新人事制度 大阪での報告①~③
最新の記事
タグ
労働(124)
辺野古(46) 郵便局(43) 文学(31) コロナウイルス(31) 韓国(19) 朝鮮半島(12) 映画(11) NHK朝ドラ(10) ひよっこ(9) 大西巨人(9) なつぞら(8) 神田まつや(8) 労働者文学(8) 神聖喜劇(7) 関西生コン労組(6) 狭山事件(6) ブレイディみかこ(6) ケン・ローチ(6) 蕪水亭(6) 最新のコメント
記事ランキング
カテゴリ
以前の記事
2024年 03月 2024年 02月 2024年 01月 2023年 12月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 more... ブログジャンル
画像一覧
検索
|
昨日、スーパーマーケットで蚕豆(そらまめ)を買った。ことし初めてだ。 今月の初め頃から店頭に並んでいるのは気づいていた。しかし、あれは冬に食べるものではない。じりじりする思いで待った。17日、「春一番」。もう禁を解いてもいいのではないか。 魚は鰤(ぶり)の切り身を買った。一年じゅう出ているけれども寒いときが一番うまい。ところが、この冬、我が家では鰤を買う機会があまりなかった。酔流亭が家で夕食を摂る日が少ないからである。鰤ならば、塩焼したのでゆっくりと酒を飲みたいではないか。酔流亭の感覚では昼に食う魚ではないのだ。いつも昼酒しているくせによく言うよとお笑いか。でも、寒ブリって特別なんです。昼の浅勺にあてては勿体ない。 それにしても賃労働からは解放されたというのに、なんだかんだと出かけていく。人と会ったり、デモや集会に顔を出したり、関わっている小さな発行物の校正やら発送の仕事がある。昨日も日比谷野外音楽堂で「総がかり行動」というのがあったのだけれど、疲れたのと家の用事が溜まっていたのとで、これはお休みさせてもらった。
で、買い物をすませ、家の用事も片付けて、さて夕方からカレー作りにかかった。たまに家に一日いる日は、これが愉しみなのだ。ただし、作ったカレーはその夜は食べない。一日寝かせたほうが美味い。それにカレーって酒のアテにはそう向かないでしょう。鰤を昼は食べないことの裏返しで、我が家ではカレーライスは夕食の献立ではないのである。郵便局で働いていた現役時代は、泊り勤務に行く前はよくカレーを食べた。これは勤務前に酒を飲むわけにはいかないからでもあった。 それはさておき、この夜、我が家の食卓では冬の名残りと春の先駆けとが交錯した。鰤は塩焼き、蚕豆は茹でて。蚕豆の鞘から豆を取り出す作業は酔流亭が担当したのだが、抜いた豆を連れ合いが茹でてしまってから、抜き忘れの鞘が一本残っていたのに気づく。その一本を鰤を焼いている最中のグリルに入れた。連れ合いの機転である。この一本だけの焼き蚕豆がうまかった。旨味も香りも鞘に閉じ込められて逃げないからだろう。
飲みながら、昼間にNHKで放送された『洞窟おじさん』というドラマの録画を視る。まえBSで放送された作品で、一時間ずつ全四話を先週と今週二本ずつの放送らしい。酔流亭は先週は見ていないので前半の展開はわからない。 親の折檻がつらくて、子どものとき家出をし、それから40数年も山の中や河原で暮らして初老になってしまった男の話である。主人公をリリー・フランキーが演じている。実話に基づいているそうだ。 彼が最後に辿り着く福祉施設で働いている女性を尾野真千子が演じていて、この女性の真率さに男は次第に心を開いていく。尾野真千子さんがじつに魅力的で、ドラマ『火の魚』以来のオノマチ・ファンである酔流亭としては嬉しかった。なにしろフェイスブックの自己紹介欄に<尾野真千子さんファン>と記入しているくらいなのである。
しかし、洞窟で長く暮らしていた・・・というと、どうしても劉連仁のことを思い出さないわけにはいかない。戦争中、日本軍に強制連行されて北海道で働かされ、終戦ちょっと前に逃走して山野で生き続けた人である。昨日みたTV ドラマの舞台は関東地方の郊外だが、北海道の山野では冬の寒さなどどれほど厳しいものであったか。 (2) 文化革命 憤怒の歌声よ、時を超えておこれ →→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→ 学生時代の友人である中里好郎さんからCDを送って頂いた。収録されているのは大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏である。タイトルに「林光(はやし・ひかる) カンタータ 『脱出』 を公募合唱団で歌うコンサート」とある。 「カンタータ」の意味を知らなかったので戸惑ったが、実際にCDを聴いて「合唱と管弦楽」のコラボのことなのだな、と了解した。内容は叙事詩による警鐘の乱打。 中里さんが私にこれを聴かせようというのは、一つには、本人が当の公募合唱団に参加したからである。男女147人で構成された「合唱団」の中で彼はテノールを担当した。 二つめには、作曲家・林光さんとの出会いに、私が全く無関係だったわけではない、ということもある。1965年の大阪市大の大学祭実行委員会で私は委員長を務めた。オーケストラ部の中里さんは実行委員の一人であり、音楽関係の企画の責任者であった。当初は芥川也寸志さんを招聘するつもりで交渉役をお願いしたのだったが、日程が合わず、芥川さんの方から林さんを紹介されたのだという。 三つめの理由は、タイトルにもある「脱出」の中身とかかわる。1944年9月、中国から強制連行されて、北海道の炭鉱で働かされた劉連仁(りゅう・りぇんれん)さんは、苛酷な労働に耐えかねて決死の「脱出」をした。その後、日本の敗戦も知らないまま、14年間も北海道の原野で生き延びたのであった。 猟師に「発見」された後、国会で追及された岸信介内閣は、劉さんを「不法残留者」と見なした上に、「契約に基づいて来日し、就労中に勝手に逃亡した」と答弁した。 1958年4月、劉さんは政府が支払おうとした10万円の受け取りを拒否して帰国。 38年後の1996年3月になって、日本国政府を相手に損害賠償を求めて提訴した。 2001年7月21日 東京地裁は、請求通りに、国に対して2000万円の支払いを命じる判決を下す。強制連行が帳消しになるわけではないが、原告たちは「勝利」したのだ。 だが、判決を不服とする国が控訴し、05年6月23日、東京高裁は原判決を破棄した。理由は、国家賠償法6条に「この法律は、外国人が被害者である場合には、相互の保証があるときに限り、これを適用する」とある。が、当時の中国にはそうした制度は未整備であった。「もし日本人が中国で同種の被害を受けた場合、同程度の要件によって賠償がうけられないのだから、それ故に日本政府には賠償する義務はない」というのである。 無知に無自覚な裁判官に傍聴席は怒った。当然、原告側は最高裁に上告した。 しかし2007年4月28日、最高裁は「上告を棄却する」判決を下す。 「棄却」の理由は、1972年に日中友好条約が締結された際、「中華人民共和国政府は、日中両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言」した。故に、劉さん=個人にも賠償請求をする資格がない、というのである。 裁判官たちに、中国革命指導者の、大慈に通じる政治的深慮についての理解が及ばなかったのは仕方がないとしても、戦後、中国帰還者の多くが日中友好運動に関わっていった思いは想像しても良かった。泉下の田中角栄首相や大平正芳外相も泣いているだろう。 「アベ政治」に至るずっと以前から、歴史修正主義は積み重ねられてきたのだった。 この時期、林光さんの「脱出」に唱和するコンサートが行われたことは、その歪曲された歴史を再修正させるための、果敢な、新しい闘いの一歩だと受け止めよう。
by suiryutei
| 2017-02-20 08:45
| 酒・蕎麦・食関係
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||