日でもあるからだ。違う世界においてながら、渡辺さんと酔流亭は、まったく同じ時間を生きてきたことになる。 その渡辺えり子さんのインタビュー記事が昨日の朝刊に載っていた。『おやじのせなか』と題して、自分の父親について語る連載コーナーである(1/30朝日)。 彼女の山形の実家には、高村光太郎の直筆サインが入った詩集『道程』があるという。なぜかというと、彼女の父上は戦争中、学徒動員で東京に出て旋盤工をしていた。空襲で「贓物が口から飛び出すほど怖ろしかった」とき、心酔していた高村光太郎の詩を朗唱することで気持ちを和らげたという。空襲がそれてから、無事かどうか様子を見に光太郎のアトリエに行った。すると、光太郎本人が握手をしてくれた。詩集は、そのとき貰ったのだ。 渡辺えり子さんは、その話を父から聞かされたときのことを思い出して、こう言う。「空襲が直撃していれば父は死に、私は生まれていない。遠い存在だと思っていた戦争が突然、自分の人生に直結しました」。 そういえば、高村光太郎も、その後半生を戦争に翻弄された。人間性も知性も充分そなえたあの詩人が、なんで手もなく軍国風潮に呑み込まれたかとも思うが、「天皇あやふし。ただこの一語が 私の一切を決定した」(『暗愚小伝』)。戦後、光太郎は厳寒の岩手県花巻郊外に身を引いて自らを罰する。イラク開戦を支持した今日の知識人たちに光太郎の万分の一の誠実さがあるだろうか。 さて渡辺えり子さんのインタビューの最後は、こうだ。。 「私たちの世代は直接戦争を知らない。でも、親の世代から聞いた話を次の世代に伝える架け橋にならなきゃいけないと思うんです。日本全体が変な方向に走ろうとしているいま、強くそう思います」。 同じ世代の酔流亭に、この言葉はズシンと響いてくる。
by suiryutei
| 2005-01-31 13:42
| 映画・TV
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