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昨夜7時ごろ外出先から帰宅し、夕食を始める前にこのブログへの「訪問状況」を見てみた。 アクセス数が普段より3~4割がた多い。 「おや、何がヒットしたのかな?」 すぐにはわからなかったが、夕方(午後4時20分~50分)二話ずつ再放送されている『カーネーション』(2011年秋~12年春に放送されたNHK朝ドラ)の昨日の分の録画を酒を飲みながら視ていて事情が呑み込めた。 http://www4.nhk.or.jp/P1939/ この朝ドラのヒロイン糸子のモデルとなったのは服飾家の小篠綾子。6ヶ月間の放送のうち5ヶ月間を尾野真千子が演じ、最晩年となる最後の1ヶ月だけは夏木マリが演じた。 現在すすんでいる再放送で、尾野真千子の5ヶ月間がいよいよ最終週に入ったのである。来週にはヒロイン役が切り替わる。 そうして昨日の再放送では、糸子の幼友だちの勘助がかつて戦地から精神を病んで帰ってきた理由が明かされる。それはあの戦争における日本の加害の問題に踏み込んだエピソードである。 6年前の放送のとき、そのことをこのブログに何度か書いた。昨日はその過去の記事にいつになくアクセスが来ていた。2本ほど下に再掲しておきます。 ★『「カーネーション」の脚本はすごい』(2012年2月28日更新記事) https://suyiryutei.exblog.jp/17881625/ NHK朝の連続ドラマ『カーネーション』の今日の放送をご覧になったであろうか。 ドラマの時代は1975年まで来た。ヒロイン小原糸子は50代。三人の娘のうち上の二人は独立して心斎橋と原宿にそれぞれ店を持っている。いっぽう、ヒロインを少女の頃から見守ってきた人たちには晩年が訪れている。 幼友達だった勘助の母・玉枝があと半年の命と聞き、入院先を足しげく見舞うようになったヒロインに、あるとき玉枝が病床から語りかける。 「待合でテレビを視ていたんや。日本軍が何をしたかっていう話やった。・・・勘助がああなったのはひどいことやられてだと思っていた。でも、違うんや。勘助がやったんや」。 思い出しつつ書いているので台詞そのままではないが、こういうことを玉枝は話したのである。 その勘助のエピソードについて、酔流亭は前にこう書いた。 ヒロインの幼友達の勘助も、1937年に赤紙が来て大陸に出征している。勘介は気が弱くて、ヒロインに「このヘタレが!」といつもあしらわれているのだけれども心の優しい若者であった。ところが二年後に除隊してドラマの舞台・岸和田に帰ってきた彼は、人前に出てくることができず、魂が抜けたよう。心配するヒロインに「心を失くしてしまった・・・」とつぶやく。 勘助に何が起きたのであろうか。ドラマは具体的には語らないから推測するしかないのだが、軍隊の中で苛められたというようなことだけではないのではないか。彼が出征した1937年といえば、暮れに南京で日本軍による住民虐殺事件が起きている(南京事件)。虐殺は南京市内でだけ起きたのではない。日本軍が進軍する途中でも引き起こされていた。勘助が「心を失くした」のは、そうした侵略戦争の実情を目の当たりにしたからではないのか。敗戦が迫るころ勘助はふたたび召集され、一月後には死んでしまう。(『TVドラマ「カーネーション」を推す』2012/0204) 酔流亭が述べた「推測」は間違っていなかったのだ。脚本家(渡辺あやさん)の見識に改めて敬意を持つ。『カーネーション』は、あの戦争における日本の加害の問題に踏み込んだ作品としても、永く私たちの記憶に残るだろう。 なお、ヒロインを尾野真千子さんが演じるのは今週いっぱいまでで、晩年が描かれるだろう三月の放送は夏木マリさんに代わる。オノマチちゃんのここまでの素晴らしい演技に心から拍手を贈りたい。 ★『勘助のエピソードに』(2012年5月26日更新記事) https://suyiryutei.exblog.jp/18343195/ 前にも書いたけれど、3月に放送の終わったNHK朝ドラ『カーネーション』を、今も時々DVDで視ている。最近視たのは、ヒロイン糸子の幼友達、勘助の二度目の召集と死の場面である。去年暮れの放送。彼は1930年代にいちど兵隊にとられて中国大陸へ行くのだが、二年後除隊したときは精神を病んで別人のようになって岸和田へ帰ってくる。 勘助が「心を失くしてしまった」理由がドラマの中で明かされるのは、ずっとのちになってから。しかし、その前に薄々気づいた視聴者はいたはずである。中国大陸で日本軍が行った非道・残虐行為に、おそらく上官の命令を拒むことができず厭々ながらも彼は加わってしまったのだ。 その勘助がまた召集される。戦場に出たところで使い物にならないだろう廃人を狩り出すところまで戦況は悪化してきたのだ。空襲が始まってヒロインたちの頭上に焼夷弾が降り注ぐようになるのは、そのあとすぐである。 さて出征の日、勘助は糸子の洋裁店の近くまで来て、窓から糸子の姿を見る。糸子は、例によって巻き舌でポンポンと縫い子たちを叱りつけている。この場面が美しいし、切ない。小さいときから男まさりの糸子と、対照的に気が弱くておとなしい勘助。彼が糸子を慕う想いは、愛とか恋とは違うだろう。紳士服の仕立職人と糸子が結婚するとき彼はべつに嫉妬の感情は表わさないのだから。もっと近い存在として彼女が慕わしいのだ。 しかし、今生の別れとなるに違いない日に、勘助は糸子の前に出ることができないのである。前の出征のとき大陸でやったことを思うと自分には彼女と会う資格がない・・・。 そして彼は一月もせずして死んでしまう。 この場面を視ていて、広島で被爆した詩人・栗原貞子さんの『ヒロシマというとき』という詩を酔流亭は思い出した。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ <ヒロシマ>といえば <ああ、ヒロシマ>とやさしくは 返ってこない アジアの国々の死者たちや無告の民が いっせいに犯されたものの怒りを 噴き出すのだ (略) <ヒロシマ>といえば <ああ、ヒロシマ>と やさしいこたえがかえって来るためには わたしたちは わたしたちの汚れた手を きよめねばならない TVというのは、基本的には体制側に都合のよい考え方を受け手に浸透させようとするものである。そのことはおさえておかなくてはならない。全体には最近いよいよひどくなっていると思う。ただ、そうした中にあっても、良心的な作り手が自分の思いを伝えようとする努力がある。『カーネーション』における勘助のエピソードはその優れたひとつとして記憶しておきたい。
by suiryutei
| 2018-10-05 09:17
| 映画・TV
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Comments(2)
Commented
by
elnest
at 2021-12-14 12:45
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突然ですが、
あの、かつてのスパイ密告組織=国防婦人会とも身体を張ってミシンを抱きしめながら闘うことになる《カーネーション》、今もbs12で毎週月曜の夜、一週間分を怒涛の連続再放映しています。 昨夜12/13は、貴ブログでも触れていた、あの愛すべき勘助に赤紙が届くところで終わっています。 脚本家=渡辺あやさんは、この作品の中で、時代が男たちをいとも簡単に殺してしまう様を描こうとしていたような印象があります。そのへんをもう一度見てみようと思っていますが。
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Commented
by
suiryutei at 2021-12-14 19:22
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