新人事制度 大阪での報告①~③
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月末は『伝送便』誌の発行準備でいつも大わらわになるのであるが、ことに今月は来月号の原稿がかなり足りなくなるのではないかと危惧された。下の文章は原稿が不足してページが埋まらない事態に備えて急ごしらえで書いたもの。 ところが、幸い、来月号のテーマ(郵政の株式上場)に沿った内容で原稿が揃った。そこで、拙文はこのブログのほうにUPします。 北陸新幹線が開通したら、それに乗って金沢に行こうとは一年くらい前から夫婦で企んでいた。こう書くと、なんだお前はついこのあいだも「卒業旅行」とか称して飛騨に行ってきたばかりだろう、定年になった途端にネジが緩んで遊びほうけているのかよと呆れられそうである。でも飛騨に行ったのは勤続四〇年の自分へのご褒美、こんどの金沢は昼夜逆転の変則勤務の身を支えてくれた連れ合いへの感謝を込めた旅である。 四月十四日、上野駅から僅か二時間半ほどの旅程で金沢駅に降りると、改札口にはTVカメラなんか据えられている。何事かと思ったら、この日は金沢まで新幹線が通るようになって丁度一か月という節目なのであった。金沢は今ちょっとしたバブルである。人の多いこと。駅ビルの商店街は一〇〇店に加賀百万石もかけたか<百番街>と称して以前から充実していたが、最近は<あんと>のほうが通りがよい。この一か月で客足がぐっと伸びたという。<あんと>というのは、能登の方言で「ありがとう」の意だそう。 盛り場・香林坊のホテルに荷を解く。それから<ひがし茶屋街>に向かった。定番の観光コースですね。お土産に麩(味噌汁の具に使う、あのお麩です)を買ったりしてから浅野川の川べりに出た。四月なかばといえば東京では桜はもうほとんど散っていたけれど、金沢では満開は過ぎたといえまだ七分ほど残っている。浅野川や犀川で花見をしたいという長年の夢が叶った。 金沢の美味いもの 川沿いを行くと<徳田秋声記念館>があった。「入館料が三〇〇円以内だったら寄ってみようか」と、セコい相談を連れ合いに持ちかけると、果たしてその三〇〇円であったから入ることにする。日本における自然主義文学とは何かを勉強させてもらった。なお金沢が生んだ三大文豪というのは泉鏡花・徳田秋声・室生犀星を指すのだそうである。金沢に縁のある文士は他にもたくさんいて、福井県出身の中野重治は旧制高校が第四高等学校だったから青春の数年間を金沢で過ごしたし、この頃むやみに評価の高い吉田健一はしばしば訪れて金沢の美味いものについて色々書いている。美味いものといえば、まだ生きている人では五木寛之が金沢のおでんを推奨していることは丸谷才一の名著『食通知ったかぶり』によって広く世に知られた。 「五木寛之さんに金沢の食べものについて訊ねたとき、彼が最も力説したのは、一体このへんのところが五木さんの泣かせるところなのだが、金沢のおでんがじつにうまい、どこのおでん屋に行ったってうまい、といふことであった」(丸谷『九谷づくしで加賀料理』)。 で、我らのその日の夕食。ちょっと贅沢をして、片町にある寿司屋に入りました。七年前、若狭の小浜に行った帰途、日本海側を北上して金沢に一泊したことがある。そのとき寄ったのと同じ店だ。美味いのとその割には勘定が安いのにビックリして、金沢にまた行くことがあったら再訪したいと思っていたのである。いや本当はこの店に行きたかったから定年旅行の行先に金沢を選んだのかもしれない。 つけ台の前に七~八席と奥に小上がりがひとつだけの店。つけ台(カウンター)の前に席をとり、飲み始めていると、年のころ五〇前後、男前の親方が、 「前にもいらしたことがありますね」 あるけれども、もう七年前だし、それも一度きりだ。驚いた。こちらのほうで覚えているのは、この店には寿司屋には珍しく女性の職人が一人いることである。七年前はまだ寿司は握らせてもらえず、下働きだけだった。手拭いを細く絞って鉢巻にしていたのが初々しかった。今は焼き方を担当しながら寿司も握る。つまり穴子なんかは握る前に軽く炙り、そういうのは彼女が出してくれた。きりりとした職人ぶりで、もちろん美人。 翌朝、ホテルの窓のカーテンを開いたときは青空が出ていたのに、街に出た頃には雨になっている。 「北陸では弁当を忘れても傘は忘れるなと言うんです」 そうタクシーの運転手にもその夜の温泉旅館の仲居さんにも言われた。今年のJP労組全国大会の会場は金沢で、しかも六月のなかばであるから梅雨の真っ最中。会場前ビラ撒きの面々は心してかからないといけない。 この日は犀川沿いを歩く。浅野川沿いが徳田秋声なら、こちらは室生犀星である。<犀星のみち>なんていう小道が続く。浅野川が穏やかな流れなのに対して犀川は水量豊富にごうごうと。金沢駅に戻って特急[サンダーバード]に乗って和倉温泉に向かった。 『まれ』の風景 和倉まで来れば、もう能登半島だ。温泉旅館のロビーではNHK朝ドラ『まれ』の録画が大きな画面で繰り返し放送されていた。ドラマの舞台、外浦村というのは架空の地名だが、能登半島の外洋側、地図で見れば左側のほうを総称して<外浦>と呼びなす。右側のほうは<内浦>である。波穏やかな<内浦>に対して<外浦>は日本海の荒波と強風にさらされるから、風を防ぐため、この地方には独特の垣根があって砂浜にめぐらされている。長さ三メートルほどにもなる細い竹をびっしりと隙間なく並べて作った垣根で、<間垣>という。『まれ』をご覧になっている人はもうお馴染みですよね。 この<間垣>をTVで視るごとに私は幼かったときの夏の記憶が蘇る。私の母方の祖母は奥能登の出身だったから、小学校に上がるかどうかという年齢だった夏、一家で祖母の生家に滞在したことがあるのだ。ドラマには夏の祭りも登場する。キリコという背の高い灯篭が能登の祭りの特徴である。あの夏、私は祭りの山車に乗せてもらった。でも地元の子ではないかなしさ、途中で心細くなって山車の上でベソをかいたのを覚えている。 祖母は、おそらく<口減らし>ということであったのだろう、半農半漁の寒村から東京に出て料理屋の仲居になった。そこに客として通っていた岩手県花巻出身の若者と恋仲になる。その若者が私の祖父だ。祖母は明治四〇年代の生まれだから、大正から昭和になるかどうかという時代の話。 そんなファミリー・ヒストリー(?)をつらつら想い、温泉宿で夕食を摂りながら酒を飲んでいると、窓の外がぴかりと光って稲妻が走った。一首浮かぶ。 潮風と桜カミナリこきまぜて我が還暦の春は酣(た)けゆく
by suiryutei
| 2015-04-26 16:31
| 旅行
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