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先月の末、あけぼの山公園に遊びに行った。利根川の河川敷につくられた農業公園で、チューリップの花畑がひろがり、風車が回っているから、写真の角度によってはオランダみたいな風景になる。 そのチューリップは満開をすこし過ぎてしまっていたけれど、かわりに一面の菜の花が見事だった。これを見て、花まきさんは山村暮鳥の詩を思い出したらしいが(4月30日の花まき日記を参照されたし)、酔流亭は自分が司馬遼太郎になったような気分であった(我ながら、よく言うね)。司馬遼太郎が菜の花を好んだのはよく知られているし、その日の朝、司馬未亡人の福田みどりさんがTV出演されて亡夫の思い出話を語っているのを視ていたからである。 その二日後に、読売新聞朝刊で『現代に生きる日露戦争』という記事を目にした。そこに、港区にある乃木希典の旧邸を訪ねた記者の感想が書かれている。乃木邸というのは、非常に合理的な設計になっているらしい。「・・・徹底した近代合理主義の思考で築造された家の中での、殉死という最も形而上学的な情念の噴出による最期。その究極の対比が、『坂の上の雲』の数十倍もの感動で見る者の心に迫るのである」。 意味不明というか、独りよがりな文章である。その記者が乃木邸を訪ねて感動するのは勝手だが、それは『坂の上の雲』の読後感と数量化して比較するようなものだろうか。 乃木将軍の軍略家としての無能が多くの若者に不要な死を強いたことを司馬遼太郎は『坂の上の雲』であばいた(乃木の人格を貶めたのではない)。あいまいに神格化されていたものに理性のメスをふるったのである。それが「情念の噴出」にあてられたような「感動」を伴う性質のものではないのは、わかりきった話だ。かつて「情念」の力で理性や批判精神を麻痺させて戦争への道の片棒を担いだ「日本浪漫派」の二の轍を、この読売記者は踏むつもりだろうか。 じつは酔流亭は『坂の上の雲』という小説は好きではない。あそこでの日露戦争観も明治国家に対する司馬遼太郎の評価も、一面的に過ぎる。そもそも、色川大吉さんの“連子窓の弟子”をもって任ずる酔流亭が司馬文学の弁護論をぶつというのも妙な話なのだが、それだけ世の中のバランスがおかしなほうに傾いてきたのだろう。TVで福田みどりさんが「司馬さんは今のような世の中には生きていたくなかったんじゃないかしら」と述懐していたのも、なるほどと思われる。 ![]()
by suiryutei
| 2005-05-02 09:59
| 文学・書評
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