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新人事制度 大阪での報告①~③
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『雑木林』というミニコミ誌がある。発行元は<全逓関東文活OG・OB会>となっている。旧全逓労組の左派的活動家ですでに退職されている人たちが中心になって発行しているもののようである。 ![]() ![]() 私は都内の郵便局で働いている。今年四月、定年を迎えた。「継続再雇用」の身で週二〇時間の勤務を続けているけれども、郵便労働者として一つの区切りはついたと思っている。本誌第三十三号に掲載された山田勇さんの『「内臓疾患人生」を生きて』を目にしたことで、自分の来し方も振り返る機会に恵まれた。というのは、一九七五年の秋、二〇歳の私が採用された東京中央郵便局の同じ課に、一〇歳年長の先輩として山田さんがいたからである。 私が働き始めたのはその年の一〇月なかばから。翌十一月にはあの「スト権スト」があって、全逓東京中郵支部もストライキに入った。ところが新採でまだ組合加入の誘いも来ない私はストに参加できない。日曜日の泊まり勤務であった。東京郵政局だったか、中郵まで歩いて行ける距離の建物にまず集められた。そうして「スト破り」の一員になって、中郵の通用門を通るときはピケ隊の怒号を浴び、就労した。三交代制であったから、課は三つの番に分かれ、ひとつの番がそのころ四〇数人であったろうか。私が入れられた番では、そのうち一〇人近くがストに参加しなかった。分会の中で一番多かったと後で知った。他はせいぜい二~三人の脱落である。 夕食は経理室に籠って弁当が配られた。弁当代は払った覚えがないから、(なるほどスト破りをやればタダ飯が食えるのか)と思ったものだ。 その経理室に、ハンドマイクを肩に乱入してきたのが山田さんである。「支部青」と書かれた赤い腕章を巻いている。スト破りの人たちと激しくやり合う。このときが私と彼との出会いだ。山田さんは「病休九〇日→休職四か月」を経て八割勤務で職場に復帰したばかりの頃ではなかったか。 時は過ぎて一九八〇年代なかば。そのころ政党支持をめぐって全逓東京中郵支部は分裂を経験するのだが、私たちの分会の役員・活動家では全逓から抜けて行った人が多かった。このとき残った組合員をまとめ、分会再建の中心になったのが言うまでもなく山田さんである。書記長として切り回した。私は社会党(当時)一党支持がいいとも考えなかったけれども、こんな問題で労組を割るのは間違っていると思ったから山田さんと力を合わせた。それにしても分裂直後の労組の書記長といえば、その忙しさは平時の比ではない。膵臓炎で固定日勤八割勤務の身体には相当きつかったはずである。しかもこの時期、東京中郵には慣行休息の剥奪(一九八四年)、「五九・二」「六〇・三」の輸送合理化が次々と押し寄せた。 だが、今にして思うに、この困難な時期に山田さんが書記長に座ったことこそ私たちの分会にとっては天の配剤であった。たとえば「六〇・三」にあたって提示された人員削減に対し彼は分会独自の抵抗闘争(全組合員によるワッペン着用等)を提起し、支部執行部の制止を振り払うようにしてこれを貫徹するのである。私などは「そこまで出来るか」「組合員にソッポを向かれたらどうする」と内心思いながら、彼のイニシアティブに引っ張られていった。そして取り組みは成功した。ほとんどの組合員が、「外しなさい」という管理者の命令に臆することなく、『強制配転反対』と大書したワッペンを胸に着けた。もちろん分会が単独で抵抗姿勢を貫いたくらいで合理化は止まりはしない。しかし強制配転された組合員にとって「組合は何もしてくれなかった」という思いを呑んで配転先に行くのと「うちの組合はやれることはやった」と受け取るのとでは全然ちがう。後者はその先の団結につながっていくだろう。山田さんはそういう闘いを創った。 そんな山田さんとの仲が冷えた時期がある。二人とも新東京局に移って、山田さんのほうは定年に近くなった頃だ。そのころ「分会交流会」という労組内反対派のグループを作っていた。新左翼党派の活動家もいて、私と彼らの間が険悪になった。山田さんにすれば、自分が職場を去る間際に、せっかく作ってきた運動を空中分解させたくはなかったろう。私のほうは、山田さんという要(かなめ)石がいればこそもってきたのに、ここで引いたら彼がいなくなったあと党派に引き回されてしまうと思った。そこに行き違いが起こった。私が頑なに過ぎたかもしれない。 さて山田さんの文章に「この一〇年間に『居場所』や『たまり場』、『運動と組織』を作れなかった・・」とある。そうであろうか。山田書記長の下での数年間は愉しかった。郵政から離れての山田さんの活動について詳しくは存じないが、彼がいるからこそ息をつぐことができる人・彼の背を見て倣おうとする人はそこにもいるのではないか。私はそう思う。 (山田勇さんの掲載文。写真だけですが) ![]()
by suiryutei
| 2015-11-17 17:07
| ニュース・評論
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