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ダルトン・トランボ(1905-1976)という脚本家の名を知ったのは高校三年生のとき。彼の原作・脚本・監督による映画『ジョニーは戦場へ行った』が、われら高校生の間でも少なからず話題になったからだ。 この映画は1971年制作、日本公開は73年の4月である。それはベトナム反戦運動が日本においても高揚し、この戦争がついには解放戦線優位のもとパリ和平協定(73年1月)に達した時期とほぼ一致する。映画は第一次世界大戦のときの話だが、ベトナム反戦の思いが込められていたのは明らかだ。トランボが「赤狩り」に遭ってハリウッドを追放された過去を持つということもそのとき知った。しかし、某国の王女と米国新聞記者の淡い恋を描いた名作『ローマの休日』(1953年、ウィリアム・ワイラー監督)も脚本を書いたのは彼だということは全く知らなかった。知らなくて当たり前で、そのことが公表されるのは彼の死後なのである。 ![]() 平日の昼だというのに、館内は満席である。前評判が高いらしい。わがくにの天皇も好きな映画に挙げるという『ローマの休日』の、長く伏せられていた真実の脚本家が彼という話題性もあろう。 http://trumbo-movie.jp/ 酔流亭は『ローマの休日』も好きだが、『スパルタクス』(1960年、スタンリー・キューブリック監督)こそ忘れ難い。ローマ帝政下での奴隷の反乱が描かれる。残念ながら映画館では観ておらず、TV放映、つまり途中で頻繁にCMに邪魔され、カットも相当されているだろう不完全な形でしか視ていないのだが、それでも深く感動した。だから、仕事を干され続け、B級映画の脚本を偽名を使って低額で濫作することで糊口をしのいでいたトランボがついに『スパルタクス』の脚本執筆にとりかかるところでは涙が出そうになった。このとき立派だったのは同映画に主演したカーク・ダグラスである。もちろん風貌がよく似た俳優が演じている。制作にも関わっていたダグラスは、「アカに書かせるな」という妨害に屈しない。このあたり、おそらく事実に忠実に再現しているのだろう。 溢れるほどの才能(トランボは1956年にも偽名を使って書いた『黒い牡牛』でアカデミー脚本賞を獲る)に恵まれただけでなく、彼は家族の愛にも恵まれていたようだ。生活のためB級映画の脚本を書き飛ばす日々に自分を失いそうになったときは聡明な妻の諫言に救われる。 コミュニスト(共産主義者)を正面から描くのは、アメリカでは今日でもむずかしいことではないかと思われるが、それをやりながらこの作品は商業映画としても成功しているのではないか。不屈の思想と抒情ゆたかな筆とを二つとも手放すことがなかったトランボに捧げるにふさわしい。
by suiryutei
| 2016-07-27 10:52
| 映画・TV
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