新人事制度 大阪での報告①~③
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『伝送便』誌5月号に寄稿した文章を転写します。このブログで3月27日~30日に書いたことを繋げたような内容ですが。 なお、かつての職場であった東京中央郵便局での労組の分会仲間のことが文中に出てきます。そんな一人だったIさんが今月1日に亡くなり、昨日はそのお通夜に行ってきました。歳月を感じます。 ことし三月いっぱいで職場から離れた。去年六〇歳の定年を通過して「継続再雇用」の身になり、秋になって来年も契約するか訊かれたとき「否」と答えた。賃金収入を断つことには不安があったけれども、人生の残り時間を思うと、そういう選択になったのである。三月二五日が在職中最後の深夜勤であった。 最後の深夜勤 午後七時就業なので四時半過ぎに家を出た。千葉県我孫子市の我が家から都内江東区の我が職場(新東京郵便局)まで約二時間をみなければならない。五年前の震災以来さらに早めに家を出る習慣がついてしまった。三月十一日のあの日から後も、今度の熊本ほどではないにしても、しばらくはかなり大きな余震が何度か来て、通勤途上に電車が停まることがしばしばだったからだ。 電車に乗ると、真ん前が<優先席>(シルバーシート)だったので、こんなこと初めてだがそこに座ってみた。 この年齢ではまだ<優先席>に座ることに躊躇いがある。年とったと思いたくないし年寄りと周りに見られたくもない。でも、これから一晩不眠で働くことになる六一歳なら多少は「優先」されてもいいのではないかと、この日に限ってはそう思った。もちろん自分より高齢の人とか立っているのが辛そうな人が乗ってきたら譲るつもりである。しかし平日夕刻の上り電車は終点駅まで空いていて、そういう局面は来なかった。 職場では夜勤(午後九時半まで)で筒井友幸さんがいたから二時間ちょっと一緒に働く。筒井さんは以前の職場であった東京中央郵便局でも同僚だった。本誌読者である彼は、そこでの最後の数年間、当時の全逓労組の分会長を務めた。私は同じ分会の教宣担当。やはり本誌読者の山田勇書記長とともに、この時期の分会活動は四〇年余の我が郵便屋人生において最も愉しい経験である。三〇年近く前になる。人員削減提示に抗議して分会単独のワッペン着用闘争なんかやった。 私より三つ上の筒井さんはもう一年働くという。また七〇代に達した山田さんは今も労働相談に平和運動にあちこち駆け回っている。 年度末最後の金曜、業務は錯綜した。信書などの通常郵便物の量はそうでもない。大手企業が出すカタログなど特別割引郵便物、あるいは郵便法では郵便ではなく<荷物>に分類される<ゆうメール>とか<ゆうパケット>など郵便より物流というべきものが多い。ケースに詰められた一般郵便物は、そのケースごと機械にかけて区分処理していくのだが、<物流>の多くはパレット等に直積みされてくる。 その置き場が無いのだ。開局して四半世紀たつ我が職場は、こうした郵便から物流へという業務内容の変化に適応できなくなっているのだろう。錯綜する業務では労働災害も多い。そのあたりについては本誌今年二月号記事(『物流新時代とは何か』)に触れた。 二六日、朝六時に勤務は終了した。 新宿の山城博治さん 翌二七日は日曜で、私の勤務は休みである。この日は新宿に行った。辺野古基地建設に反対するデモがあったからだ。午後二時、アルタ前に着くと、もう人が一杯だ(デモ参加者は約五〇〇人)。この日は辺野古現地から山城博治さんが駆けつけた。山城さん(沖縄平和運動センター議長)は辺野古の座り込みを先頭に立って引っ張ってきた。そのアピールが熱い。左手にマイクを持ち、右手には初め帽子を握りしめていたのが途中から放り投げ、拳を振るって演説する。「現在の工事中止は沖縄の座り込みやカヌー隊の命がけの闘い、そして全国の仲間たちの闘いの結果であり、勝利の展望は見えています!」 去年七月に沖縄に行ったとき、山城さんは悪性リンパ腫で入院しており、現地で姿を見ることはできなかった。そのときお世話になった比嘉宏さんと麓隆治さん(お二人とも本誌読者)が「山城がいたから辺野古でこれだけの闘いが創れた」と口を揃えたのを、実物を見てなるほどと思う。 これからも さて昼間の勤務がまだ残っていて、三月二八日の月曜が最後の出勤日となった。 朝八時半からの勤務である。八時過ぎ、通用門を通ろうとしたら郵政産業ユニオンの組合員がビラを撒いている。そのKさんは私より二つくらい年齢が下であろうか。共に二六年前、新東京郵便局開局に伴って東京中央郵便局から移ってきた。有名大学文学部出身(この世代では大学まで出て郵便局に就職する人はまだ少なかった)のKさんは筆が立ち、中郵時代から機関紙活動に熱心だった。私も旧全逓労組で機関紙中心に活動していたから、それぞれが編集する紙面で論争などもやったものだ。立場の違いはそれとして、まだ寒い春の早朝のビラ撒きは本当にご苦労さまである。 ロッカー室で着替え、就労。トラックが運んでくる郵便物、あるいは羽田空港から到着したコンテナに積まれたそれを降ろし、処理していく。月曜の午前というのは郵便内務では物量が比較的すくない。 午後になって部長席前によばれて「退職」の辞令を受け取った。勤務時間の終わりが迫る。貸与されていたものを全て返さないといけない。ロッカーの鍵、社員証、安全靴・・・。連れ合いが洗濯してきれいに畳んで持たせてくれた作業着に、たった今まで着ていた一着も重ねて。ヘルメットには<NO NUKES>すなわち反核・脱原発をアピールするシールを貼ってある。『ショック・ドクトリン』『暴力の世界史』などの翻訳者・幾島幸子さんからいただいたものだ。会社当局は嫌な顔をするはずだから、剥がしておこうと思っていたのが、忘れてそのまま返却してしまった。特に何も言われなかった。 いよいよ職場を去るとき、郵便ケースやパレットの整理を専門にやっている非正規雇用の若いFさんと顔が合う。 「休息室の机にあったの、ちょっと読みました」 ロッカーを片付けていたら、三年前に大阪のJPネットによばれて「新人事・給与制度」について話をさせてもらったときの報告レジメが数部出てきた。ゴミ箱に捨てようと思ったのをとどまって、休息室にそっと置いておいた。それをさっそく目に留めてくれたらしい。 「ネットはやる?」 「たまにネット・カフェに行きます」 「よかったら<酔流亭>と検索してみて。オレのブログ出てくるから。土田宏樹と入れても出てくるよ」 彼とは在職中にもうすこし話ができればよかった。昼間の勤務の彼と、夜と昼が入り混じる私とではなかなか時間が合わない。そんなことが心残りである・・・。 職場報告としてはこれが最後の原稿です。しかし本誌の編集には今後も関わっていくつもりですので、これからもよろしくお付き合いください。
by suiryutei
| 2016-05-05 09:35
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