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『金子文子と朴烈』という映画を観てきた。 首都圏では阿佐ヶ谷にある[ユジク阿佐ヶ谷]という小さな映画館で公開されている。17日まで。 題名の二人は実在した無政府主義者。金子文子は1903年、朴烈は1902年生まれで、20歳になるかならぬかで知り合う。そのきっかけは、朴烈が無政府主義者仲間と発行していた雑誌に書いた『犬ころ』という詩を文子が目にして惹かれたと映画では描かれている。彼女のほうから同棲することを望んだ。文子は日本人で社会主義者や無政府主義者がたむろするおでん屋で働いている。朴烈は植民地とされた朝鮮から東京に渡ってきて車夫をしている。同棲を始めるにあたって文子から提案して朴烈が同意した約束は、以下の三点である。 1.同志として同棲すること 2.私が女性だという観念を取り除くこと 3.一方が思想的に堕落して権力と結んだ場合には共同生活を解消すること 1923年に関東大震災が起きたとき、不逞な輩だと日ごろ警察にマークされていた二人は予防拘束される。街では自警団が朝鮮人とみるや子どもであろうと情け容赦なく殺戮していた。目を血走らせ、持っている竹槍の先は血塗られている。「15円50銭と言ってみろ」と発音を試し、こいつ朝鮮人だなと見当をつけると問答無用で殺した。実際に起きたことである。およそ6000人もが惨たらしく殺された。朴烈は留置場にいたおかげで助かったようなものである。 惨事は自然発生的に起きたのではない。震災によって家族をうしない、家を焼かれたりした人々の憤激が國体(天皇制)に向かうことがないよう、朝鮮の人々に矛先を向けるようにデマが意図的に流された。 拘束されている朴烈には、皇太子(のちの昭和天皇)に爆弾を投げて殺害しようとした容疑がかけられる。これはでっちあげだが、朴烈のほうから進んで罪を引き受けるという風である。大逆罪に問われることで逆に天皇制権力の告発者たらんとするのだ。文子も自分が共犯であることを訴える。かくして映画の後半は、取り調べ室で監獄で、また法廷での二人の闘いに移っていく。自分たちの無実を晴らそうというのではない。天皇制権力が何をやったかを満天下に明らかにしようとする闘いである。権力が隠しおおそうとしていた震災下における朝鮮人虐殺の実態もそれによって漏れ伝えられていく。 天皇制とはどういうものであったかを考えざるをえない。天皇代替わりに浮かれる気にはなれないのである。作られた韓国で大ヒットした映画だというが、日本人こそが観るべき作品だ。 ただ、法廷の場面などでは時代考証にやや疑問が残った。二人は朝鮮の民族服を身にまとって出廷し、天皇制権力を堂々と告発する。観る者を元気づける場面だ。しかし、当時の天皇制国家権力下の法廷は朝鮮人政治犯とその伴侶にああいう服装を許したろうか。傍聴人たちがあんなふうに野次を飛ばすことも現実にはありえなかったのではないか。ここはもっとリアリズムに徹してほしかったという気持ちがしないことはない。 二人の取り調べにあたる若い予審判事は、彼らの毅然たる態度に気持ちを揺さぶれるところがあったようだ。天皇制権力に連なる人間にああいうタイプが現実にいたかどうかというより、韓国で80年代に展開された民主化運動にあっては、体制側内部にもそれに揺さぶられた部分がきっとあって、それがこの映画ではあの予審判事のような人物形象に反映しているのではないかと勝手に推測する。
by suiryutei
| 2019-05-10 08:26
| 映画・TV
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Comments(2)
私も見ました。
金子文子に興味をもって瀬戸内寂聴の評伝小説も読みました。
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佐平次さん、おはようございます。
私も寂聴さんの小説読んでみたくなりました。
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