新人事制度 大阪での報告①~③
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「今の憲法は占領軍によっておしつけられたものである。GHQはそれをわずか一週間で作った」というのが、憲法改正を主張している人たちの一番わかりやすい論拠である。「だから、そんな粗製品はさっさと捨てて、自前の憲法を持たねばならない」と。 それにしても、当時のGHQにいかに秀才たちが集まっていたにしても、一国の憲法をたったの一週間で作るなんてことが可能なのかしら。もし可能だったとしたら、そこにはどんなカラクリがあったのか。 まず、草案を一週間で作ったというのは本当だ。東京の第一生命本社ビルにこもっての作業であった。敗戦の翌年、1946年の2月のことである。 そうなった理由のひとつは、当時の日本政府(幣原首班)の作った草案というのが、天皇制をいかに存続させるかしか頭に無い、明治憲法と同工異曲のもので、とても使い物にならなかったからだ。 もうひとつの理由は、その年の2月末になると「極東委員会」というものが発足する。これには全ての連合国が参加するから、それまでのようにマッカーサーが一人で仕切ることができなくなる。そうなる前に憲法草案を作ってしまえということであったようだ。 無茶な話である。改憲派が憤慨するのも、もっともだ。 それで、その無茶を、どう乗り切ったか。当時の日本政府には憲法を考える力は無くとも、民間はそうではなかった。ここに「憲法研究会」というものがある。すでに敗戦の年の秋には、日本国憲法草案を、第三次案まで書いている。会の中心にいたのは著名な憲法学者の鈴木安蔵で、この人は明治の自由民権家たちの憲法草案を研究していた。GHQは、これに頼ったのである。明治10年代に日本全国で作られていた多くの民衆憲法案の中でも、もっとも先進的内容を持つと言われる植木枝盛の思想が、鈴木安蔵という人を通じてGHQの憲法に流れ込んだのだ。 そんなわけだから、戦後の1960年代に奥多摩の山里で発見された「五日市憲法草案」(やはり明治10年代に作られた)が、現憲法とじつに似ている、先取りしていると驚かれたのも、自然な話であった。現憲法は、明治の民衆憲法草案から直接産み落とされたものなのだから。 これを要すると、つぎのように言えると思う。 「・・・まがりなりにも近代社会70余年の歴史を持ち、思想としても自由主義からコミュニズムまでの近代思想はとにかくが既知であり、たんなる爆発的一揆と区別された意味での民衆運動の過去のストックもあるわけです。ですから天皇制の重しが除かれると、下にたまっていたこういう経験のエネルギーはたちまち奔騰する。それが『外から』の圧力とからまりあって初期のあいつぐ政治的社会的変革を生んでいった」(岩波書店『丸山真男座談』第6集 梅本克己、佐藤昇との対談での丸山の発言)。 「表面からは姿を消し底に沈んでいたにしても内部的にすでにあった要素が『開放』されたという側面」(同上)。 そこで、今日の日記のタイトル『おしつけられた憲法か?』に対する酔流亭の考えだが、確かに当時の日本政府はそれを「おしつけられた」。しかし、その経緯と内容をつぶさに分析すれば、それは日本の民衆の創意が作り上げたものだということがわかる。もっともGHQの強権が介在したのは我が国の民主主義の弱さであること、言うまでもない。「改憲」よりも民主主義の内面的深化が求められていると考える。
by suiryutei
| 2005-05-03 19:41
| ニュース・評論
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