新人事制度 大阪での報告①~③
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『伝送便』誌今月号に掲載した文章を転写します。朝日新聞に村上春樹氏が寄稿した文章(09/28)について思うことを書きました。 ![]() 尖閣諸島をめぐる日中関係のこじれを憂えて、小説家の村上春樹氏が九月二八日付け朝日新聞朝刊に寄稿した文章(『魂の行き来する道筋』)を、本誌の読者はお読みになっただろうか。 「領土問題が実務課題であることを超えて、『国民感情』の領域に踏み込んでくると、それは往々にして出口のない、危険な状況を出現させることになる。それは安酒の酔いに似ている。・・・論理は単純化され、自己反復的になる。しかし賑やかに騒いだあと、夜が明けてみれば、あとに残るのはいやな頭痛だけだ」。 こう述べたくだりに私はその通りと思ったし、続く 「そのような安酒を気前よく振る舞い、騒ぎを煽るタイプの政治家や論客に対して、我々は注意深くならなくてはならない」という警句には、なにしろ「騒ぎを煽るタイプの政治家」の典型みたいな安倍晋三氏が自民党新総裁に選ばれたのは寄稿の二日前、二六日のことであったのだから、まことに時宜を得ていると共感した。 しかし、何かスッキリしない。この著名作家は肝心のことを抜かしているのではないか。それは何か。すると、午後になって友人のKさんからメールが来た。Kさんは私より二回りほど年長。二人の兄を戦争で亡くし、平和遺族会で活動してこられた方だ。言い忘れたが、私はその日、解放日をまたいでの深夜勤であったから夕方まで自宅にいた。 メールにはこうあったのである。 「客観的?に描きつつ、なにが原因なのか、そこがスッポリ抜け落ちている、村上春樹の作品を一度も読まないのですが、この作家には日本が朝鮮、満州、中国と侵略していった歴史が見えていない」。 ここなのだと得心した。たとえば九月といえば柳条湖事件のあった月(一九三一年九月一八日)。日本軍が自作自演で満州鉄道を爆破し、それを中国側がやったように見せかけて軍事行動をとる口実とした。無茶苦茶な話だが、ここから拡大していった十五年戦争(日本による侵略)でどれほどの中国人が殺され国土を荒らされたことか。少なく見積もっても死者一千万人という数字がある。中国の人々が日本に対してときに激するのは、これだけが理由ではないにしろ、ひとつにはこんな歴史があるから。ところが村上はそれに触れない。 齋藤茂吉が日米開戦直前に詠んだ歌に、こんなものもあると私が知ったのも九月である。 天皇のいまします国に「無礼なるぞ」われよりいづる言(こと)ひとつのみ あの大歌人にして何というつまらない歌を作ったものか。こっちには天皇陛下がいるんだぞとふんぞり返ったところで、天皇崇拝が通じるのは国内だけのこと。外に向かってミエを切ってもどうにもならないだろうに。茂吉のこの逆上(のぼ)せっぷりに比べれば、春樹の冷静さのほうがずっとまともなのはたしかだ。「万世一系」の天皇を頭に置く大日本帝国憲法下に地位を築いた歌人と「主権在民」の戦後憲法の下で育った小説家の違いはここに明瞭で、だからこそ前述の安倍晋三氏などは戦後憲法に憎しみをぶつけるのである。胸をはって誇っていい憲法だ。しかし完璧ではない。植民地支配責任・戦争責任、つまり加害の自覚が戦後日本の民主主義には欠けていないか。このことを考えさせてくれた点において村上春樹の寄稿は良きテキストではあった。 ![]() ※関連する過去ログとして ☆『「海辺のカフカ」をどう読むか』(06年8月28日) ☆『斉藤茂吉、村上春樹』(12年9月28日) ■
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by suiryutei
| 2012-11-07 08:52
| 文学・書評
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Comments(2)
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お久しぶりです。今日の日記を読んで、「あれ」と思いました。村上春樹をよく読んでおられる酔流亭さんなら、彼が(おそらくは父親のことをきっかけとして)中国への日本の侵略について、デビュー当時からずっと考えてきているのはご存知なのでは?
ただ、今回の短いコメントではそれはあまりに大きな根本的な問題なのでまったく触れられなかったのではとわたしは想像しています。 ただ、村上春樹のコメントとなれば期待してしますが、今回のコメントはあまり出来のいいものではなかったと思います。 あと付け加えれば、(これも想像なんですけど)最近の彼は単純に<加害者、被害者>という構図だけで歴史を見ようとせず、悪意とか暴力とかも含めて、個々人ではなく人間全体について考えようとしているように思います。
とらこさん、おはようございます。昨夜は飲んで夜遅く帰宅したのでレスが遅くなりました。神田駅のガード下の居酒屋。あのあたりはおやじサラリーマン(私も含めて)の世界ですね。大声はりあげて騒ぐオヤジが何人もいて五月蠅いのなんの。
さて村上春樹がその問題を考えてきているはずというのは、そういえばそうでした。ただ、いま発言するなら、やっぱり触れなくてはならないのでは、と私は思いました。彼は、これは小説家としての長所でもあると思うけれど、時代の気分を察知しすぎるところがあるのでは。 <加害者、被害者>という構図だけで歴史を見るべきでないというのには賛成。その上で、われわれの社会は加害の面にもっと向き合うあうことを通過しないと、そこに至れないという気がするのです。
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