新人事制度 大阪での報告①~③
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『伝送便』誌2月号に寄稿した文章です。 ![]() 去年の大晦日、私は深夜勤の明けだったので仕事帰りに神田の蕎麦屋[まつや]に寄った。ここは普段は暖簾を出すのは午前十一時だけれども、大晦日に限っては一〇時から店を開けてくれた。それくらい大勢の客がやってくる。 席につき、年越し蕎麦を手繰る前に、もちろん酒を飲む。徳利を二本、空にしたところで、この句が頭に浮かんだ。 年越しの二合の酒のうまかりき これは井上伝蔵の句である。 井上伝蔵は秩父事件の指導者の一人であった(会計長)。事件当時三〇歳。同事件について本誌読者には改めて説明する必要はないだろう。『伝送便』の大先輩で、郵政を退職してからは秩父事件の研究をライフワークとしている倉田次郎さんが著した『秩父事件に迫る』(新人物往来社)は現在も事務所で販売しています。一八八四年(明治一七年)秋、松方デフレによる農村の窮迫、直接には生糸価格の暴落を背景に起きた武装蜂起である。蜂起は明治国家による軍隊を投入しての鎮圧によって一〇日間前後で潰えるが、筵旗を掲げ、竹槍のみならず小銃などを手に結集した農民の数は最大期一万人を超えた。伝蔵を初め中心的部分の民権意識も高く、井上幸治の名著『秩父事件』(中公新書、一九六八年)はこれを「自由民権運動の最後にして最高の形態」と評した。 伝蔵その人は、蜂起が敗れた後、捕縛を逃れ、欠席裁判で死刑を宣告されるも北海道に落ち延びて、その地で名前も変えてなお三十五年間を生きた。伝蔵の句が今日に残っているのは、彼が秩父にいた若い頃から俳句を嗜んでいたからだ。前掲句も秩父時代の作。いったい秩父地方ではその当時、よく若者たちが集まって俳句を作り合ったりしていたらしい。たとえば現在の俳壇の第一人者・金子兜太さんの生家は秩父の皆野町。父の金子伊昔紅は秩父音頭を現在の歌詞に調えたことで知られるが、秩父事件の時代を生きた人で、医を業とするかたわら、家に土地の若者を集めて俳句の手ほどきもしていた。兜太さんの去年の作に「沖縄を見殺しにするな春怒涛」がある。秩父蜂起の反骨をこの老俳人も受け継ぐか。余談ながら、私たちは去年、JP労組全国大会会場前で配ったビラで沖縄との連帯を呼びかけるにあたって、この句を引用させてもらった。歌人・永田和弘氏の新春詠(元旦の朝日新聞掲載)「沖縄を翁長雄志を孤立させて深く恥ずべしわたしもあなたも」と共に肝に銘じたい。 話を大晦日の蕎麦屋に戻せば、私は徳利の三本目を頼んでいた。いい気分に酔いがまわる。酔中、思い当たったのは、私は今年の年賀状に「初春に加賀の菊酒うまかりき盃かさね来し方おもう」という短歌らしきものを書きつけたのだけれども、中の「菊酒うまかりき」は伝蔵の句にある「二合の酒のうまかりき」からの借用ではなかったかしらということだ。借用ついでにもうひとつ。 年越しの熱燗三合うまかりき ※関連する過去ログとして ☆『井上伝蔵の俳句』(04年12月21日)
by suiryutei
| 2016-02-01 06:03
| ニュース・評論
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