新人事制度 大阪での報告①~③
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雑誌『労働者文学』の最新号が完成した。 著者が都内の郵便局を定年退職したのは二〇一三年春。その先どうするかは、もう決めていた。原発を止めることのできなかった世代の責任として、重大事故が起きた福島に向き合おう。二〇一四年二月から、まず浪江町で除染作業に従事する。町内全域が避難指示区域で人は住んでいない。作業初日は雪が降っていた。河川敷や土手で草木を刈り取り、フレコンバック(私たちもニュース映像で馴染みとなった黒い袋だ)に詰めていく。斜面では足を踏ん張らなくてはならないので腰にも負担のきつい重労働である。そうした日々に言葉が降ってきた。 除染する熊手の上に降る花弁愛でられず散る浪江の桜 どれくらい除染すれば人は帰るだろう自問を胸に刈る浪江の草花 生まれて初めて詠んだ歌のいくつかは後日、朝日新聞の『歌壇』に採歌される。そんな四か月間ほどの除染作業に続いて、著者は福島第一原発の構内に向かった。六〇歳以上は採用しないと何度もはねられたのを、連日のハローワーク通いを経て見つけた働き口は三次下請け。東電の下に元請け会社があり、その下の下のそのまた下だ。八月の旧盆過ぎから原発事故現場に通い出した。住居はいわき市内の民間アパートを会社が借り上げて寮としていた。評者はその年の暮れ、そこに著者を訪ねたことがある。築四〇年は経つ黴臭い木造、エアコンなし、小さな台所と手洗い(和式)、風呂の他は六畳と八畳の二間だけで、元警察官だという五十九歳と共同生活である。心身を休められる空間というものではない。 原発構内でまず従事したのは事務棟での散乱物の分別作業であった。事故直後の混乱そのままの中に給料明細書があった。東電社員の二〇一〇年暮れのボーナス支給額が二六七万円とある。後日出てきた某下請け会社社員のそれは二七万円余だ。一〇倍の開きは違いすぎないか。 アスベストの恐怖もあった。崩壊している天井壁から白いチリのようなものが舞う。ところが誰かがそれを言うとチームリーダーに封じられた。「放射能とアスベスト、どっちが怖い?放射能に決まってるだろ」。どちらも怖いのだが。 もっと直接的な労災とも背中合わせだ。一五年一月、第一原発で作業員の転落死のあった翌日は第二原発で機械に頭を挟まれるという凄惨な死が続く。それでいて下請け作業員のほとんどは保険に入っていない。 さて著者の外部被ばく量は、除染作業の四か月と原発構内での九か月を合せれば累積七・二五ミリシーベルトと算出された。東電が上限とする年二〇ミリシーベルトは下回るが、白血病の認定基準の年五ミリシーベルトを超える。「五年後、一〇年後、はたしてこの七・二五ミリシーベルトが私の身体にどういう変調をもたらすのかは誰にもわからない」。 著者は二〇一五年五月いっぱいで福島での生活をいったん切り上げるけれども、本書を通読して思うのは現場に身を置いた者の持つ言葉の靭さである。巻末に置かれた一首が心に沁みる。 除染から廃炉作業に身を投じやがて福島がふるさとになる
by suiryutei
| 2016-07-04 09:07
| 文学・書評
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