新人事制度 大阪での報告①~③
記事ランキング
最新の記事
タグ
労働(124)
最新のコメント
カテゴリ
最新のトラックバック
以前の記事
2025年 07月 2025年 06月 2025年 05月 2025年 04月 2025年 03月 2025年 02月 2025年 01月 2024年 12月 2024年 11月 2024年 10月 more... ブログジャンル
画像一覧
検索
|
新聞『思想運動』2月15日発行号に寄稿した書評です。 著者の増田都子さんは、じつは同じ町内に住んでいらっしゃる。一昨日の朝、我が玄関前に現われて韓国海苔をくださった。 「これ、賄賂じゃありませんよ」と。 素敵な笑顔であった。 ![]() 昭和天皇にこんな歌がある。 思はざる病となりぬ沖縄をたづねて果さむつとめありきを これを、たとえば山口瞳はこう解釈した。 「・・『たづねて果さむつとめありきを』のつとめは責任ということである」(山口『還暦老人 憂愁日記』)。 小説家は勘違いしてしまったのではないか。昭和天皇が自分の戦争責任を自覚していたかのように。現実の昭和天皇には戦争についての反省はいっさい無かった。公文書あるいは側近や親族のメモに残された彼の言動がそれを証明する。本書が挙げるそれら一級史料は、昭和天皇にとって動きのとれない決め手である。ではあの歌は? 四十七都道府県のうち沖縄だけには足を踏み入れられなかったのを残念だと言ったに過ぎぬ。 しかし山口がしたような勘違いはこんにち広く流布しているだろう。まず戦後すぐ、占領軍マッカーサー司令部が人民革命の防波堤とすべく天皇を利用するため、天皇から戦争責任を解除して一切を東条英機ら臣下におしつけた。そうして戦後七〇年間、天皇=平和主義者という虚偽宣伝が繰り返されてきた。これに抗して昭和天皇の真姿を明らかにするのは命の危険を伴った。ついに今日「国民とともに歩んだ昭和天皇」なるウソ八百のコラムを載せた中学生歴史教科書が登場するにいたる。育鳳社版のそれである。 だが現実の昭和天皇は対中でも対米でも開戦に積極的だったし、敗色が濃くなって和平をさぐる動きが出ればそれを拒んだ。そのくせ戦後は戦争責任を頬被りして臣下に押し付け(マッカーサーとの見事な協働!)、自らの保身のため沖縄をアメリカに差し出すことをマッカーサーに持ちかけさえした。かなりのところ絶対君主としてふるまった戦前戦中を立憲君主だから政治に関与しなかったとごまかす一方で、戦後も新憲法に規定された象徴としての範を超えて政治に口出していたのである。 本書の著者は中学の社会科教師だったが、育鳳社版の前身たる扶桑社版歴史教科書の歴史偽造を教室で暴いて石原都政下の都教委によって二〇〇六年、不当にも分限免職処分を受けた。天皇崇拝によって子どもたちの目まで曇らさせないために、なお意気軒昂に勇気ある闘いを続けている。 『昭和天皇は戦争を選んだ!』について、詳しくは下を。 http://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784907127145
by suiryutei
| 2016-02-23 09:31
| ニュース・評論
|
Comments(8)
![]()
学者や政治家が歴史問題を「批判」するのはお咎めないが、教師がそれを生徒にしたら首を切る、というのは、国分一太郎が『小学教師たちの有罪』で述べたことを思い起させます。国分ら東北、北海道の小学校教師らは、戦前生活綴方運動が治安維持法により逮捕起訴有罪になったのに対して、同じ頃の人民戦線事件では美濃部亮吉、大内兵衛、宇野弘蔵ら大学教授が逮捕起訴されたが、無罪になっています。別事件でありながら同じ思想内容で公判になったのに、有罪と無罪との差がついたのは、美濃部や大内らは学者でエスタブリッシュメントであるが、生活綴方の教師らはそうでなないことに起因すると国分が言っています。だから、増田さんの判決でいう、中学生の発達段階が未成熟、批判能力を備えていないのにもかかわらずそれをしたから分限処分するというのは「理由」になっていません。昔も今も国家は教師を自らの支配の「手段」と位置づけているから、その教師が「批判」することは許されない、というのが真の処分理由ですよ。
0
墨田のカッパさん、コメントありがとうございます。
<美濃部や大内らは学者でエスタブリッシュメントであるが、生活綴方の教師らはそうでなないことに起因する> そうなのでしょうね。戦前の左翼弾圧では、東大新人会の学生と朝鮮人労働者とでは取り調べの激しさが全く違っていたとも聞きます。 この本については『伝送便』の来月号にも書評を書きます。 ![]()
ことしは私の子供の卒業式に出ますが、しっかり不起立を貫きますよ。今までの経験からすると相手はせこい真似をして、前の動作で起立していた直後に「君が代」を引き続きするので、みなさん起立しているところをあえて不起立するためには「座る」動作が必要です。だから、座った後に起立するよりも起立した状態を座るのには「決意」が必要になるのです。まるで、みんなが天皇のために戦争に行くのにおまえだけ怠けて戦争に行かないのかと言われるような気にさせるのです。でも起立しないために、にこやかに座りますよ。
墨田のカッパさん、コメントありがとうございます。
そういう状況で不起立を貫くのはかなり勇気の要ることだと思います。敬服します。 そういえば最近、岐阜大学の学長が「君が代」斉唱はやらないと述べたことに対して馳文部大臣が「恥ずかしい」とか言っていましたね。この「恥ずかしい」とはどういうことでしょう。ことに安倍政権になってから、権力の側が妙に「倫理的」裁断をやりたがります。問題がわかっていない人たちだから、まさにカッコつきの「倫理」ですが。
読んでみます。ありがとう。
佐平次さん、著者はじつにバイタリティのある方です。
やっと図書館から来たので読みました。
TBしました、よろしく!
佐平次さん、コメントありがとうございます。多くの人に読まれるべき本です。
|
ファン申請 |
||