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7月の沖縄への旅の報告です。『伝送便』誌10月号掲載。8.9.10月号に連載された、その最終回です。 ![]() 基地の町・嘉手納で 嘉手納は基地の町である。極東最大の米空軍基地がある。二本の滑走路は成田空港の規模に匹敵し、広さは羽田空港の二倍。夜、麓さんはちょっと会合があるという。嘉手納でも「島ぐるみ会議」が発足する運びとなり、七月三十一日に予定される旗揚げに向けた会合とのこと。「島ぐるみ会議」とは正式名称<沖縄『建白書』を実現し未来を拓く島ぐるみ会議>であって、『建白書』とはオスプレイの配備撤回や米軍基地の県内移設断念を求めて沖縄の四十一市町村の首長すべてが署名したもの。六月末の時点で、その四十一のうち二十二の市町村で「島ぐるみ会議」が結成され、さらに増え続けている。嘉手納も続こうというのである(今この稿を書いている九月中旬、「島ぐるみ会議」は四十一市町村のうち四〇に結成されているとのこと)。 そこで、麓さんがその会合に出ている間、私は図書館を覗いてみることにした。じつに立派な建物の四階が町営図書館になっている。隣にも立派な建物があって、沖縄防衛局であった。図書館のあるほうの建物の一階ロビーには元外務官僚の岡本行夫氏、千葉商科大学学長の島田晴男氏、自治大臣等を務めた故・梶山静六らの彫像がある。この人たちが尽力した沖縄米軍基地所在市町村活性化特別事業というものの説明が彫像の横に書かれていた。 米軍基地に施設用地を提供する県内市町村の閉塞感を打開し、地域活性化を促進するため、政府の補助を得て・・・。 建物が立派である理由がわかった。岡本氏は主観ではしんじつ沖縄のためを思っているつもりかもしれない。一九歳で終戦を迎え、あと半年戦争が続いていたら特攻隊員として戦死していたかもしれない梶山静六(彼は敗戦時、陸軍航空士官学校にいた)の口癖は「戦争は悲惨だ、絶対やっちゃいかん」であったという。しかし、この「地域活性化」は札束で人の心を支配しようとするものではなかろうか。そしていま沖縄の人々は中央政府のそうしたやり方にNO!を突きつけているのではないか。 図書館には雑誌『世界』がバックナンバーも併せて置いてあったから、その今年五月号掲載の翁長雄志・沖縄県知事と寺島実郎氏との対談を読む。北海道出身の寺島氏は、かつて旧ソ連の脅威が喧伝されていたときでも在日米軍基地はソ連に近い北海道には一つも無く、その北限は青森県三沢の通信基地であったことを指摘している。日米安保条約が、在日米軍が、本当に「日本を防衛するため」にあるのだとすれば、こんなことはおかしいのではないか。 現実には、在日米軍基地は日本防衛のためなどではなく、アメリカが世界戦略を展開する上での後方基地として存在しているのである。在日米軍基地のおかげで日本は守られているというのは虚構に過ぎぬ。そして、私が思うに、かつての「ソ連の脅威」もこんにち言われる「中国の脅威」も虚構であるからこそ、ハリボテみたいな虚構前者もまかり通れるのではなかろうか・・・。 旅の終わりに その夜は、会合から戻った麓さんと泡盛を酌み交わす。庭に用意された食卓に奥様の手料理が並んだ。夜遅い時間だというのに爆音が時おり聴こえるのはやはり基地の町である。 いっぽう 「キュッ、キュッ」 聴こえるのを 「ヤモリの鳴き声」 奥様がそう教えてくれた。千葉県にある我が家にもヤモリが棲みついているけれども鳴かない。南国特有の生態であろうか。 翌十五日、麓さんが車で那覇市内まで送ってくださった。<不屈館>を見学。瀬長亀次郎を顕彰している。「戦争法案」が衆院特別委員会で強行採決されたと知ったのは、そのあと昼食を摂る店をさがして市内を車で走っているときであった。 そのころ東京は梅雨の晴れ間で物凄い暑さだったという。沖縄は私のいたとき最高気温三十一~二℃だから、こちらのほうが過ごしやすかったろう。暑い中を法案に反対して連日国会に詰めかけた友人たちには申し訳ないような気もするけれども、沖縄に身を置くことで見えてきたこともある。戦争法案で進むのは、日米同盟において日本が一歩前に出ての沖縄の要塞化であり、辺野古基地建設もその一環に他ならないということだ。あれはただ普天間の危険軽減のためにやろうとしているのではない。 麓さんと別れ、その夜は居酒屋でひとり泡盛を飲んだ後、桜坂劇場という映画館で『戦場ぬ止み』(三上智恵監督)を観た。辺野古の闘いを記録したものである。今回の訪問では闘病のため姿を見ることができなかった山城博治さんがスクリーンで躍動している(山城さんは八月下旬、入院先から退院されたとのこと。それも当日に麓さんが電話で教えてくれた。嬉しそうな声だった)。 こうして私の沖縄の旅は終わった。その数日間は、キャンプ・シュワブのゲート前でスクラムを組んで座り込んだときの我々の汗の匂いとともに生涯忘れることはない。八月一〇日から一カ月の辺野古での新基地建設作業中断は終わり、作業ははやくも九月一二日には再開された。安倍政権はまた牙を剥き出しにしている。いっぽう翁長知事は仲井真弘多前知事による辺野古沿岸部の埋め立て承認を取り消すための手続きを開始した。これは「沖縄県民の心」を体して「ありとあらゆる手段を講じて辺野古に基地を造らせない第一歩」(翁長知事)である。闘いは新たな段階に入った。 私は今、職場での勤務中、作業シャツの胸に「辺野古に新基地はいらない」と印された小さなバッジを付けている。<不屈館>の売店で麓さんが買って私にくれた。九月一二日に二万二千人が結集した<辺野古に基地は作らせない・国会包囲>には<ゆうせいネット>の旗と共に参加した。微力ながら沖縄の闘いとともにありたいと思っている。 ※関連する過去ログとして ☆『沖縄への旅①那覇から辺野古へ』(15年7月30日) ☆『「伝送便」誌に載った沖縄の旅の報告です』(15年9月7日)
by suiryutei
| 2015-10-01 10:27
| ニュース・評論
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