新人事制度 大阪での報告①~③
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昨日(12月20日)の朝日新聞朝刊[論壇時評]に小熊英二氏が文章を寄せている。仲間内だけに閉じこもる言論であってはならないという趣旨だ。 「言論をなす者は、常に外部に開かれていなければならない。その外部とは、意見の異なる人々だけでなく、声高には声を発しない人々をも含んでいる。この当然の作法を踏まえずして、言論の質も、社会の発展もありえないのだ」 という結びに酔流亭も強く同感する。
「・・ある物体の正体を探るとき、『あれは円だ』と決めつけるのは危険である。『あれは円ではなく三角だ』という批判も取り入れないと、『実は円錐だった』という真実に至れない。神ならぬ人間の認識は限られたものだから、互いに批判を交わし合わないと、本当のことはわからないのだ」 このくだりも、最初読んだときはその通りだと思った。自分が考えていることが正しいと確信を持つのはいいが、その確信に対しては反対の立場からの絶えざる検証が不可欠である。 ただ、もう一度読み返してみたとき、ちょっとひっかかるものがあるのに気づいた。というのは、小熊さんは「ある物体の正体」が円錐であることを前提にして論を立てているけれど、その物体は本当に円であるかもしれない。あるいは三角かもしれない。そのどちらかだとすれば、異なる見解を妥協させて二で割れば「真理」に到達できるわけではない。この場合、事実がもし「円」だとしたら、それと対立する「三角」という見解を「取り入れ」たところで正確な認識により近づくことにはならず、むしろ遠ざかってしまうだろう。 すると、何が問題か。「互いに批判を交わし合わないと、本当のことはわからないのだ」というのは正しいと思う。酔流亭がひっかかったのはその前段の「・・批判も取り入れないと・・」という箇所だ。取り入れるべき批判ももちろんあるけれど、取り入れてはならない批判もあるのではないか。 ただし、何が取り入れるべき批判であって何がそうではないか、その判断も異なる考えとの対話を通じて精度が増していくのである。 「たとい間違った少数意見でも、ないよりはあったほうがいい。真理は誤謬の存在によって、誤謬を通じて明らかになるのである」。 これは丸山真男の言葉で、これもまったくその通りだ。しかし丸山はこれを福沢諭吉が好んだ「多事争論」という語を解説する文脈で述べているのがいささか悩ましい。一見すると民主主義者みたいに「おおいに論じよ」と吹きつつ、福沢はアジアの人々へのヘイトスピーチみたいな言動をまき散らした人でもあった。この福沢の言動については安川寿之輔・名古屋大学名誉教授による精緻な分析がある。
by suiryutei
| 2018-12-21 09:44
| ニュース・評論
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Comments(2)
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おはようございます。ご指摘の点、足して二で割れば「真理」に到る式の思想こそまさに小熊先生や丸山眞男の限界であり、真理を認識しようとする民衆のエネルギーに展望をみようとしない近代知識人の限界だと思います。小熊先生の今月の記事は、沖縄・辺野古の土砂投入の直後になされたという点でも興味深いです。小熊先生は、沖縄の基地問題を足して二で割れば解決できないことから、辺野古を論じることができなくなったのです。丸山眞男の限界は、欧米の近代政治思想を、戦後日本の指標として疑いなく受容したときからはじまっています。近代は、市場メカニズム、市民社会、国民国家という三つのシステムを作り出しましたが、最初からそれぞれ矛盾を抱えています。市場メカニズムは労働者の貧困と「後進国」経済の隷属支配、市民社会は個人のエゴと差別分断、国民国家は生身の人間を記号にして官僚主義が統制する問題。その三つのシステムのそれぞれの欠陥を相互にやりくりしながら運用しています。ところが丸山らの議論は、市場メカニズムだけ議論され、市民社会と国民国家の問題点が置き去りにされ、個人が自立した理想的な市民社会があれば国民国家を監視でき、問題が解決できると考え、そうならない矛盾を日本の「後進性」と批判・解釈したのです。他方、アベたち国家主義者たちは、理想的な国民国家なるものがあれば国民の結合体ができるという国家像を描き、「敗戦の呪縛」を克服しようとする。丸山による日本の「後進性」批判と、極右アベによる戦後市民社会の平和と民主主義を「敗戦の呪縛」とする批判とは、近代政治における同じ穴のムジナです。沖縄の基地問題は、市場メカニズム、市民社会、国民国家のどれかを理想視するのではなく、近代に形成されたものが何かを根本的に検証する中でしか解決できません。沖縄の闘う民衆と連帯する私たちがそれを検証し解決する勇気を持っていると思います。政府による辺野古への土砂投入は、琉球セメントという地元の企業と労働者に加担させ、沖縄を分断させました。それに対して、琉球セメントの関連企業、宇部興産やゼネコンの労働者が、沖縄の民衆と連帯して立ち上がることによって展望が開けると思います。
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墨田のカッパさん、コメントありがとうございます。私が言いたくて、しかしうまく文章化できなかったことを全て言っていただいた思いです!
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