新人事制度 大阪での報告①~③
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遅くなりましたが、沖縄への旅(7/12~16)について報告します。今回から三回ほどに分けてUPするつもり。『伝送便』誌でも八月号から連載しますが、このブログの記事が土台になります。 比嘉宏さんは沖縄で最初に郵政ユニオンの組合員となった方である。一昨年、郵政を定年退職してから一坪反戦地主会の事務局長に就任。五月に東京で開催した沖縄現地報告集会では講師を引き受けてくださった。そのときが初対面である。以前からメールのやりとりはしていて、私が沖縄に行くと知るや、車を出して辺野古へも高江にも連れて行くと請け合ってくださったのである。それに甘えることにした。那覇から辺野古へはバスがあるけれども本数が限られているし、本島北部に広がる原生林地帯である高江へは車が無いことにはまことに不便。 キャンプ・シュワブのゲート前で 高速道路を使うと辺野古まで一時間ちょっと。すなわち午前八時過ぎにキャンプ・シュワブのゲート前に着いた。途中、弁当屋で弁当、コンビニで水を買う。座り込み現場の近くには売店は無いから弁当は忘れずに。座り込みテントに冷たい水はタンクで用意されているけれども水筒、ペットボトルもなるべく持参したほうがよいだろう。ゴミはもちろん必ず持ち帰ること。 台風九号が沖縄を襲った直後である。暴風雨の数日間はテントも避難していて、前日の日曜からいつもの状態に戻ったという。キャンプ・シュワブのゲート前に、国道を挟んで青いシートが張られ、折り畳みの椅子などが並ぶ。訊ねた七月十三日時点で「座り込み三百七十二日」という看板が立っていた。この数字は日々更新されていく。去年座り込みが始まった当初はテントもゲート側のほうに毎朝設置していたとのことだが、現在は道の向い側に落ち着いたようだ。樹木を背にするので、このほうが木陰になる。もちろん何か動きがあればゲート前に詰めかける態勢に緩みはない。毎日、早朝に工事関係の車両の出入りがあり、そのときはゲート前を封鎖するべくせめぎあいが繰り返されていると聞いた。 朝九時、集会が始まった。座り込みの先頭に立ってきた山城博治さん(沖縄平和運動センター議長)は悪性リンパ種で五月から闘病生活に入っている。この日の進行役は「セナガさん」と呼ばれる中年男性。瀬長亀次郎(元沖縄人民党委員長、那覇市長、衆院議員)のお孫さんだと後で知った。テントの周辺をウロウロしながら写真を撮ったりしていると、 「土田!」 声を掛けられた。沖縄在住の本誌読者、麓隆治さんだ。じつは麓さんとはただ本誌読者というだけの繋がりではない。四〇年前、一九七五年の秋、東京中央郵便局に入局したとき、同じ課で一番親切にしてくれた先輩が麓さんであった。初めて泡盛を口にしたのも、彼に新宿のションベン横丁で立ち飲み屋に連れて行かれたとき。もっとも、そのときは杯を口元までは持って行ったものの、強烈な香りに飲み干すことはできなかった。今日の泡盛は当時と比べると随分飲みやすくなったと思う。 そのご麓さんはUターン転勤で郷里の沖縄に帰り、今日に至る。二年前の参議院選挙のときは前記の山城博治さんが参院全国比例区に社民党公認で立候補したのを勝手連的に応援、私のところへも山城さんの顔写真の入ったウチワやDVDなど応援グッズをたくさん送ってきてくださった。去年私が労働者文学賞を受賞したときはお祝いに泡盛の四合瓶を贈ってくれた。山城さんについては十一万票以上を獲りながらも惜敗は残念だけれども、これは比嘉さんが言っていたことだが「負けていて良かった。山城を国会にとられていたら辺野古でこれほどの闘いは作れなかった」。山城さんと稲嶺進・名護市長の人気は沖縄で絶大であるように見受けた。 一〇時過ぎ、二〇人ほどの学生がテントを訪れた。男子は一人だけで、あとは女子。沖縄キリスト教学院大学の学生で、白人の教官に引率されている。授業の一環として座り込みの人たちに聞き取りをやりにきたという。もちろんテントの人たちは大歓迎である。ところが学生たちが私たちの中に入ってきたところで事態が緊迫した。工事関係の車両がゲートに向かっているとの情報。私たちは、八〇人くらいだったろうか、道路を渡ってゲート前に密集する。そこへ機動隊が隊列を組んで向かってきた。
by suiryutei
| 2015-07-30 08:58
| 旅行
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