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新人事制度 大阪での報告①~③
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限定正社員をテーマにしたHOWS講座での報告(09/24)はこれが最終回です。闘いの方向をさぐり、また生活給について考えてみました。 ![]() では、どう闘えばいいのか。限定正社員(新一般職)がすでに導入されてしまった郵政では、この制度の毒をどう薄めていくかが課題とならざるをえません。まず現実的なところでの最低限の要求として、希望すれば誰もが非正規から新一般職に転換できるようにするべきです(労契法18条の5年間という枠を取っ払わせての応用)。これは新一般職が増えることに通じるわけですから、「このあいだまで新一般職導入反対と言っていたくせに矛盾しているじゃないか」との声が飛んできそうです。たしかに矛盾なのですが、私たちがその導入に反対してきた理由の一つは、選別の厳しさが競争を激しくするからです。これを弱めなくてはなりません。もっとも新一般職の現状のような低待遇では来年度わずか2000(郵便事業コース)の登用枠といえども定員割れもあるかもしれない。そうなればスタート早々、同制度は崩壊する。これは現代の“逃散”とも言うべき<すき家の乱>と同様の事態です。そういう状況が見通せる事態に立ち至ったなら、受験ボイコットを呼びかけて崩壊を早めるという手もありえます。若い人の将来に関わることですから、慎重に討論していかなくてはなりませんが。 始まった労契法20条裁判はきわめて重要です。先ほど述べたように、同法には“両刃の剣”のようなところがある。第一に、資本は均等要求をかわすため正規雇用に一層の負荷をかけることで違いを際立たせようとするでしょう(ホワイトカラー・エグゼンプション、配転の一段の常態化など)。第二に、正規雇用そのものの低廉化が狙われ、それが限定正社員であることをここまで見てきました。均等を安上がりに“実現”させようとする資本と、ちゃんと生活できる水準での均等を求める私たちとの押し合いだ。20条は均等をどのレベルで達成するかについては何も規定していないのですから、資本の意図を押し返していく私たちの運動が重要です。闘いを法廷の中だけにしてはならないと思う。郵政ユニオンの取り組みということでJP労組はこれを黙殺しています。この労組が機関として裁判支援に動くことはないだろう。しかし、同労組の組合員の中に支援の声を拡げていくことができれば、非正規格差問題に同労組を取り組ませていく突き上げになります。それがはねかえって裁判を原告に有利に進める側圧になるのです。 限定正社員がまだ導入されていないところでは、やはり導入反対の声を上げ続けることではないでしょうか。熊沢誠さんなどは、資本の意図をむしろ逆手にとって全ての非正規労働者の限定正社員化を求めては、とおっしゃっていると聞き及びます。JP労組が手をこまねいていたため一段と酷い内容での導入となった郵政を思うと、熊沢さんの言われることもわかるのですが、しかし限定正社員は無いにこしたことはないので、こちらから要求するのはどうかと思う。私たちの主張はあくまで「格差なしの正規雇用化」ではないでしょうか。この要求にもとづいて正規・非正規の連帯を追求していきたい。 補遺 生活給を考える ここまでは<ゆうせいネット>の学習会で報告してきたことの焼き直しです。その報告を準備するなどしてきた中で考えたことを、ここから述べたいと思います。 限定正社員の限定たる所以は職務や地域が限定されることです。整理解雇四要件は、特定の職務が消滅しても他の職務がある限りは(職務が無くなった)労働者をそこに配転させることで解雇は避けるよう努力することを資本に義務づけていますが、限定正社員はその義務から企業を解放します。解雇をしやすくするものと言われるのはそのためです。 もうひとつの狙いが生活給の破壊であることは郵政新一般職の年収モデルを見るとわかる。郵政グループ平均では年収400万円に達するのは32歳で405万円(各種手当込み)。最高額に達する54歳時点が482万円です(その後また少し下がって定年の60歳では467万円)。22年かけて77万円しか伸びない。従来の正規雇用だと32歳ならそろそろ500万円に届くから、この時点でも約100万円の差があるけれど、問題はその先です。従来の正規なら54歳時点には750万円前後でしょうか。年々収入が増えていくのは、家を持ち子どもが高等教育を受ける年齢になっていくのと釣り合っています。それでも年収500万~700万では首都圏では大きな家は持てないし(住宅ローンの返済額は手取り年収の5倍以内が限度だそうです)、子どもが二人いて私立大学に進んだとすると生活はかなり苦しい。家族の生計を労働力商品の再生産費だとすれば従来の正規雇用でもどうにかギリギリ再生産しているということではないか。男だけが働くという生計モデルがおかしいと言われそうだが、女性が出産のあと常勤として職場に復帰するのはかなり困難なのが日本の現実です(第1子が生まれる前の女性の47.2%は常勤の就業者であったものが、出産後には17.8%に激減というデータがあります)。そして非正規雇用の賃金(大抵はその地域の最低賃金そのままかほんの僅か上回る程度)が家族の生計可能とは隔絶した水準なのは、非正規雇用労働者は家計維持型とは考えられていなかったからでした(先ほど紹介した「経労委報告」参照)。夫が正規雇用労働者であるならば、その妻であり息子(娘)であるパート労働者は賃金が安くたって家族として生活は成り立つという計算です。ところが、ここまで見てきたように1995年の日程連「新時代の『日本的経営』」以降、そうした前提が崩れ、非正規雇用で生計を立てなければならない労働者が増えてきたわけです。事態の打開策と触れこまれた限定正社員も、労働組合が手をこまねいてきたこともあって、正規雇用の買い叩きという面のほうが強い。限定正社員の賃金では自らを労働力商品として再生産するのは困難です。 我が国で生活給という考えを最初にまとまった形で出したのは呉海軍工廠の伍堂卓雄という人だと言われています。賃金が労働力の需給関係だけで決まり生活費の要素が考慮されないと労働者が「赤化」する、それはまずい、ということでした。賃金は生活費がかさんでいく加齢とともに上げていかなくては。1922年のことですから、1917年のロシア革命の影響をここにも見ることができます。戦時下の「皇国戦士」育成体制下でこの生活給思想はいっそう強まり、戦後になると今度は労働運動の側がこれを手にします。その典型例は「電産型賃金体系」(1946年)でした。これは当時の電気産業の労働組合が獲得した賃金体系のこと。日本資本主義史上,労働組合の手で作成された唯一の賃金体系であると言われています。この体系がそのあとしばらく多くの産業に拡がった。生計費を基準にした生活給の考え方を中核とし、能力給の考え方を加味。だから査定もされるけれど、その部分は低かった。私が入局した頃の郵政の賃金はまだこの影響を残していたようです。 賃金を労働力の再生産費とし、労働力の買い手にその費用を負担させるとしたことは間違っていないと思います。労働者が年齢をかさね、結婚し子どもも作れば、その家族を養う費用も労働力の再生産費のうち。だから加齢とともに賃金は上がっていくことになります。しかし、これは「同一労働・同一賃金」という要求(原則)とは矛盾します。同じ労働をしても人によって賃金が違うのですから。現に電産型に世界労連は批判を加えました。それに労働力の再生産費を当該企業(だけ)に負担させようとすると、賃金は会社の業績次第という考えを忍び込ませることにもなります。また会社にとって「外部的」な非正規雇用労働者は視野の外に置かれる。この両方が日本の労働運動をダメにしてきたのは言うまでもありません。当時の状況としてやむをえなかった面もあります。電産型賃金体系が確立した1946年といえば敗戦で国家はまだ崩壊状態でした。ところが企業は儲けるところは儲けていたし、やがて朝鮮戦争下での特需もあり、日本は社会保障など後回しにして企業の利潤から復興していった。労働運動の側が「今はとにかく獲れるところからとれ!」と突っ走ったのも無理からぬところがあった。問題はその後の方向転換ができなかったことです。では、どうすればよかったのか。生活給思想では賃金に含めていた養育費や教育費、住居費などは(総資本=労働力商品の買い手全体の代表である)国の支出に置き換えていく方向が採られるべきではなかったでしょうか。 じつは、濱口氏などが限定正社員を推すのにも、この方向への志向があるからだと思われます。氏の近著『日本の雇用と中高年』(5月10日公刊、ちくま新書)からは、そう読みとれる。日本では大企業の正規雇用に限ってですが養育費や住居費など欧米では社会保障の分野に置かれていることまで賃金でまかなってきた。ならば賃金からその部分を削ってしまえば国は児童手当の充実などの政策に取り組まざるをえないだろう、と。しかし、それは手順を間違えていると思います。今日の政治が社会保障を充実させる方向に進むとは思われないからです。国の財政状況を見ても、むしろ逆でしょう。いま賃金から生活給的要素を削って「ジョブ型」にしたら文字通り「やらずぶったくり」になるのではないか。 1974年版『労働白書』(当時の労働省発行)は、当時のフランスの児童手当について詳しく紹介しています(下の引用は前出『日本の雇用と中高年』からの孫引き。なお、濱口氏への批判を書き連ねてきましたが、氏から学んだこともまた多いことを付記します)。 第二子について基本賃金月額の22%、第三子および第四子についてはそれぞれ33%が支給される。対象児童のうち10歳以上15歳未満については9%、15歳以上には16%の加給がある。・・・子供数が多くなると家族手当の額が多額になるため、同一賃金の労働者でも単身者と子ども5人の労働者では約70%もの可処分所得の格差が見られる・・・ 住宅費用でも同様の保障があったそうです。これだけ手厚ければ生活給ではなくジョブ型でやっていける。ちなみに現在の我が国の児童手当は0~3歳まで一律15.000円、3歳~小学校修了まで第一子・第二子10.000円(第三子以降15.000円)、中学生10.000円、中学修了で打ち切りです。しかし留意しなければならないのは、その当時(1970年代)のフランスとは最近話題のトマ・ピケティが言うところの資本主義の“例外状態”であったことです。社会主義国の存在という側圧も働いて、フランスなどいくつかの進んだ資本主義国ではある程度の「福祉国家化」が実現した。けれどもそれは世界資本主義として極めて例外的な一時期だったのではないでしょうか。今日の資本主義からは福祉国家を実現する余力は失われているのではないか。ここのところは濱口氏と私とでは資本主義をどうみるか・国家をどうみるかの違いになってくると思いますが、社会保障を充実させようという意志も力も無い相手に期待して今現在まがりなりにも手にしているものを手放すのは危険です。住居や養育にかかる費用が社会化されるなら生活給からその部分は削れるとは、私も去年2月(東京)・4月(大阪)の学習会報告で提起しました。しかし順番が逆になってはなりません。 福祉国家を構想するより「やらずぶったくり」への抵抗を組織することが今日重要ではないでしょうか。限定正社員が拡がっていくのは、格差がさらに持ち込まれることによって抵抗を組むことの困難が増すことにつながらないか。 最後にメンバーシップ型とジョブ型という対比について一言。日本の労使関係にメンバーシップ性が強いのは事実だと思う。生活給がそれを補強してもきました。しかし、日本も含めて労働と資本の関係は本当の意味で同じメンバーたりうるでしょうか。搾取する側とされる側として本質的にはやはり相いれないと思います。だから日本の労使関係をメンバーシップ型と言い切ってしまうことには私は躊躇いがある。そう表現したくなるほどメンバーシップ性の強いことが日本型の特徴だとは言えるでしょうが。これを克服していくことが私たちの課題であることについては私も濱口氏と考えを同じくします。 (完)
by suiryutei
| 2014-10-03 15:09
| ニュース・評論
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Comments(2)
こんにちは。今回は力が入っていて説得力を感じました。最後の「補遺」が特に共感できました。パート女性労働者が家計補助的賃金で「賄えている」んだから、非正規雇用の低賃金は「正当だ」という日経連の主張は、これまで生活給ですら不足して家族のために少しでもパートに出て懸命に働く女性を愚弄しています。おっしゃるとおり、生活給獲得の闘いは、地域で連帯して養育費、住居費、教育費を獲得していく部分が弱く、個人賃金の生活給上昇にとどまった限界が、非正規雇用の拡大によって分断を拡大されたと思います。賃金から生活給部分を削ってジョブ型にしたら「やらずぶったくりになる。」おっしゃるとおりです。生活給と、共同して住居費、養育費の国家負担追求は、一個二重の闘いであるべきです。
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墨田のカッパさん、ありがとうございます。うれしいコメントです。一番言いたかったことを正確に読み取ってくださいました。
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