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24日の日記に竹島(韓国名・独島)のことを書いた。歴史的経緯のことなど何も知らずに書いたのだが、その後すこし調べてみると、江戸時代後期にも竹島を巡った事件が起きている。 天保7年(1836年)、石見浜田の廻船問屋、会津屋清助という者が、竹島での密輸の罪で幕府に処刑される。この海外貿易は浜田藩の後ろ盾によって行われていたから、そのため藩家老の岡田頼母は自殺、藩主の松平康任は奥州棚倉に移封された。 しかし、表向きは竹島ということになっているが、密輸の舞台はじつは琉球(沖縄)であったらしい。実態をそのまま出してしまうと、ことがあまりに大きくなってしまうので、幕府の表向きの処分理由は、琉球のことも海外貿易のことも一語も出さずに、ただ竹島に渡海したことだけを罪とした。 当時、日本列島に住んでいた人たちには竹島は自国領という意識は無かったものらしい(だから海外渡航の罪にされたのである)。そして、事情はおそらく朝鮮半島でも同様であって、あのころ竹島は無主の地、つまりどちらの領土でもなかった。現在の日韓両政府が「歴史的にみて自国領であるのは明白」とお互いに言い張っているのは、ちょっとあやしい。 そうなると、残る問題は国際法上ではどうか、ということになるが、この点での日本政府の主張は、1905年1月の閣議決定で日本領土への編入を決めたことが国際法上有効だ、ということにつきる。それはそうかもしれないけれど、要するに無主の地に先にツバをつけたというだけの話だ。 結局、竹島をめぐって領土争いをやるのは、じつにつまらないことに思える。もっとも、日本が韓国を保護国化したのも同じ1905年だから、韓国の人たちにとっては「つまらないこと」ではすまないのだろう。このあたりの歴史的背景を日本人はやはり考えなければならない。 昨日の朝日新聞朝刊のコラム『風考計』で、若宮啓文記者は、島を日韓共同管理にできればいいのだが、韓国側は応じないだろうから、いっそのこと島を譲ってしまったらと書いている。見返りに韓国はこの英断をたたえ、島を「友情島」と呼ぶ。周辺の漁業権は将来にわたって日本に認める。他の領土問題では日本を全面的に支持する・・・。若宮記者はこれを自ら「夢想」としているが、悪くない提案に思える。
by suiryutei
| 2005-03-28 17:51
| ニュース・評論
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Comments(4)
「春さきの風」の作者の中野重治は竹島事件を題材にして「相撲とろうの国」という短編を書いています。
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獺池入道さん、初めまして。
中野重治にそんな短編があったのですか。教えてくださってありがとうございます。隣町の図書館に中野の全集が揃っているので、こんど捜してみます。 この日の日記に書いた「竹島事件」のことを私が知ったのは、中野と同世代の歴史家・服部之総の遺稿集(『日本人の歴史』法政大学出版会)からでした。
『角力取ろうの国』でした。(変換の確認をぬかってしまった)
獺池入道さん、こんばんは。
ありがとうございます。隣町というのは千葉県柏市なのですが、この一月、出かけて行く機会が無くて、まだあたっていませんでした。自分で勝手に『相撲』と『蝋』というふうに読んでいましたが、「相撲取ろう」だったんですね。
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