新人事制度 大阪での報告①~③
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新一般職と限定正社員との異同について一応の整理がついたとして、限定正社員を推進しようとする議論に対する批判に進んでいきます。導入の意図及びもたらされるであろう結果についての考察になりますから、新一般職も限定正社員に含めて論じても問題ないと思います。 推進の立場から最も説得力のある議論を展開しているのは、先ほども名前を出した濱口桂一郎氏でしょう。彼の論考に対する私の批判は二月に東京で開催した学習会で述べましたし、それは『伝送便』誌4月号にみっちり3ページ分の記事になっていますから、今ここでは繰り返しません。そのとき述べなかった点だけ補足します。 濱口氏が限定正社員を提唱する問題意識としては、第一に1990年代以降、正規雇用が絞り込まれていった結果それ以前なら正規採用されたはずなのに常用非正規として取り残された若者たちの状態をなんとかしたいという思いがあります。第二に、やはり90年代以降、成果主義が拡がる中で正社員の少数精鋭化が進み、その当然の結果として正社員の負荷が増大しているという認識があります。これらの点は私たちの認識と全く一致する。彼はそこから、常用非正規からは雇止めの不安を取り除き、かつ負荷に喘ぐ正社員を解放する途としても限定正社員を唱えるのです。氏をもって「善意の提唱者」と評した所以です。 第一の点については、限定正社員(新一般職)のあまりに低い労働条件を押し上げていき、あまりに狭い登用の門を押し広げることでいくらかは果たせるかもしれないと私も考えます。ことに郵政においては新一般職はすでに導入されたわけですから、この二つの課題(賃上げと希望者全員登用)実現に全力を挙げなくてはならないと思う。賃金について言えば、地域基幹職は役付きになり管理職になればそれに伴って手当がつくし昇給カーブも上がっていくのですから、新一般職との待遇差はどんどん拡がる。椿さんも主張されているように基本賃金にまで大差をつけることはないでしょう。 問題は第二の点です。従来の正規雇用から一定の数が限定正社員に移るとすれば、残った人たちの少数精鋭化はこれまでより段違いのレベルで進むのです。それは現在以上に過労死を頻出させるような働き過ぎをもたらさないだろうか。 自覚的なエリートならそれもやむを得ないと濱口氏は考えているようにも思われます。しかし、これまでだって過労死したケ-スの多くはどちらかといえば少数精鋭に含まれる労働者でした。自分で選んだ道なのだから仕方ないと言い切ってよいものか。また、従来の正規雇用と限定正社員との格差が甚だしく、後者の待遇が低いものであるなら(現実にそうですが)、養育費や住宅ローンを抱えていれば必ずしも精鋭労働者でなくとも従来の正規雇用にしがみつかざるをえません。そんな既得権はもうゆるされないのだと言って済ませていいのでしょうか。日本政策金融公庫の調査によれば、2013年、高校入学から大学卒業までに必要な費用の平均は子ども一人あたり1055万8千円にのぼっています。在学費用の年収に対する割合は平均40.1%とのことです。私たちの国では、西欧のいくつかの国のように教育にかかる費用などが社会化されているわけではまだないのです。いずれ役職になり最後は管理職に昇っていくことと引き換えに実質無限定な働き方を受け入れるような、従来の正規雇用のそんな在り方がいいと言っているのではありません。出世を目指さない限定正社員のほうが労働者らしいとも言いうる。それがこれほどの低待遇でないのならば。 子どもの養育費などを(国の支出ではなく)生活給でまかなってきた社会が、この仕組みは変えずに賃金だけ「ジョブ型」に変えたらどういうことになるか。いや非正規雇用労働者は既にその目に遭っているわけですけれども、それはおかしいと濱口氏も含めて私たちは主張してきたのです。実は濱口氏の最新著『日本の雇用と中高年』(今月10日公刊、ちくま新書)は巻末でこの問題に触れています。が、なにか尻切れトンボになっているきらいがある。 「希望者全員の格差なき正規雇用化」なんて言ったところで現実に不可能なのだから、今現在可能なことをやっていくしかないでしょう、というのが濱口氏の研究者としてのリアリズムなのでしょう。私たちの要求が全て通るとは私も思いません。ここからは現状認識というより生き方の問題になってくる。たとえ要求が通らなくても、要求を掲げて運動を起こし体制側をゆさぶることができたなら、100掲げた要求のうち通ったのが僅か1か2であったとしてもその1は私たちの運動でねじ込んだものであるとするなら、そのこと自体が力関係を変えていく力を私たちに蓄えます。これが大事なのではないでしょうか。現状の枠の中で可能な処方箋を書いていくだけでは、その枠を変えていくような力関係の変化はいつまで経っても訪れません。 (つづく)
by suiryutei
| 2014-05-24 08:57
| ニュース・評論
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