新人事制度 大阪での報告①~③
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『伝送便』誌今月号に書いた文章をもうひとつ転写します。 九月初めの週末、信州上田に行った。二泊三日の旅。 四日の金曜に別所温泉に泊まり、翌土曜日、シャトルバスで無言館に向かう。先の戦争に出征して帰ることのなかった画学生たちの遺作がここには展示されている。芸大や美大に在学中あるいは出身者に混じって、学校には通わず独学で画いていた若者の作品もあった。 私は一〇年前にも一度訪れている。そのときは没年が一九四五年という人が多いことが印象に残り、「もうすこし早く戦争が終わっていたら・・」という感想を当時本誌に書いた記憶がある。今回は死地がどこであったかが気になったのは、七月に沖縄に行ってきたばかりだったから。その沖縄で斃れた人の没年月に一九四五年五月が多い。米軍による沖縄攻撃が始まったのが三月、本島上陸が四月一日。激しい艦砲射撃など「鉄の暴風」と呼ばれた猛攻が約三ヶ月続いた。五月はその最中だ。組織的な戦闘が終結したのは六月下旬だが、そのあとも散発的な戦闘は秋まで続く。八月一九日没という人の画もあった。どれほど過酷な状況で死を迎えたのであろうか。沖縄県平和祈念資料館によれば、沖縄戦での戦死者総数は二〇万六五六人。そのうち日本は一八万八一三六人(うち沖縄出身者一二万二二二八人)、アメリカ一万二五二〇人である。 一〇年前は、訪問のあと本誌に書いた感想記事を自分のブログにもUPしたところ、さる歌人がそれを目に留め、自作の短歌を送ってきてくださった。この人は当時、東京の高校で教師をされていて、修学旅行で生徒を引率していったとき詠まれたという。 上田なる小高き丘に言葉なく戦世悼む館は建てり 戦世に断たるる想ひぎりぎりに託せし画布に巧拙あれど このあいだ五月二四日の<辺野古基地建設反対>国会包囲でも彼と顔を合わせた。幸運な出会いであったと思う。 今回の旅も素敵な出会いが用意されていた。今年八八歳になる女性だ。上田の<九条の会>その他で奮闘されている。上田市郊外にある彼女の自宅にお邪魔すると、床の間の掛け軸に墨も鮮やかに 悠然と降り、燦然と積もる雪 井上剣火坊(一八七〇~一九三四)の自作・自筆である。川柳で反戦を訴え資本主義を批判した鶴彬(一九〇九~一九三八)の名前はこのごろ広く知られるようになった。彼の 手と足をもいだ丸太にしてかへし は、この夏、戦争法案反対のデモでプラカードに大書されたりしている。その鶴彬が師事したのが井上剣火坊である。『国民新聞』や『読売新聞』などで川柳欄の選者を務め、川柳誌『大正川柳』(のちに『川柳人』に改題)を創刊する。鶴彬は前掲作など同誌に掲載された作品で治安維持法に問われた。病院のベッドで両手を手錠にくくられたまま二九歳の若さで死ぬ。赤痢にやられた。 上田の八八歳媼のご自宅に井上剣火坊の掛け軸があるのは、彼女が剣火坊のお孫さんであるから。反戦の志は世代を超えて受け継がれた。私たちも引き継がなくては。 ということで、翌六日の日曜、上田城址公園で開催された<みんなで止めよう戦争法案・上田>に参加する。土曜の夜は、本誌読者で三年前まで京都の郵便局にいたT・Sさんの家に泊めていただいた。彼は今、この地で農業をやりながら<戦争をさせない一〇〇〇人委員会>などで活躍している。なお集会参加者数は八〇〇人。人口一六万の上田市とすればかなりの数である。良い旅であった。
by suiryutei
| 2015-10-02 17:25
| ニュース・評論
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